シリーズ「日本と中国は次代で共働できるか」 |
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2011年09月27日
「日本人の起源」を識る~プロローグ
NHKハイビジョンオンデマンドのタイトルから借用しました。
日本人はどこから来たのだろう?この漠然とした問いに答えられる人はそう多くいないと思います。
現在の学者においても北方起源、南方起源で論争し、それらから結局、結論はさまざなま地域から流れ着いた終着点が日本であるというように大雑把な答えにしか行き着かないのがこの日本人論の現在の位置です。
これまで日本人の起源は当ブログや るいネットでも様々に扱ってきました。
大陸の東の果てにあり、北回り、南回りの海流の合流点でも有る日本人は地理的に極めて特徴的で、10万年前に出アフリカを果たした人類が様々な進化の旅を続けて辿りついた終着点に位置するのです。しかもその終着点は既に3万年以上前から温暖化、寒冷化を繰り返す中で北から南から人種が流れ込み、日本列島にその子孫を築いていきました。
その中で1万2千年前から始まった縄文時代ですが、最近の投稿によりY遺伝子追求によって縄文人の起源はD2遺伝子にありそうだ・・というところまで至っています。つまり一つの回答としてD2遺伝子の経路を辿れば日本人の起源を追いかける事ができるのではないかという入り口まで見えてきた訳です。
⇒モンゴロイドの歴史⑥ 日本人は、どこから来たのか?
⇒日本列島ではなぜ多様な人種が存続したのか
しかし、D2=原日本人と固定するにはまだ早いです。
そこで一旦またアフリカ、インドまで戻って人種の経路を追いかけなければいけません。さらにD2が来る前の日本列島に居たと思われるC1やC3といった古い人種もその後の日本人の起源にどのように影響力を与えてきたのか押さえ直す必要がありそうです。
このように今回の日本人の起源シリーズは縄文時代の2万年、3万年も前から、一旦列島を俯瞰してみる事から始めてみようと思っています。私は今でも日本人の文化的起源、精神的拠り所は南方的なものではないかと思っていますが、いくつかの仮説を寄せ集めた直感の域を超えていません。 「南から見た縄文」最終回~南方からの視点で見えてきた可能性
今回、北方起源や日本人の北方的要素が与えるものは何かという辺りからの分析は必要になると思っています。また言語学や骨格、遺伝子などからも緻密に押さえ直す必要があります。
改めて、なぜ日本人の起源を追求するのか?何の目的でその追求が役に立つのか?についても言及しておきたいと思います。
この3月の東日本大震災以降、日本はまさに未曾有の状況になってきています。この未曾有の状況にマスコミも政治も学者のどこからも答えが出てこない、さらに状況の何の歯止めにもならないことが日に日に白日の下になっていきます。
しかし状況がここまでひどいにも関わらず、大衆はいまだ大きな動きは見せず、むしろ諦観した冷めたような意識が蔓延しています。考えない日本、お上任せの日本、いよいよここまで来たりと嘆きたくなるところですが、私もその一員、同様にどう動いていいのかも判らず、日常を過ごす状況です。
これは他の国から見れば極めて異常な事のように映りますが、我々日本人から見ればこれが日本人の民族性と思えてしまうのです。何か事が起きれば騒ぎ、戦い、争う、それが世界の標準かもしれません。しかし日本人は有史以降その西洋的な(危機―要求の)流れには本質的な部分で同化できず、一部支配者間のいやらしい小競り合いや権力闘争が日本を動かしてきましたが、ここに来ていよいよその最上流の一派も化けの皮が明らかになり、日本本来の何か(本質的なもの)が浮上してきているように思えるのです。
そしてその平和・共同志向の民族性は決して否定すべきものではなく、変える必要もないものだと多くの人の意識の中でここに来て整合してきているのではないでしょうか。それが日本人の民族性であり、それが何か?何故にそうなったのか?・・・それを今誰もが求め始めているのだと思います。それを追求するには、形成してきた有史以前の長い歴史を紐解く必要があると思うのです。日本人の可能性をあらゆる観点から導き出す、その一つとして日本人の起源を扱っていきたい~このシリーズの目的として最初にそう定めておきたいと思います。
そして今回の追求をしながら考えておきたいのが、やはり日本人はこのまま平和・共同志向でよいのか?あるいは日本人の変化を嫌う日和見体質はこの激動の時代にどう適応して答えを出していけるのか?という点です。これについては当ブログで並行して進めている別のシリーズ「日本人の民族特性こそ次代の可能性」にその答えを期待して意見を交換していきたいと思います。
縄文ブログ追求チームがこの9月に再編成され、新たな視点が加わり、そのメンバー6名でこのシリーズを始めていきます。
いつものように最初は全く答えがありません。これまでの追求で得た答えを下敷きにし、さらにそこで積み残していた課題を掘り起こし、最後はそれらを統合する答えを提起していきたいと思っています。シリーズ10回の追求の最後に何らか可能性が見えることを期待してスタートしていきます。どうぞご期待ください。
シリーズの今後の予定と扱う内容のメモです。これは追求の中で変わって行きますので文字通り予定として容赦ください。(文中に出てくるC,D,OはY染色体の系統の名称です。)
1)基礎データー編(人口、植生、気温、火山、地形、海流)
5万年前~2千年前までの上記のデーターを整理する。
上記の追求をする中で特に縄文時代初期(1万5千年前後)の日本列島の状況を明らかにしておきたい。以降の追求の基礎資料となるのでできるだけ正確な資料を提供していく。
2)前縄文時代の日本と東アジア
日本列島に最初に渡来した民族の系統を調べる。C3、C1系統がいつどのようにして日本に入ってきたか?またその根拠(人骨か遺跡か)を押さえておきたい。
また縄文時代初期に彼らは残っていたのか、残っていたとしたらその後どのように縄文文化に影響を与えていったか?(例えば土器はいつ誰が伝えたかなど)
この記事はこのシリーズの前半の山である。北方起源説の根拠はここの分析にかかっている。特に最大の謎であるC3系統のルーツを辿っておきたい。
3)日本人の北方由来の系譜を辿る(D2経路)
日本人の起源と目されているD2系統の解明にいよいよメスを入れていく。
これもこの間多くのるいネット、ブログで追求が重なってきている。それらを元に現時点での答えを固定し、D2系統の移動経路を明らかにしていく。
1.D2はいつ、どのような経路で日本に入ってきたか?またその時の気候、地形はどうであったか?
2.D2という民族の特性は何か?スンダランド発のD2系統は北方適応していたのか?
4)沖縄人は日本人の基層か?
沖縄にはD2とC1が並存している。南方海洋民族であるC1は4%に過ぎず、D2は逆に本州を上回る40%に上る。縄文人の基層であるD2がなぜ沖縄に多数残ったのか、D2経路がどのように沖縄まで行き着いたのかを押さえる。さらに沖縄とアイヌが共通祖先だとする説を紹介し、その真偽の見通しを付けていきたい。
5)アイヌ民族の謎(縄文人の末裔か)
アイヌはこれまでも当ブログで追求して来たが、結局上記の疑問に結論を得ていない。一番の理由はアイヌ語と日本語が別の文法であり、アイヌ語は日本語より歴史的には遡るとされている抱合語である事が問題を難しくしている。
縄文人とアイヌ人は別系統なのか繋がっているのか?これを明らかにする事でこのシリーズの最大の難関を越える予感がする。
6)日本人起源を言語から辿る
表題の通りの問題意識。これまで言語学からアプローチした書籍、投稿は多々有るが、第5回の記事を踏まえながら、日本語の起源から日本人の起源にアプローチする。
地球上で最古の人種であるD系統が残っているのは少ない。同様に残ったチベット、南洋のアンダマン諸島などを調べ、その言語的共通性の中から手がかりを探っていきたい。
7)遺伝子と骨格から見た日本人の経路
これまでの投稿で扱った遺伝子と日本人の起源の関連性をまとめる。さらにこれまで扱っていなかった骨格という身体的観点から日本人の経路を探っていく。
8)江南人は縄文文化と言えるか?(O2系統が残した足跡)
日本人の起源は多様な渡来民の終着点という見方ができる。その意味で江南人の影響と彼らが与えた日本への影響を固定しておく必要がある。
9)O3の渡来によって変わった日本、変わらなかった日本
縄文晩期から弥生時代にかけて渡来し、日本人に大きな影響を与えてきた渡来人、渡来文化。ここでは変わった点、変わらなかった点に絞って現在までの日本を見通しておきたい。
10)日本人の起源を識る、可能性を観る
シリーズのまとめを行なう。最後に日本人の起源を追求していくことで発見した可能性と課題を提起する。また、シリーズで追求してきた日本を形成してきた民族の移動足跡を世界地図として固定しておきたい。
タイトルを「日本人の起源」を識る。としました。
改めて事実を元に、謙虚に学んでいきたいという意識をもって進めていきたいと思います。
よろしくお願いします
投稿者 tano : 2011年09月27日 TweetList
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