| メイン |

2007年08月08日

縄文時代の図鑑?

kinoko.jpg
縄文時代の遺跡から見つかったこれは何? 画像は「こまきのいせきものがたり」http://www.komakino.jp/index.htmlからお借りしました。
こんばんは bunchanです
今日は縄文時代の遺跡からの出土品の中からみつかった土製品をとりあげてみたいと思います。
「こまきのいせきものがたり」より「縄文時代のきのこについて」工 藤 伸 一 (日本菌学会会員)からの要約・引用をご紹介します。
東北地方および北海道の縄文時代の遺跡からの出土品の中に、円盤形の裏面につまみ状の突起が付いいるものが発見されています。
さてこれは一体何でしょう?
スタンプ説
表面が平滑なことから縄文クッキーを平面に仕上げるための用具説、
柄の部分はつまみで傘の部分は蓋!土器の蓋説、
土器を作成するに当たって土器の内側を滑らかに仕上げるための用具説
などなど、さまざまな説があり、用途については考古学的には一致していません。

「きのこ形土製品」と言われるものの出土例は報告書等によると、1999年現在、青森県で13遺跡58点、秋田県で10遺跡60点、岩手県で19遺跡51点、山形県で1遺跡2点、福島県で13遺跡24点、北海道で4遺跡4点で、合計60遺跡から199点が出土していますが、その形態は様々です。(中略)
 これらの「きのこ形土製品」を注意深く観察しますと、ある特定の「種」を意識して模倣したと考えられるものと、単に「きのこ」の一般的な形状を模倣しただけと考えられるものの二つのタイプがあることがわかります。前者は、そのつくりがとても丁寧であり、ひだや管孔の表現はないものの形状も極めてリアルです。また、後者は、そのつくりが一般に粗雑であり、「きのこ」であろうと推定できる程度です。この後者の存在が、今まで「きのこ形土製品」を「スタンプ」や「土器の蓋」などと混同させてきた原因と思われます。これら両者の時代背景は不詳であり、また、両者がすべて明確に区分できるものではありませんが、典型的な両者を区分して比較研究することは、これらの用途および変遷などを探るうえで重要なことと考えられます。

でも・・・きのこを形どった土製品は何に使われていたのでしょう??
ぽちっ と押して、続きにいってみましょう~ ・・・ ・・・
Blog Ranking にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


「きのこ土製品↓」
kinoko-1.jpg
「ホンモノのきのこの写真↓」
kinoko-2.jpgkinoko-3.jpg

 以上のようにリアルに表現された「きのこ形土製品」を見てみますと、ほとんどが良く知られた食用のきのこを強く連想させます。縄文時代においてはきのこも貴重な食料だったことが十分推測され、少なくともこの時代からきのこが食卓に上がったのではないかと考えられます。
「きのこ形土製品」等は縄文時代中期後半に突如として現れます。この時期はすでに地球の寒冷化が始まっており、生活も大集落から小集落へと変遷する時代であり、他の遺物を見ても子どもの手形・足形や三角形土製品、鐸形土製品など特異なものが多く出現し始めます。それまできのこを食料としていなかったものが、自然の恵みが少なくなりきのこを食料とする必要が出てきたものか、それともきのこを食料としていたが、何らかの社会情勢の変化できのこを「形」にする必要が出てきたものか出現の理由は謎ですが、前述のとおり少なくとも縄文時代において、きのこも当然貴重な食料になり得たことは推測できます。しかし、きのこの食毒の判断は現代の科学を持ってしても先人の貴重な体験によるところがほとんどです。このことは縄文時代においても例外ではなかったでしょう。きのこを食料としたことによって、毒きのこによる犠牲者もかなり出たのではないかと思われます。きのこは腐敗しやすく、植物のように長期にその場に在るものではありません。また、採取しても原形を止めさせておくことは不可能です。従って、貴重な体験から食用と判明したきのこを何らかの方法で残す必要があったのではないでしょうか。つまり、きのこをここまでリアルに表現する必要性があったのは、食べられるきのこの再現を試み、採集するときの見本とし、毒きのこによる中毒を防ぐ目的があったのではないかと考えられます。食用きのこの模型「きのこ形土製品」は、村人や家族たちがきのこを採集する際などの見本、特定の食用きのこに関する知識伝達のための道具(模型)、言うなれば縄文版「きのこ図鑑」としての意味があったのではないかと考えられます。果たしてきのこの模型で食用きのこを判別できるだろうか?と疑問を持たれる方もおられるでしょう。しかし、はじめに述べたように、現在まで伝わっている「鮮やかな色のきのこは毒である」とか「縦に裂けるきのこは食べられる」などの誤った迷信に比べたら、縄文時代の人々の方法(模型の作成)の方がより具体的で確実性があります。

なるほど、図鑑説  大いにありえそうな気がしてきました。
自然をじ~~っと注視し続けてきた縄文人が、注視の結果得た情報を次世代に伝えるための手段として土器をつくった。確かにそういうことも考えそう。
これらの出土品の時期は特に縄文時代中期後半から後期前半という紀元前約2000年から1500年までのわずか約500年の間に限定されているそうです。
この間に、土器の意味合いも変化していったのかもしれません。

投稿者 bunchan : 2007年08月08日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2007/08/286.html/trackback

コメントしてください

*