【縄文再考】命への感謝と再生への願いが込められた縄文土器文様 |
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2021年11月17日
―縄文再考- 土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。
みなさん、こんにちは!
縄文時代の各時期の外圧状況と土偶の形から改めて土偶の役割を考えてみます。
今回の追求で固定したいのは、
①縄文時代の土偶は祈りのを対象に伝える道具だったということ。
②そしてその祈りは外圧状況により対象が全く異なること。
③対象=意識の収束先がより大きく強く形として表出する。
では土偶で何を祈ったのか?その対象は何なのか?ここを追求していきます!
■そもそもなぜ土偶を制作したのでしょう?
縄文時代はよく知られている通り無文字文化です。無文字文化であることが関係しているのか、「伝える」ために「記録する」「残す」という行為は文明発展のために必要不可欠になります。無文字文化を象徴するラスコー洞窟の壁画はまさに「伝えるため」に「記録する」ことを行っています。それも自然のかたち(動物・植物)を注視し壁画に記しています。
(参考:五十嵐 ジャンヌ 心理学ワールド 81号 ヒトと動物の芸術心理学 化石人類の壁画─ 具象,幾何学形,混成像 | 日本心理学会 (psych.or.jp) )
”人類はかたちを読み取り、伝えるという行為を発端として、積極的にかたちを作るように”
”かたちを介したコミュニケーション能力を高めた人類は実在しないものも想像するようになった”
(図1)ラスコー洞窟絵画
ラスコー洞窟のように、(手法こそ違えど)縄文時代も「伝える」ために想い(=祈り)を形に「込めて」「残した」のだと思われます。それが縄文土偶です。
■土偶で何を祈った?
何を祈ったかを解読するために、土偶のかたちに着目しました。
というのも、子供が描く絵は意識がもっとも集中した箇所を大きく表現します。
子供の書く絵に胴体がない理由。頭足人とは?何歳ごろに見られる光景か? (inakadaisuki.com)
>子供が注目しているのは「動いている部分」
子供の場合は顔ですね。顔(=表情)をよく見ているのはそれだけ重要な部分だったから。
その視点で見れば縄文時代の土偶のかたちには大きな意味があることが分かります。
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▼各時期の土偶のかたちのと特徴
- 草創期、早期、前期
体のみの土偶 ※特に胸の形状が秀逸 ・手の平に収まる大きさ
- 中期
顔、手足の表現・正中線やがっちりした下半身・女性像・大型化(重量化)
- 後期
人の顔ではなくなる・中空化(軽量化)
- 晩期
植物以外にも動物そのものの表現が現れる・中空化(軽量化)
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〇草創期・早期・前期
この時期は、温暖になってきた時期で、食事は少しずつ確保できるようになった時代。中期に向けて人口が上昇しているのを見ても、子供を成熟するまで育てられるようになっている。しかしまだ不安定で、出産してから食べさせる食事がない、母子が栄養不足で母乳が出ないなどの問題もあったと思われます。つまり食糧への一定の不安が残りつつも、子供の命を育むためには母子の母乳が欠かせない。故に土偶を制作したとされる男性は、この”命を育む”ことに注視し、乳房を主とした土偶を制作したのではないでしょうか?
哺乳類などの動物も子には母乳を与えます。現代人も母乳をやるのはごく普通のことですが、縄文人の男性は女性がそうして生殖役割を果たした女性に対して、感謝の気持ちをもったのではないか。命を育むことの象徴として乳房に意識を置き、しっかり育つことへの祈りを土偶に込めたのだと思われます。
縄文人の輪廻転生の考えや、生死への意識などからも、命を育むことへの感謝感は十分にあり得えます。
〇中期
外圧状況はさらに温暖化になり、食糧は十分なほど確保できるように。子も母乳や食事に困らないくらいかなり豊かになります。
しかし、この環境下で、命を育む授乳行為への注視は成立しないような気がします。豊さで感謝感は薄まりそうですよね。
では次に土偶を制作した縄文人はどこを注視したのか?に土偶に何を残したのか?
上記でも述べたように中期はかなり豊かになります。食糧には困りません。では次に課題が顕著になるのは子供を産むことです。人口も増え、女性の数も多くなったことでしょう。生殖活動は集団課題ということもあり、変わらず行われていました。
つまり、産んでから命を育むことへの課題意識は豊かさとともに薄まったとすれば、女性は産むことに集中したはずです。
縄文時代はもちろん医療の発展などはありませんから、母子ともに出産時のリスクは草創期・早期・前期となんら変わっていないのです。そうなれば、命を宿す女性の母数は増え、出産できる割合は変わらないのであれば、返って出産できない数が目立つはずです。
そこで、安産祈願のように無事に出産することへの祈りを土偶に込めたのではないでしょうか?
”女性が子を産む”という行為を注視し、象徴としてお腹の正中線や、がっちりとした下半身に現れたのだと思われます。
〇後期
土偶は明らかにかたちを変えます。外圧状況が変わった証です。
後期は、寒冷化を迎え、食糧が確保しづらくなります。植物の栽培を始めていた時期でもあり、不作の時期もありました。食糧がなくなる不安が再び表出するのです。食糧が確保出来なければ、子は育ちません。集団の崩壊危機になるわけです。
”栽培している植物の実が生る”ことに注視し、ちゃんと実ることを祈り、土偶に植物が合体されたと思われます。体は中期を踏襲しており、顔が植物です。
(参考:竹倉史人 『土偶を読む』)※この著書で扱われる土偶は全て後期・晩期であり、外圧状況としても食糧への不安へ陥る寒冷期であったため納得いきます。
祭祀でも豊作を祈ったことでしょう。仮面を被ったシャーマンの存在が集落ではなによりも安心基盤になります。
女性という対象から、シャーマンへと祈りの対象が移ろいでいき、仮面を被ったシャーマンと植物が一体化していく傾向が見られるようになります。
五十嵐ジャンヌ氏が提唱する、”かたちを介したコミュニケーション能力を高めた人類は実在しないものも想像するようになった”は縄文後期以降にも当てはまります。
〇晩期
寒冷化がより悪化します。食糧は益々確保できなくなります。人口も減り、集団存続の危機になります。
食糧確保に対して一層意識が強まったこともあり、祈りを強めるために植物を全身に表現し、より自然と一体化します。遮光器土偶が顕著ですね。竹倉史人氏『土偶を読む』では遮光器土偶はサトイモとされています。
土偶の全身に祈りの対象を宿す、込めることで祈りを最大にしたと考えられます。これを実現するためにこれまで以上に植物への注視は行わなければなりません。注視し、植物の生命そのものに感謝したのだと思われます。土偶を介して植物とやり取りしているみたいですね。
※狩猟のパートナーである犬の土製品やキノコの土製品なども出土していますが、遮光器土偶と比較すると明らかに手抜き感があります。それほど祈りや想いが強くなかった証ですし、祈りの軸としては少々ズレているため争点とはしません。
以上のように縄文土偶は、その存在そのものが祈りであり、対象物なのです。
そして、そのかたちは対象への注視から生まれたものです。故に外圧によってかたちを変え、感謝が生まれるのです。
また、一見すべて違うかたちですが、各時期で「種を残す」ことへの祈りは貫通していることが分かります。
それだけ縄文時代において集団が第一義であり、共同体的思考を持っていたのです。
土偶は祈りの道具であり、精神性そのもの。注視し感謝し、そして「種を残す」第一義の集団課題へ立ち向かっているのです。
投稿者 matudai : 2021年11月17日 TweetList
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