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2011年05月23日

シリーズ「人類の部族移動」その9 掠奪部族の支配国家と山賊・海賊だらけの世界に

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写真はこちらよりお借りしました
前回は、印欧語族がいつごろ登場したのか、また人類最初の戦争はいつ、どこで発生したのかを見ることにより、印欧語族と戦争の関係を考えてみました。
今回はその後、印欧語族が欧州中に広がっていく過程を見ることで、印欧語族がその後の欧州全域に何をもたらしたのかを見てみたいと思います。
ここでの最大の焦点は、「欧州に拡大して行った印欧語族Rは、共同体を残した掠奪部族だったのか、ただの山賊(海賊)にすぎなかったのか」です。
その違いにより、後の欧州がどのように変わっていくのかが見えて来ると思われます。
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2/6なんでや劇場(4) 3500年前、略奪部族の支配国家と山賊・海賊だらけになったより引用します。
◆コーカサス戦争の引き金

4200年前の寒冷期にコーカサスで戦争が始まり(コーカサス戦争)、印欧語族Rの敗者が四方に大移動を始める。アナトリアへは4000年前のルウィ族R1b、3900年前のヒッタイト族R1bが相次いで侵攻。ギリシアへは4000年前クレタ島にアカエア人R1aが侵入。
4200年前のコーカサス戦争の原因は、コーカサス地方は湿潤化し再び人口が集中したことだけではない。イラン高原の遊牧部族の侵攻がもう一つの理由である。例えば、4300年前にイラン高原から遊牧部族(セム族J)がメソポタミアに侵攻し、アッカド帝国を建てている。この主体は略奪闘争から逃げ延びた山賊集団ではなく、遊牧部族の本体である。このように、メソポタミアには強力な勢力がいるので、4200年前にはメソポタミアを避けて、イラン高原からコーカサスやアナトリアに侵攻したものと考えられる。つまり、イラン高原からの遊牧部族本体の侵攻が4200年前のコーカサス戦争の引き金であり、そこでの敗者が四散した。
(注)5500年前のイラン高原の略奪闘争第一波で移動したのは略奪集団であるが、4200年前の略奪闘争第二波の主体は遊牧部族本体である。そして、この時代は、セム系J、Eが印欧語族Rよりも優勢である。

※つまり、印欧語族は4200年前の戦いで蹴散らされた部族であり、その意味でもコーカサス戦争が印欧語族の自我・私権性の起源なのではないだろうか。
4200年前のコーカサス戦争によって移動したのは、敗者である印欧語族の一部であり、(掠奪部族としては)弱者であったと言える。
◆共同体を維持した掠奪部族と山賊(略奪集団)が各々向かう先はどこか

4200~4000年前 コーカサスから印欧語族の一派R1aが西欧へ侵入し、原欧州人I(ケルト人)が北方や南欧の僻地に追いやられる。(注)2000年前のローマ人が「ケルト人」と呼んだのは印欧語族であって、原欧州人とは異なる。中心地ローマから見て辺境なので「ケルト人=野蛮人」と呼んだにすぎない。
4200年前のコーカサス戦争で全ての印欧語族Rが移動したわけではない。移動したのは、おそらく1/3~1/2であろう。
その中で欧州に侵入した印欧語族Rは共同体を維持した掠奪部族か?山賊(略奪集団)か?
一般的に考えて、略奪集団(山賊)は一時しのぎで目先に餌のありそうな所に向かうが、共同体質を残した部族であれば、餌があろうがなかろうが部族共同体維持の可能性が高い、つまり戦争が避けられる僻地に向かうはずで、だからこそ共同体質を温存することになる。
例えば、ゲルマン人は部族共同体として移動した可能性が高い。∵彼らは2000年前の段階で農業だけでは食えないので略奪を生業としていたが、現在のドイツ人の勤勉性から考えて、部族共同体として移動した可能性が高い。
一方、交易で儲かりそうなギリシアに侵入してミケーネやアテネをつくった連中は山賊集団の群れであった可能性が高い。その好戦性や侵略性、あるいは享楽性や労働忌避(奴隷の使用)なども、ギリシアやローマに向かった印欧語族が山賊集団であったことの傍証である。
但し、4200~4000年前の段階ではギリシアに入った印欧語族も部族として移動した可能性が高い。

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画像は「地球人の歴史」よりお借りしました
ここでゲルマン人についての特徴を確認します。
ゲルマン人は、「ゲルマン人の登場と生産様式」によれば、彼らの生業である農耕と牧畜のうち後者にウェートがあるための遊牧に起因するものではなく、ゲルマン人は、農・牧のいずれにウェートがおかれていても、決して遊牧民族ではなく、まぎれもなく農耕民族であった。
つまり、共同体性を残していることがここでも伺われます。
◆交易の地、地中海

5000年前~のギリシアのクレタ文明初期(エーゲ文明)は、セム族J主導だが黒人色が強い平和な文明だった。
4000年前に印欧語族アカイア人R1aが入ってきて、クレタ文明中期から文明の中身が変わる。しかし、変化の中身は、宮殿ができたこと、土器が登場したこと、線文字Aが生まれた程度である。支配階級も登場していたようだが、この段階では、アカイア人が完全に支配したわけではなさそうである。
クレタは5000年前の初期(エーゲ文明時代)から交易を生業としていたので、そこで財を成すものが登場する。この交易の勝者が支配階級になったと考えられる。4000年前のアカイア人第一波も山賊海賊ではなく、交易部族としてやってきて、クレタ文明を支えたということではないだろうか。だから中期クレタ文明も大きくは平和的だったのである。

共同体性を残した集団は偏狭の地、西欧へ。共同体を失い山賊集団と化した集団は、交易の地、地中海へ向かったということです。
クレタ文明の特徴は、
  海岸近くの町が土塁をつくっているだけで砦すらない。
  家畜を飼い、作物を育て、簡単な陶器を作るなど素朴な生活を営んでいた。
  女神を祀る母系社会だった。~ミノス(クレタ)人とは?
 この様に、かなり平和な生活だったようです。
◆本格的な侵略のきっかけとなった第2次コーカサス戦争

このように、4200~4000年前の印欧語族第一次移動の段階では、共同体として移動した部族もいたと考えられる。ところが、3800年前の印欧語族の第二次移動からは様相が変わる。これは温暖化に伴うコーカサス地方の乾燥化によるもので、4200年前のコーカサス戦争の勝者が移動してきた。
印欧語族のうち、アーリア人が遊牧部族としてイラン・インドに侵入し、アカイア人第二波はペロポネソス半島に入り、3600年前ミケーネ文明を建て、3400年前にクレタ文明滅亡に追い込む。
このミケーネ文明の特徴は、好戦性・略奪性が強く、大量の奴隷を使用していること。つまり、力の原理(男原理)が骨身に染みるほど強力であるということであり、女原理と決定的に対立する。部族共同体であれば、こうはならないはずなので、ミケーネ文明を建てたアカイア人第二波は略奪集団であったと考えるべきだろう。こうして、3500年前には略奪闘争の玉突きによって、地中海沿岸とメソポタミア・コーカサスには略奪部族の支配国家、あるいは山賊・海賊しか存在しない状態になったと考えられる。

ミケーネ文明の特徴:
  クレタ文明時代にはなかった、大きな砦(城壁)が登場
  お墓に武器が埋葬されていたり、つぼに武装した兵士たちが描かれている
  ピュロスでは、大規模な宮殿奴隷が存在している
  つまり力の原理(男原理)が骨身に染みるほど強力である
  (他部族を)支配し、(他部族から)冨の略奪をしていた
などがあげられます。~日本を守るのに右も左もない「クレタ文明を滅ぼした『ミケーネ文明』
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写真はこちらよりお借りしました
また、アーリア人は、戦車により各地を侵略し、青銅器文化だった当時のヨーロッパを戦車と鉄の斧で席巻して行ったようです。~アーリア人とは?
以上よりまとめると、
第1次移動:4200年前の印欧語族の移動の主体は、コーカサス戦争の負け組みだった。また、多くは共同体性を残した部族であり、したがってまだこの段階での周辺への影響はそれほど大きくは無かった。
第2次移動:3800年前の大移動は、4200年前の戦争の勝者(以降そこに居座っていた)が移動してきた。戦の勝者であったくらいだから、より好戦的で掠奪性が高い連中であろう。よって、初めから掠奪することを目的に各地に移動してゆく。=自我・私権性を持ち込むことになる。
このように自我・私権性の塊となった略奪集団印欧語族の欧州各地への移動により、その先々で平和な文明を破壊し、掠奪集団による支配国家へと変質させていきます。
次回は当時の欧州の中心地であった地中海沿岸部について、詳しく見てみたいと思います。

投稿者 saah : 2011年05月23日 List  

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コメント

鉄は奥が深すぎて調べきれていないので楽しみです!
僕も鉄は好きで刃物のHPなどみてウットリしてます。鉈と鋸をさせる二丁差しが欲しくて物色してます。
「鉄もまた祈りの対象」という視点に同感です。僕は風神雷神は気象の神様ではなく鉄の神様だと考えています。しかも相当古い弥生時代以降の神様ではないでしょうか?
それと日本神話でのヤマタノオロチは山を表し、オロチの血・山の血は酸化鉄(赤さび)だと思っています。
そのため蛇と刃物(鉄)は対立関係だけでなく同類関係にもなると思います。

投稿者 firstoil : 2011年11月17日 23:21

firstoil さんコメントありがとうございます。
鉄については追求すればするほど面白いですね。
支配と鉄を絡めた記事はこれまでたくさん書いたのですが、「鉄もまた祈りの対象」という見方は今回初めてさせていただきました。道具に対する愛着や信頼は古来の縄文人の時代からあったかもしれません。
弥生シリーズをどうぞお楽しみに。

投稿者 tano : 2011年11月23日 02:38

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