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2006年10月12日

縄文の時代区分

縄文の時代区分について、まだ明確にわかっていなかった ので、サイトで探索してみました 😀
以下「縄文文化と東北地方―東北の基礎文化を求めて」からの抜粋です。http://www.netcity.or.jp/michinoku/izakaya/jyomon/j21jyomontime4.html
>なぜ、土器の形式によって分類するのであろか。
>我々は、通常は時代を、あるエポックメーキング的な出来事・それが何年に起きたのか、ということによって区分していく。その多くは国の成立、支配者の交代など、何らかの権力の移行とそれに伴う社会/文化の変化であろう。
しかし、縄文時代はそのような考え方では分類出来ない。縄文時代の文化は、現在残っているものとして、土のなかから発見される遺物、とりわけその出土量が豊富な土器によってその特徴・広がり等を表さざるを得ない。しかし、土器は、地域・時代によって変化の速度が様々である。従ってこれが年代の数値的な変化を跡づけるものとはなりえない。そのため、山内清男がその研究理念で述べているように、土器型式の研究は縄文文化の相対的な時代区分の指標をつくるという作業仮説なのである。
時代区分の捉え方として、とても面白いと感じたと同時に、日常生活の変化や進化が時代区分となっているということ自体新鮮でした。ある意味、権力がはびこっている世の中ではなかったという表れでもあります。このような人々の意識を捉えた歴史観は、歴史事実を学ぶ時にも重要だと思います。
さーね

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若干、サイトからの抜粋を絞ります。各時代区分の土器様式はサイトを参照してください。
>具体的には、縄文式土器の型式学的変化に着目した相対編年を基準にして、草創期から晩期に至る6期に区分するのである。
>これは、伝統的考古学の方法論として整備されてきた土器型式論に立脚したもので、昭和7,8年に山内清男によって唱えられた。
●草創期(そうそうき) 縄文文化の黎明期(約1万~1万2,500年前)この時代は縄文文化の黎明期である。北海道を除く日本列島のほぼ全域で土器の使用が始まり、一部の地域では初源的な竪穴住居も作られるなど、少しずつ縄文文化的な定住社会が形成し始められた。
(中略…土器様式はサイト参照)
●早期(そうき) 縄文文化の成立期(約7,000~1万年前)
 次が縄文文化の成立期としての「早期」である。約7,000~1万年前までの時代と推定される。この時期、一部の地域から順次、住様式としての竪穴住居が確立、初期的な縄文集落が形成された。
(中略…土器様式はサイト参照) 
●前期(ぜんき) 縄文文化の発展期(約4,500~7,000年前)
この時期は、発展期と位置づけられる。この時期の前半期、東北地方は大規模な集落を各地に形成、あたかも“縄文王国”のような活況を呈するにいたる。
(中略…土器様式はサイト参照)
●中期(ちゅうき) 縄文文化の爛熟期(約3,500~4,500年前)
続く時代が「中期」である。縄文文化の爛熟期で、中部地方までの東日本全体で、きわめて豊かな文化が発達した。
(中略…土器様式はサイト参照)
●後期(こうき) 縄文文化の転機(約3,000~3,500年前)
 気候の温暖化と落葉広葉樹の恵みに支えられた縄文文化も、この時期には転機を迎える。その背景には、様々な環境変化があった。
 この時期、気候は再び冷涼化の兆しを見せ、前期の“縄文海進”で数メートル高くなった海水面が次第に低下、東日本の海山の豊かな生産力も、人口の増加に伴ってそろそろ限界に近づいたのである。その結果、縄文社会は停滞期に入っていった。
(中略…土器様式はサイト参照)
●晩期(ばんき) 縄文文化の終着点(約3,000~2,400年前)
 この縄文時代最後の「晩期」には、関東地方以西で急速な人口減少が進む中、東北地方ではその厳しい自然条件を克服して亀ケ岡式土器様式の華麗な文化が創造される。
(中略…土器様式はサイト参照)
縄文の基礎情報ですが、このような基本的な内容でも気付きがあるものですね 😛 確実にみんなで積上げていきましょう~

投稿者 postgre : 2006年10月12日 List  

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コメント

縄文時代って12000年前から3000年前って9000年間もあるんですね。
こうやって区分するだけでもこの間に一体どんな変化があったのか?気になります。

投稿者 田村正道 : 2006年10月12日 22:21

こういう投稿待ってました。
非常にわかりやすい。
前期が一番発展期であるというのも面白い。
それとは別に他の視点で縄文時代を区分している事はあるのでしょうか?気候や発展地域や生業などで・・・
少し探索してみます。

投稿者 tano : 2006年10月12日 22:34

「山内清男がその研究理念で述べているように、土器型式の研究は縄文文化の相対的な時代区分の指標をつくるという作業仮説なのである。」
土器の形式から生活様式の変化等を緻密に読み取る作業は大変な事と思います。
これって石器についてはどうなんでしょう、同様な指標を目指して時代の区分を考えているのでしょうか?

投稿者 山本豊 : 2006年10月12日 22:43

確か土器に関して言えば、中期の火炎土器が後期などの土器に比べて美術的評価が高いと聞いた記憶があります。
こうやって区分すると、確かに分かりやすいですよね。
個人的には亀ヶ岡遺跡に興味があります。これを機会に少し勉強してみます。
また日記を拝見させていただきます。

投稿者 ムク輔 : 2006年10月13日 00:13

皆さんコメントどーもです^^
>ムク輔さん
>個人的には亀ヶ岡遺跡に興味があります。これを機会に少し勉強してみます。
確かに…晩期の遺跡としてはかなり著名な遺跡ですね。僕自身も興味あります!ムク輔さんのブログも読ませて頂きます!
>山本さん
石器区分もあるかもしれません。ぜひ調べてブログにアップしてみてください!
>tanoさん
>こういう投稿待ってました。
ありがとうございます!このブログでも提起されているように、基本情報固め⇒年表づくりが一つの課題か?縄文の構成がわかりやすいかもしれません。
>田村さん
9000年を年表にするともっとわかるようになりますね!

投稿者 さーね : 2006年10月13日 18:39

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