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2006年12月07日

二重構造モデルの補足の補足

カッピカピさんこんばんわ。 😀
tanoです。コメントにかけなかったのでエントリー投稿します。
さてカッピカピさんが補足していただいた二重構造モデルって一体なんなんでしょう
少し調べて判ってきた事がありますので補足の補足をします。
二重というのは何かの上に何かが重なるという事ですね。(文字の通り
この二重とは基層となる縄文人に渡来人(弥生人)の血が加わり現在の日本人ができているという理論です。なぜ二重構造モデルが必要になったのか?ネットで検索して拝借した下記の論文ではその事に少し触れています。

縄文文化の担い手たちを「縄文人」、弥生文化の担い手たちを「弥生人」と呼ぶとすると、縄文人=弥生人というのが、この説の主張するところです。縄文文化の担い手であった日本人の先祖たちが、大陸や朝鮮半島の進んだ文化を受け入れて、弥生時代という新しい文明段階に進んでいった、というわけですね。
ところが近年、形質人類学や分子人類学、ウイルス学等の発達に伴い、骨格や頭蓋骨の形と歯形、そしてウイルスやDNAなどをより厳密に比較することが可能となり、縄文人と弥生人との間には、とうてい同一人種とはみなせない相違があることが明らかとなりました。
この問題を解決するため、人類学者の埴原和郎氏は「二重構造モデル」という仮説を提出しています。『日本人の骨とルーツ』という本から、少し長いのですが、引用します。この中で埴原氏は縄文系と渡来系という言葉を使っていますが、渡来系とは弥生人のことであるとお考えください。

さて、埴原氏の文献を見て見ましょう!。
『日本人の骨とルーツ』http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31018072
「日本人の起源と形成の問題はいまだに研究者の興味を引き、論争の的になっている問題も少なくない。本書では、現代にもみられる日本人の地域性を、縄文系集団と渡来系集団の混血の濃淡によって説明し、地域性や自然環境、文化の発展などにも着目する。日本人の形成史を縄文系と渡来系の「二重構造モデル」で分析し、自然人類学の視点で日本人のルーツを探る。」~yahooブックス解説より
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埴原氏の原文を読んでみたい と思った人はぽちっと押して次へどうぞ。
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「すでに述べたように、日本人に北東アジア的特徴が多いのは、渡来集団の影響が相当に強かったことを示すものだろう。さらにいえば、渡来人の数は「無視しうる程度」どころでなく、想像以上に多かったと考えなければ説明がつかない。
 現在、日本人集団の形成史は大きな見直しを迫られている。それは単に私どもの人類学的研究の成果によるばかりでなく、あいつぐ考古学の新発見や、さまざまな遺伝子の研究などに負うところが大きい。これらの成果を含めて説明するためには、どのようなモデルが考えられるだろうか。
 まず、日本の旧石器時代人や縄文人は、かつて東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団──原アジア人──をルーツにもつということが問題の出発点となる。縄文人は一万年もの長期間にわたって日本列島に生活し、温暖な気候に育まれて独特の文化を成熟させた。気候が冷涼化するにつれて北東アジアの集団が渡来してきたが、おそらく彼らも、もともとは縄文人と同じルーツをもつ集団だったのだろう。異なる点は、長い期間にわたって極端な寒冷地に住んだために寒冷適応をとげ、その祖先集団とは著しい違いを示すようになったことである
 大陸から日本列島への渡来は、おそらく縄文末期から始まったのだろうが、弥生時代になって急に増加し、以後、七世紀までのほぼ一〇〇〇年にわたって続いた。渡来集団はまず北部九州や本州の日本海沿岸部に到着し、渡来人の数が増すにつれて小さなクニグニを作り始めた。さらに彼らは東進して近畿地方に至り、クニグニの間の抗争を経てついに統一政府、つまり朝廷が樹立された。
 その後朝廷は積極的に大陸から学者、技術者などを迎え、近畿地方は渡来人の中心になった。また土着の縄文系集団を「同化」するため北に南にと遠征軍を派遣し、一部の地方には政府の出先機関も設置された。渡来系の遺伝子はこのようにして徐々に拡散したが、縄文系と渡来系との混血は近畿から離れるにつれて薄くなる。現代にもみられる日本人の地域性は、両集団の混血の濃淡によって説明される。混血がほとんど、あるいはわずかしか起こらなかった北海道と南西諸島に縄文系の特徴を濃厚に残す集団が住んでいることも、同じ論理によって説明することができる。 (『日本人の骨とルーツ』角川書店、pp. 44-45)」
http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/german/uc2b.html
この二重構造理論は同じように大陸移動して支配したアメリカ大陸とインディアンの関係で比較されます。日本文化が渡来人によって塗り重ねられているのに対して後者は渡来人によって支配され迫害されました。渡来した時期の違いはありますが、渡来したほうが先住文化に同化する点では西洋人と東洋人の根本的な違いでも有るように思います。(tano)

投稿者 staff : 2006年12月07日 List  

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