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2010年05月07日

「縄文体質を切開する」6~現代に受け継がれる縄文体質~

前投稿で、縄文人は性を肯定視し総遇婚制をとることにより、性的自我の発現を防ぎ、集団(共同体)を維持してきたことがわかりました。特に、今後につながる可能性を示唆していると思ったのが、まとめの部分です。
>縄文時代を通して、自我を徹底的に封鎖し、みんな発が当たり前だった時代が、一万年以上続いていたと考えられます。 現代日本人の潜在思念にも、この一万年の間に育まれた集団規範が刻まれているだろうことは想像に難くありません。
ここに一気に踏み込む前に、改めて押えなおしておきたいポイントがあります。
●何故、縄文人は、【自我】の発現を恐れたのでしょう?
それは、彼らは経験的に自我が集団と敵対するものであり、集団を解体してしまう力を持つことに気づいていたからではないでしょうか。加えて、【自我】は、警戒心の塊であり、常に自己正当化・他者否定→他者攻撃のベクトルに連ねかれています。
自我を封鎖したみんな発の地平と、自我に執着した自分発の地平の違いは、日常の生き方にも強く影響を及ぼすことになります。その具体例を紹介したいと思います。
樹を植える日本人、樹を伐る中国人(3) るいネットより

日本人と中国人の決定的な違いはどこにあるのかといえば、それは死生観にあるといってよい。死に対しての考え方や死に直面したときの態度は明らかに違う。日本人はきれいに死のうとし、中国人はいかにして死なないようにするか、という考え方に歴然と現れている。

現世に執着する中国人は、自分の生命と金を最も大切なものと考える。自分の健康のためには他人の人体を薬にしたり、金儲けのために平気で死体から臓器を取り出す。こうした姿勢からは、他の生命への畏敬は生じない。

中国人とは対照的に、日本人は絶えず死を見つめ、このはかない命をいかに美しく生きるか、と考える。財産や権力など死んでしまえば、何にもならない。それよりも世のため人のために多少なりとも尽くして満足して死に、葬式にはたくさんの人に来て貰い、「ああ、いいお顔ですね」と言って貰うほうが、はるかに意味のある人生だと考える。
また生命のはかなさを感ずる所から、他の人や動植物の生命への思いやりが生ずる。さらには人の生命を守るために、自らの生命を捧げる、という自己犠牲の精神もそこから生まれる。

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大陸の多くの共同体集団が、掠奪によって根こそぎ解体され、警戒心の塊となって自我へと収束せざるを得なくなったのに対し、日本では脈々とみんな発の共同体が生き続けました。
その状況をなぞってみたいと思います。
古来、日本人が持ちつづけた民族の、”遺伝子”とは るいネットより

近世、【白人侵略の波】がアジアに押し寄せたとき、【日本のみ】これを押し返すことができたのは、極東という地理的位置や、海洋国という立地条件が幸いしたことも事実である。
しかし、これだけでは十分な説明にならない。
それは民族の根底に、一種、民族の”遺伝子〃とでもいうべきもの、
確固たるべースとなる精神が具(そな)わっていたからではなかろうか。
この『遺伝子』は、日本に古代中国文明を容れたときも、近世西洋文明を採り込んだときも、揺らぐことはなかった。このように自国の魂を失わずに異国の文物を採り入れ、これを巧みに自国化してゆく文化摂取の方法は、古来、日本文明のお家芸である。

ここでは、この『遺伝子』的精神を【和魂】と呼ぶことにしたい。
近代化の原動力が「和魂洋才」なら、戦後、焼野原からあっと言う間に立ち上がって奇跡の経済復興をなしとげたのも、「和魂米才」のなせるわざである。してみると、日本を日本たらしめたアイデンティティ〔正体〕のナゾも、繁栄、発展のエネルギーの根源も【和魂】にあったといえるのではなかろうか。
それでは、いったい【和魂】とは何か。いつ頃から、日本民族の中に、どうやって醸成されてきたものなのか。それは古代中国文明が移入されるずっと以前から、すでに民族の魂の中に組み込まれていたものとみなければならない。

今から一万年から一万五千年前の【縄文時代】に、すでに日本独自の和魂文化が形成されていたというのである。それは東洋文化の一翼でもなければ、西洋文化でもない自己完結度の高い固有の文化であったという。その文化を、私は【大和心】と仮称しておく。
日本の有史以前の【神代(縄文時代)に和魂が形成】されていたとすれば、日本民族がその後、中国文明にも西洋文明にも全面的に制圧されることなく、見事に取捨選択して導入し、和風化することができた理由も説明がつくのではなかろうか。
この【大和心】は、古代以後日本に入ってきた『漢心(漢籍を学んで中国の国風に心酔し、感化された心、近世の国学者が用いた語)』とはまったく【正反対の心】である。

【漢心】は『大陸的で荒々しい』のに対し、【大和心】は『海洋的で素直でおだやか』である。
【漢心】が【権威的で男性的】なのに、【大和心】は【温情的で女性的】である。
元来、女性は家庭の中で愛情を中心として暮らし、日常的で平和な生活を好むので、素直でおだやかである。人類が神代から人間生活に入った当初は、どの民族も皆このような純粋無垢の【女性的な直き心】を持っていたのであろう。
この『女性的な大和心〔和魂 にぎたま〕』も、いったん外部からの侵略、その他の危機を感じたとき、国や家を守るために決然と立ち向かう。
それが【男性的な大和魂(荒魂 あらたま)】である。
それこそが古代の防人(さきもり)や中世以後の武士(さむらい)精神となり、今日までつながっているのである。

警戒心が薄く、なんでも受け入れるおおらかさ。これが、いわゆる日本人の舶来信仰につながっているのは間違いなさそうです。一見、全てよさそうに思えるのですが、この日本人の体質は、重大な欠陥を合わせ持つことになります。
日本の2つの弱点とその克服に向けて(1) るいネットより

日本人は論理的に考えなくても共認統合できるという本源性を強く有していたが故に、意志伝達の手段としての観念化=言葉化にそれ程重きを置かなかったと言えなくもない。しかし、その気質こそが事実を歪曲し論理的に矛盾した言説を垂れ流すマスコミ報道を軽信させ、事実かどうか、論理的整合性はどうなのかといった思考を停止させる。
その果てにあるのは根拠なき言説への盲従・盲信と、終いにはその場の空気に全てを委ねてしまった太平洋戦争前夜の御前会議のような異様な心理状況なのではないだろうか。
ところが、話を翻すようではあるが、その様な軽信、盲信に陥る性向の高い日本人が焼け野原の塗炭の苦しみから見事な復興を果たしたのはどういうことか。或いは先の阪神大震災の被災者が実に冷静に対処し世界に感嘆されたのは何故なのか。
仮説に過ぎないが、そこに誤った観念で築き上げられたものが瓦解し、本源性が剥き出しになる状況があったからではないだろうか。つまり、その様な状況に置かれた時にこそ日本人の強みが発揮されるということかもしれない。

縄文時代から現代にいたるまで、日本人は観念を駆使して考えたことのない稀有な民族です。
ただ、他の多くの国々が、観念を駆使してきたのは、【自我】に収束せざるを得ず、あらゆる場面でそれを正当化する必要にかられたからということができるのではないでしょうか?
今、時代は私権社会から共認社会へと大転換をとげつつあります。そこで求められる「答え=観念」は、いままでの観念とは、立脚点が全く異なるものとなるでしょう。
それが確立されるまでの間、私たちを導いてくれるもの。それこそが、日本人が受け継いだ縄文体質=潜在思念なのではないでしょうか。
日本人に刻まれた潜在思念とは、常に集団動物として適応してきた集団の声なのだと思います。
「我思う」などという根の浅い(根拠のない)自我の声などでは決してないのです。
だからこそ、窮地に陥ったときの「導き」となるのだと確信することができるのです。

投稿者 naoto : 2010年05月07日 List  

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コメント

コーランの日本語訳を少し読んだことがあるのですが、確かに、コーランにはあらゆる事態への対処方法、行動指針がこと細かく記載されています。
コーランが集団の秩序化、規範化を軸に編纂されたことは間違いなさそうです。
それは見方を変えれば、「こうすれば集団がうまくいく」「みんなが充足できる」という【充足規範】にとことん貫かれていると見ることもできそうですね♪

投稿者 Marlboro : 2010年7月24日 21:09

>>それゆえ同一秩序における団結心の充実、連帯意識の完成がその最大の目的となる。
>そこに登場したのが、アッラーを超越神とするイスラム律法=クルアーンでした。
イスラムの揺ぎない自信や団結力は、この連帯意識からくるのだと思いました。
日本人が、戦ってもコロッと変ってしまうのとは対照的で、明確に観念化されている違いかという気がします。(日本人は明確に観念化されたものを持っていないため、“民主主義”とかを与えられるとつい騙されてしまう。)

投稿者 Hiroshi : 2010年7月24日 21:22

>イスラム教は共同体の規範体系であり、それは充足規範
なのに、ジハードだったり、女性に対する警戒心や差別?があったり、タブー規範が多いのはなんでなんでしょうか?
私のイスラムに対する認識が間違っているのでしょうか?少なくとも欧米の略奪の正当化がイスラムの情報を狂わせていると思いますが、どうも、2面性があるようで、内部統合と外部統合の両側面から見てゆく必要がありそうです。

投稿者 匿名 : 2010年7月30日 06:06

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