シリーズ:「国家と市場」第5回【市場は社会を統合する機能を持たない】 |
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2010年07月06日
縄文集落を解明する 第1回 【縄文を学ぶ位置付け-3】
はじめてこのブログに投稿します。
日本人にとっての縄文時代は、他の時代とは違う、特別な時代として語られることが多いです。
12,500年間という長い年月、他の歴史に類を見ない安定的な社会を支えてきた仕組みに興味はつきません。
前投稿の言葉を借りれば、「自然と共生するための高度な野生の思考」の正体はなんなのか?、そしてそれはどのような集団の中で、創り出されたのか?、それを生みだした外圧状況はなんだったのか?・・
これらを解明することで、現在の閉塞状況を突破していく糸口を探っていきたいと考えます。
今回は縄文時代の集落のありかたから、その当時の集団統合のありようを考察していきます。
親族を中心にした30人程度の小集団が、100、300規模の大集団に拡大していくためには、従来の集団統合様式を超えた統合軸を形成していく必要があります。それはどんな統合軸だったのか?
応援よろしくお願いします
東日本と西日本の縄文期における人口密度の差は13対1、中期には23対1以上と言われ、「東高西低」は20世紀初頭から知られていた事実です。これを反映して、東西で社会構造も大きく異なっていたはずですが、特に顕著なのが、関東・中部・東北の遺跡高密度地帯に分布する「環状集落」です。三内丸山とは異なるとはいえ、大規模な集団統合の一つの象徴的存在ですので、しばらくは環状集落の盛衰に絞って見ていきます。少し本流からはずれるかもしれませんが、接点もいくつか見えてくると思いますのでご容赦下さい。
言うまでもなく、環状集落の中央には広場があり、周囲に住居が配置されています。最小で、直径70メートル程度、最大で150メートル以上に及びますが、中央広場には集団墓地が営まれるのが大きな特徴です。同心円状に所定の範囲内に、建物・施設を配置する構造は「重帯構造」と呼ばれ、当然新旧の遺構が重複します。有名な群馬県三原田遺跡では、中期後半の数百年にわたり、300軒以上の住居跡が重複しながら、直径130メートルの円を描いており、集落は外周から徐々に内側へ向って形成されていて、長期的な計画性をうかがわせます。
次に、住居群や墓群が大きく二分されていることもよく知られています。これを「分節構造」と呼びますが、墓域の区分は特に厳格で、埋葬場所は長期にわたって踏襲されていることから、分節は血筋・系譜の区別に基づくものだという可能性が高くなります。大群のなかにさらに小群が枝分かれすることもあり、八王子の多摩ニュータウン107遺跡(中期)はこの典型例で、何百年にわたり、直径32メートルの円内に整然と200基もの墓群が2×2の分節をなして営まれています。ここから、構成員の血縁的区分の厳格さ、血縁集団への帰属性の高さがうかがえます。
何世代にもまたがり、文化を受け継ぎ、祖先を祭祀する血縁集団としては氏族・系族と言われる「単系出自集団」が知られています。父系または母系のどちらかの血統により、系譜と成員の資格が受け継がれる集団です。
大林太良氏は、集落中央に墓地を持つ民族例が、単系出自社会には時々見られると述べていますが、縄文の環状集落も、単系出自集団を中心とする親族組織の高度な発達を背景としているという考え方が成立しそうです。
引用した投稿によれば、 「単系出自集団を中心とする親族組織の高度な発達」 をこの時代の特徴としてあげています。
単系出自集団とは、特定の祖先から男性または女性のみを通じて親子関係がたどれる子孫の作る集団の一つで、特定の男性祖先から男性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を父系出自集団といい、特定の女性祖先から女性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を女系出自集団といわれます。
人類史から見ると、父系集団は外圧環境が高く→(外圧・外敵)闘争性の高さが求められる集団性が特徴で、母系集団は比較的食料事情の豊かな土地の集団で→集団の安定性が優先課題となり→女の安定基盤が生まれやすいのが特徴です。
縄文時代の特徴はこの父系・母系の両方の特徴をもっていたと推測されています。
田中良之氏の研究によると、縄文~5世紀後半までは男女問わず、同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。
縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。
集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える
双系とは父系・母系どちらでもないという考え方で、現代人からみれば非常に不安定な気がします。 🙄
しかし、現在の東南アジアでもその制度は残っています。
「双系制」という文化
ジャワ人には「姓(苗字)」が無い。「名」すなわち個人名だけである。ちょっと意外な感じがするが、そんなに珍しいことではない。ジャワ人に限らず、インドネシアの多くの民族がそうだし、マレーシアやビルマでもそうだ。
彼らの家族観は父系(男系)でも母系(女系)でもない「双系制」に基づいているのだ。
双系制とは、父系と母系の双方を全く同じ様に「親族」と認識する文化である。そこでは、日本語で言う「家」とか「家系」みたいなものは、概念としても実態としても存在しない。
結婚した夫婦は、夫方、妻方のどちらにも属さない。あくまでも等距離である。だから、家族名としての「姓」は存在しないし、その必要も無いのだ。もちろん「直系」や「傍系」という考え方も無い。
インドネシアの国父とも慕われた初代大統領スカルノ(Sukarno)は、「スカルノ」がフルネームである。「スカルノ・なんとか」でも「なんとか・スカルノ」でもない。さっぱりしたものである。
今の大統領はスシロ・バンバン・ユドヨノ(Susilo Bambang Yudhoyono)という長い名前だが、これは「戦いに常に勝つ気高い闘士」という意味である。つまり「スシロ・バンバン・ユドヨノ」全体が個人名で、それがフルネームなのだ。
余談ながら、王家だけが姓を名乗るという民族もある。王家はヨソモノであるが故に特別なのだろうか。
日本と逆なところが、ちょっと面白い。
家系というコンセプトがない、苗字がない社会。しかも、一方で血統は重んじられている。私たち日本人からするととても不思議で驚きの社会です。それでも、日本では「江戸時代の民衆は双系社会要素が強かった」ようですし、母系でも父系でもない社会=双系社会には、何か“個人(出自)よりもみんな”という本源的な感じも受けます。
リンク
この双系社会は、組織の流動性の高さ も特徴で、生活基盤(食料基盤)が安定せず、人口の絶対量も少ない縄文時代には適応的だったと推測されます。
さらに環状集落という特徴は、双系社会というフラットな集団的つながりに、ひとつの統合軸を与えたとも考えられます。
必要な時に集中し、その後はまた分散する自在さをもつ双系社会に、集いのシンボル=モニュメント的な遺構を構築したと考えられます。
冒頭に紹介した「自然と共生するための高度な野生の思考」の正体のひとつが、この双系社会という自在さに垣間見ることができます。
基盤となる単位小集団とそれを自在に統合する社会システムは、今後の社会のありかた=集団自治・地方自治のヒントにもなりえます。
“個人(出自)よりもみんな”という本源的な意識が継承されたことが、共生の思考を生み出したのでしょう。
投稿者 chai-nom : 2010年07月06日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2010年9月30日 13:10
tanoさん、コメントありがとうございます。
>言い換えれば新しい統合軸を求める潜在的な大衆のエネルギーは日本が最も高まっているようにすら思います。
>新たな観念の必要性はこの数年のうちに私たち日本人が活力を維持して生きていく上でなくてはならないもの、どうしても必要なものとして明確に意識されていくと思います。
そうですね、今は“前夜”って感じで、潜在的なマグマ?・・・がたまってきている感じです。どこかでどーん!とはじける。ってところでしょうか?
ちょっとワクワクしてきました。でももう少し正確に押えないと・・・ですね。そのためにも歴史的な構造はよくおさえておきたいですね。
投稿者 Hiroshi : 2010年9月30日 23:18
日本になぜ可能性があるのか?
>従って現代求められいるのは、全く新たな観念体系。新たな観念体系は、真っ先に貧困が消滅し、力の原理が消滅した日本においてこそ求められている。
まさにこの言葉が表していると思います。
日本の可能性とは中流化が一気に進み、真っ先に貧困が消滅した事にあるのでしょう。
現在でもマスコミは生活保護者の増加や若干残る貧困層である下流階級、フリーターやニートというところに焦点を当てますが それらは私権が衰弱して活力低下から新たな貧困層が生まれている反動現象に過ぎません。
言い換えれば新しい統合軸を求める潜在的な大衆のエネルギーは日本が最も高まっているようにすら思います。他国では何かあれば直ぐにデモや暴動という形で要求運動が起きますが、すでに日本人はそれらの運動を起して現在おかれている状況がどうこうなるようなものでない事を達観しているようにさえ思えます。
新たな観念の必要性はこの数年のうちに私たち日本人が活力を維持して生きていく上でなくてはならないもの、どうしても必要なものとして明確に意識されていくと思います。