「日本人の起源」を識る~プロローグ |
メイン
2011年09月28日
日本人の民族特性こそ次代の可能性2~縄文体質とは何か?(1)
(北の縄文さんよりお借りしました。)
日本人の民族特性を考えるに当たり、外せないのが「縄文体質」
良くも悪くも現代人に影響を与えていると言われている縄文体質。
その中身とはなんなのか?
2回に分けてその中身に迫っていきます。
皆さん、「縄文体質」と聞いて、どんなイメージがあるでしょうか?
・みんな一緒であることで、安心する
・期待に応え合うことで充足する
・仲間第一、みんな第一
・人の意見を素直に受け入れる
・共同体的、共同生活
・自然と共に生きている、自然崇拝
・貧富の差や階級の区別がない
・友好を旨とする受け入れ体質
などなど、色々、想像できるでしょう。
しかし、よく分らないのが実態だと思います。
続きを読む前にこちらをクリック
いつもありがとうございます 😀
まずは日本人の特徴について整理してみたいと思います。
明治時代に外国人から見た日本人の特徴の記事を見ると、礼儀正しい、気配りが出来る、など日本人と西洋人との違いがよく分ります。
参考リンク:るいネット「外国人から見た日本と日本人」
このような日本人の特徴はどこから来ているのでしょうか?
まずは日本人に限らず、人類に共通する特徴は何なのか、そしてそこから日本人はどのように生きてきたのか、それが見えれば日本人の特徴が見えてきそうです。
人類の根本原理である共同性について書かれた記事を紹介します。
るいネット 「人類の本性は共同性にある①」「人類の本性は共同性にある②」より
>>>
①逆境下で共認機能に全面収束
肢の指の先祖返りによって、樹の上に棲めるというサル時代の最大の武器を失った人類は、想像を絶する逆境に陥る事になる。
鋭い牙も、走力も他の動物に比べて肉体機能が遥かに劣る人類は、地上では狸のような小動物にも負ける存在であり、従って日々の食料も確保できず恒常的な飢えに苛まれ、常に肉食動物の襲来に脅える絶望的な生存状況に追い詰められた。
この様に本能では到底生きていけない(適応できない)状況下で、人類はサル時代に獲得した共認機能(相手と同化することによって充足を得る機能)に全面収束してゆく事となる。つまり恒常的な飢えの苦痛と怯えを少しでも解消すべく、互いに身を寄せ合い安心充足を得る(親和充足)。そしてその充足(と充足を与えてくれる仲間に対する全面肯定視)を基盤に、仲間同士額を寄せ合い、みんなの表情や身振り手振り(評価)を羅針盤として、日々「どうする」の行動方針(=課題と役割)を模策し闘争共認を確立していったのだ。
②共認充足こそ最大のエネルギー源であり、人間の生きる目的
この日々生きる事さえ絶望的な状況の中で得られる共認充足は、人類にとっての唯一の生きる希望であり、唯一最大のエネルギー源でもあった(つまり生きる目的そのものであった)。事実、共認機能に全面収束した人類は、その後必然的に共認充足度を上げるベクトルで共認機能をより進化させていくことになる。
例えば人間に固有の「喜怒哀楽」などの感情やその表現手段の多様性はその一例である。笑顔は相手への肯定視をより発展させた表情であるし、涙は悲しみや喜びの共有を通じて集団の成員の一体感を更に高めるべく生み出されたものである。この様に共認充足度を高めるために、相手への伝達手段や受信能力を発達させていく事で、人類は知能を進化させてきたのだ。つまり共認機能こそが人類の心の中核であり進化の原動力でもあったのだ。
>>
>>
③自我を全面封鎖した共同体の中で人類の本性=共同性は育まれてきた
この様な状況下では自分勝手な振る舞いや仲間を否定する行為(自己中=自我)は、人類の命綱ともいえる共認充足を妨げ、集団の結束を破壊し、集団の存続を危うくする(ひいては個体の生存も危うくする)ため、徹底的に抑制・封印されてきた。つまり人類の本性は共認充足を中核とする共同性にあるともいえる。
そのように自我(や私権)を全面封鎖した共同体の中で500万年に亙ってこの人類の本性は形成されてきたのだ。
~後略~
>>>
このように人類は、人類が誕生した約500万年前から約1万5千年前まで、洞窟暮らしをして、極限状態の中で、共認充足を命綱とし、共同性を築いてきました。
この共同性を基に、日本人は日本の特性の影響を受けます。
(東北大学大学院さんよりお借りしました)
その一つは、自然の豊かさ。
四季折々の風景に象徴されるように、日本の自然は豊かで多様性を持っています。そのような多様な植物、生物がいる中で、採取、漁労生産が成り立ち、自然への感謝の念も生まれます。
もう一つは、極東の島国ということ。
世界的には僻地であるために、日本に侵略してくる民族はほぼ、いなかったと言えます。他民族から侵略を受けなかったことが、日本人の共同体が維持し続け、共認充足をより深められたのでしょう。
このような日本の特性の中で、縄文時代になると、自然外圧をある程度、克服し、集団規模が拡大していき、集団課題が闘争第一から安定第一に変わっていきます。その中で部族維持のために部族内集団間の婚姻制や贈与など、より共認充足を強化する方向に向かっていったのが縄文時代です。
参考リンク:
・縄文時代の婚姻制
・縄文時代の贈与の内容
(なんでやネットワーク「GRAND THEORY Vol.4」よりお借りしました)
この日本の縄文時代は約1万2千年続き、その間、他国から侵略されること無く、採集・漁労生産で共認充足を高め合いながら生き続けてきました。
このように、人類の根本原理である共同性を基に、より共認意識、規範意識を高め、自集団から他集団へも共認域を拡げていったのが縄文時代。その頃に築かれたものが縄文体質です。
この縄文体質の中で、特に興味深いのは受け入れ体質です。一見、どんな意見でも受け入れてしまうように思えるこの体質は可能性なのでしょうか?
次回は、その受け入れ体質の正体に迫ります。
それでは 😛
投稿者 vaio : 2011年09月28日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2011/09/1321.html/trackback