「南から見た縄文」6~早咲きの南九州の縄文文化 |
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2011年05月02日
シリーズ「人類の部族移動」その6~1万年前以前の南欧以北の欧州と原欧州人
シリーズ「人類の部族移動」その1~人類史を追求する意義と視点
シリーズ「人類の部族移動」その2~モンゴロイドの誕生と拡散~
シリーズ「人類の部族移動」その3~南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生 ~
「人類の部族移動」1,2,3の中間整理
シリーズ「人類の部族移動」その4~中国文明とは何か
シリーズ「人類の部族移動」その5~縄文人の起源と日本人の可能性
シリーズ「人類の部族移動」は、モンゴロイド、中国、日本と東洋について扱い、
“6回目”となる今回から“西洋”に入ります。
西洋=ヨーロッパ人と言えば、白人、金髪、長身で・・・・
というイメージが沸いてきて、民族で言うとゲルマン人の大移動やローマ帝国といった帝国支配など、民族の入れ替わりの激しさが思い浮かびます。
それ以前の先史と言われる1万年以上前の欧州はどうだったのでしょうか?
2/6なんでや劇場(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった
【資料】
①「■コーカソイドの部族移動」図解リンク
②「■Y染色体亜型の世界的分布」地図リンク
地中海沿岸、ギリシア・ローマ、エジプト・シリアといった周辺には、8~6万年前には黒人が進出していたと考えられる。
5~6万年前から2万年前までは最終氷期。但し、最終氷期の間には、4万年前等比較的温暖な時期もあり、欧州ではクロマニヨン人(新人)の生存が確認されている。ネアンデルタール人(旧人)の生存も確認されているが、3万年前には絶滅。
最終氷期終了後も、1.3~1.15万年前にはヤンガー・ドリアス期(最後の極寒期)がやってくる。この極寒期(-8℃)には旧欧州人は南下したため、1.1万年前の時点では南欧以北の欧州は無人化した。但し、南欧、例えばスペインのバスク地方にはそのまま住み続けており、現在のバスク人(白人で長身)はクロマニヨン人直系の子孫と考えられている。
1万年前からの温暖期にステップの北上に応じて、一旦南下した欧州人が東欧・北欧に北上した。当時は、西欧や北欧はステップ地帯だったが、アナトリアやコーカサス、メソポタミアは森林地帯で、その一部を開墾して農耕が開始。イラン高原もステップ地帯で牧畜や遊牧が営まれていた。
■人類が出アフリカから始まって世界各地に分散していく様相がY染色体亜型分類の系統樹から読み取れる 参考投稿
Y染色体亜型分類の系統樹
■ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析 に関する参考投稿
ヨーロッパのY遺伝子分布はどうなっている?(画像付) 1
ヨーロッパのY遺伝子分布はどうなっている?(画像付) 2
ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析より 1
ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析より 2
ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析より 3
ヨーロッパ最先端のY遺伝子分析より 4
●1万年以前のヨーロッパ 化石(ネアンデルタール人、クロマニヨン人)、遺跡から
上部旧石器時代(4万年前~1万年前)のヨーロッパ
●欧州人と言えば“白人”を思い浮かべるが、昔から白人だったのか・・・・
元来は『黒いアテナ』、近代ヨーロッパが「白いアテナ」に偽造した
ウキペディアより
バスク国
先史時代
現在のバスクの領域には、後期旧石器時代から人間が住み続けてきた。アルタミラ洞窟(スペイン・カンタブリア州)やラスコー洞窟(フランス・ドルドーニュ県)同様、フランコ・カンタブリア美術に属する洞窟絵画の遺跡が、バスク地方から見つかっている。
同じく、
2/6なんでや劇場(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった より
1.3~1.15万年前の極寒期の欧州は、本当に無人だったのか?
極寒期の人類遺跡があるかが最終的な決め手であり、今後も調べて証明する必要があるが、比較的温暖期の遺跡が見つかったからと言って、そこに人類が住み続けていたとするのは大間違いである。例えば、バイカル湖周辺で比較的温暖だった4万年前の遺跡があったことをもって、NHKや学者たちはあたかもそこにブリヤート人が住み続けたかのような報道をしているが、文献調査の際には彼らのアホさ加減を頭に入れて調査する必要がある。
まず、極寒期の人類に同化する必要がある。
まず減ってゆく食糧を確保するには、弓矢をはじめとする武器が必要であり、寒さに耐えるためには防寒が十分な衣服が完成している必要がある。3万年前には防寒具も弓矢も発明されておらず、洞窟で暮らしていたのが当時の人類である。そんな人類が極寒期に北方で生存できるはずがない。そういう部族にとって、洞窟を出て移動することは生存確率1割以下の危険な賭けである。まして、寒冷期に食糧がなくなってゆき、追い詰められた上での移動は、生存確率1~2%の「決死行」となる。実際、ネアンデルタール人は手遅れで絶滅した可能性が高い。
NHKの番組によれば、シベリアのマリタ人は移動テントで暮らしていたとのことだが、移動テントであれば寒くなれば簡単に移動するのであって、寒い場所に居続けたなどということは有り得ないだろう。
(後略)
●1万年前から温暖化し、7800年前からは最温暖期に入る。
それ以前に、アナトリアやギリシアに居たのは黒人である。そこに1万年前以降、セム族Jやハム族Eが登場し、アナトリアやギリシアに移動してきた。
欧州に北上してきた原欧州人はI型(北方はI1、やや南方にI2)。巨石文化を築いたのも彼らである。その後やってきた印欧語族Rが欧州中心部を占め、Iは北欧や南欧の端に追いやられたというのが、Y染色体分析から見えてくる事実である。
北欧に追いやられたIはN(東南アジアで発生したモンゴロイドか?)と混血した。その典型がフィンランド。
南欧の端に追いやられたIを何人と呼ぶべきか?
現在のケルト人は印欧語を話すが、それは印欧語族に征服された結果であって、元々から印欧語をしゃべっていたわけではない。ケルト訛りがあることが印欧語よりも古い言語であることを示している。また、ケルト人は氏族共同体的な風習の名残を残している。このことから、ケルト人は印欧語族が侵入してくる前の原欧州人だと考えられる。
「ケルト人は印欧語族ではないか?」と混乱しがちだが、その混乱の源は、2000年前ローマ人がガリアにいた部族を「ケルト」と呼んだことにある。ローマ人が名づけた2000年前の「ケルト人」は印欧語族である。中心地のローマからみて辺境の全部族を野蛮人と総称し「ケルト人」と呼んだにすぎない。
逆に言うと、元々は「ケルト」という名称は、印欧語族の欧州侵入以前に欧州全域に広がっていた部族を指す呼称だと考えられる。従って、他に有力な証拠が見つかるまでは、印欧語族侵入前にいた原欧州人Iをケルト人と呼ぶこととする。
■ケルト人 に関する参考投稿
【ローマ】ケルト人とは広域な民族を指す
ケルト文化が色濃く残された地、先史時代の巨石群 の 画像は こちら からお借りしました。
■1万年前からの温暖化と気候変動 に関する参考投稿
古代の気候変動と植生など(1万5千年前~3000年前)
西洋文明の基層を探る(2) 6000年前までの欧州の部族移動
■セム語族とハム語族の移動 に関する参考投稿
セム語族・ハム語族の形成(中間整理)
11/28なんでや劇場(2) 白人の部族移動の歴史
第二次世界大戦後、世界をリードしてきたのは(間違いなく)アメリカであろう。そのアメリカも現在、陰りをみせはじめている。アメリカの歴史を紐解くと、先住民であるインディアンをほぼ皆殺しにした上に成り立っている。コロンブスの新大陸(アメリカ)発見は、欧州人からの視点であり、客観的に見れば侵略でしかない。歴史の長さもその新大陸発見から数えればせいぜい400~500年しかない。その侵略した欧州人の歴史も、
1.1万年前の時点では南欧以北の欧州は無人
であり、
原欧州人は、その後やってきた印欧語族によって北欧や南欧の端に追いやられ
ている。ように、単なる民族移動ではなく、また積み重ね、塗り重ねられるのではなく一掃されていっている。
投稿者 sodan : 2011年05月02日 TweetList
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コメント
投稿者 ダイエットとアンチエイジングの◆吉野ゆう : 2011年10月10日 10:23
吉野さんへ
返信、有難う御座います。
「ハーモニー!」
そうですね、触れれば触れる程におくが深そうそうだし、自然の響き合いは気持ちよさそうですね!
分かったことを一つ一つまとめて投稿してゆきますので、又、遊びに来てください!
投稿者 sakashun : 2011年10月20日 22:57
受け入れ体質とは、極限時代500万年を生き抜いた人類の可能性収束先であり、柔軟性を持った懐の深い適応体質といえます。現在の未曾有の超難課題に対する唯一の可能性収束先ともいえます。たかが200年しかない(破壊しか出来ない)近代思想などは太刀打ちできるものではないと言い切れます。
この言葉が日本人の可能性として全てを物語っていますね。
まずは受け入れる。簡単な事のようで意外と簡単ではありません。
これは現代人にも置き換える事ができる”必要な”こころのありようであり、基本的規範にもなりうると思います。
まずは状況を受け入れて柔軟に対応し、新しい物を作り出していく。常にそうありたいと思います。
投稿者 tano : 2011年10月23日 01:20
こんにちは、吉野と言います。
日本人の受け入れ体質も
人々のハーモニーを計る
大事な要素かもしれませんよね。
素晴らしい記事で大変
参考になりました。
ありがとうございました。
また遊びに来ますね。