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2008年12月09日

縄文の文明原理

こんばんわ 😀
歴史を学ぶとは・・・自然の摂理と歴史事実の因果関係を探る事
に続いて安田先生の著書から今日は縄文の文明原理をお届けします。
縄文時代を読み解く一つのガイドラインにもつながると思いますので全文を投稿します。
縄文の文明原理
縄文文明における永続的な固有の技術や装置・制度系・組織化された生活システム・精神世界とは何であったのか。1万年以上にもわたって一貫した文化的共通性を支えた文明原理とは何であったのか。
今後の研究においていくつもの縄文文明の文明原理が発見されるであろうが、現時点において、とりあえず以下の8点が縄文の文明原理として指摘できるであろう。
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狩猟・漁・採集を生業の基本とした、自然の資源を極限まで利用する技術を発展させ、自然=人間循環系の文明原理を有していた。縄文人は自然のリズム、季節のリズムに歩調をあわせながら永続的、循環的に生きる組織化された生活様式の装置と制度系を持っていたそれを自然=人間共生系の装置と制度系とよぶこともできる。
平等主義に立脚した社会制度を有していた。
エジプトやメソポタミアのような巨大な王やアテネのような市民階級が出現しなかった。墓においてもその副葬品に大差はなく階級社会の装置を文明原理に取り入れない、何らかの独自の平等主義に立脚した社会制度があったものとみなされる。
生産物が貯蓄しやすく、このために容易に貧富の差や階級差が生じやすい穀物農業を受容することを回避する文明の装置と制度系を有していた。
文明の情報伝達手段としての文字を持たなかった。
おそらく縄文語は存在したであろうが、それを文字としては残さなかった。中南米のインカの文明、あるいは中国の長江文明においても、これまで文字は発見されていない。しかしインカの巨大な石造建築を何年もかけて構築したり、長江文明のおどろくばかりの精密な玉器を大量に製作する為には、文字に代わるなんらかの情報伝達手段が必要である。インカではリャマの毛をよりあわせたキープとよばれる紐が数字の役目を果たしていたように、縄文時代においても、文字にかわる何らかの情報伝達手段・情報交換のネットワークの形成があったに違いない。
土器つくりに異常なほど執着した文明である。
1万年以上にわたって作り続けられた土器を一括して縄文土器とよぶことができる背景には、縄文時代を通して、組織化され制度化された美的伝統、知的伝統が存在していた事を示している。縄文人は海と森の資源を土器という調理道具を使用して豊かなバラィティーに富む食材として食したのみでなく、土器を呪術性をもったきわめて宗教色のつよい知的、精神的に組織化されたものとして造形した。縄文人の土器作りはたんに生産の為だけでなく、祈りをこめた宗教的、精神的な行為でもあった。こうした土器の製作の中に宗教的行為をみとめる文明は西アジアの麦作農耕地帯の諸文明ではまれである。縄文文明は土器文明であったとういってもよい。
その土器の製作行程を通して、あるいは出来上がった土器の完成品を通して、社会の維持と運営を行うという、きわめて特色ある文明の装置と制度系を有していた。
⑤土偶に示されるように、女性中心の文明原理に立脚していた。
古代文明の多くは多かれ少なかれ、母権性的であるが、とりわけ縄文時代においては、女性中心の文明原理が大きな役割りを果たしていたとみなされる。
⑥生きとし、生けるものの中に人間の力を超えた存在をひそやかに感じるアニミズムあるいはトーテミズムの世界観を一貫して持ち続け、宗教や呪術の活動を重視し、欲望を抑制し、自然と共生する文明の装置と制度系を有していた。
⑦縄文人は大陸の北方と南方から日本に伝播する文化や文明の要素を、日本列島の中でうまく融合させる事によって、先進性の高い技術を発展させた。交換のネットワークによって他文化・異文化を容易にする文明原理を有していた。
⑧三内丸山遺跡や真脇遺跡の巨大建造物にみられるように、大規模な木造建築の文明装置を作り出す技術が存在した。
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縄文時代の社会は文字や金属器、あるいは都市存在しなかったが、人々は森と海の資源を最大限に利用する技術を発展させ、穀物栽培の農耕を受容することを回避し、自然と共生し、永続的・循環的に生き、命あるものが全て平等の価値を持つという文明原理に立脚した社会を構築した。
こうした文明原理を永続的に維持する為に、縄文土器や土偶を大量に生産する、知的、芸術的行為やストーンサークルの構築、あるいは巨木の祭りなどの宗教的祭祀といった、日々の生産活動とは異質の直接生産に結びつかない文明の装置・制度系をきわだたせて発展させた。一方、特定の王の為に税を管理し、貯蔵するために必要な文字は発達しなかった。そしてこうした文明の装置と制度系を円滑に運営・維持する為には異質の文化と積極的に融合する交換のネットワークと、女性中心の社会制度を発展させていった。
以上、「縄文文明の環境」より抜粋
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8つの文明装置を提起し、どの節にも頷けるのであるが、私はその中でも女性中心の文明原理という部分に注目したい。女性中心というのは現代的解釈の女の発言力が強いということではなく、女性の存在が集団の活力源になっていたということを表す。女を誰もが素晴らしい存在と、当然の事として認めていた原理である。
るいネットにある実現論からは以下のように採取時代の女性を書いている。あわせて紹介します。

ここでの採集・漁労部族における女の役割は、注目に値する。採集部族では、弓矢を持った男たちが防衛する(狩猟もするが、獲物は少ない)安全域で、女たちが主要な食糧を採集する。もちろん、闘争過程の主役はあくまでも男たちの防衛であって、女たちの採集は従役である。それにしても、食糧の過半を女が採ってくるというのは、外圧の強い極限時代には考えられなかったことであるが、皆=集団の期待(食糧の採集という役割)に応えて、採集部族の女たちはよく働いた。
しかし、それでもなお男たちの期待の中心は性であり、従って女たち自身にとっても、自分たちの中心的な役割は性役(男たちに性的充足を与えること=自らの性的充足を得ること)であった。役割欠損ゆえに性的存在となった女にとって、集団=全ての男たちの期待(=性役という女の役割規範)に応えることほど、自らの存在理由を充足させるものはない。
従って、タヒチをはじめ採集部族の女たちは、極めて積極的に集団の期待=性役規範に応え、更に性機能を磨いていった。(近世になって西欧人が侵略の目的でやって来た時でさえ、タヒチやカリブの女たちは、彼らを性的に歓待した。これは、採集部族の人たちがいかに心を開いていたか=いかに警戒心が無かったか=いかに完全に自我を封印していたかの証明であり、また女たちが、集団の性役規範にいかに積極的に応えていたかの証明である。)

投稿者 tano : 2008年12月09日 List  

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コメント

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