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2011年04月16日
中国とは何者なのか?
なんで屋劇場「実現論・私権時代の改訂」シリーズは、モンゴロイド・コーカソイドの移動史を踏まえて、各地域の民族性がどのようにして形成されたのかの、構造化の段階に入っています。前回は「欧米人の、侵略性と支配志向と観念収束の成立構造」を扱いましたが、引き続き、東洋、特に中国人の特徴とその成立構造の解明に入る予定です。劇場は目下、緊急課題である地震シリーズもありますので「実現論・私権時代の改訂」シリーズの再開予定は未定ですが、決まり次第、また告知させてもらいます。
そこで、しばらく「中国史の解明」を続けていきたいと思います。今日はまずは近くて遠い隣人=中国とは何者なのか?という問題を仲間でディスカッションしましたので、そこで出された、中国の特徴と、調査課題について、議事録代わりに投稿させてもらいます。
● 中国とは何者なのか?
みんなから出てきた中国に関するイメージと疑問をキーワードにまとめると・・・。
1)国家レベル:アジアの大国・・・しかし、争いが絶えない。この国はどうやって統合されているのか?
共産主義といいながら貧富の差が激しい。官僚制の歴史が長いこともあって、中央集権的。易姓革命や官僚制度をはじめ、世襲はあるが絶対ではなく、転覆可能性がある。しかも社会主義市場経済に代表されるような、本音or実利と建前orお題目の国。漢字によって統合されているといわれるが、果たしてこの国は統合されているのか、どうなのか?
写真は王という漢字の語源となった古代中国の儀器としての鉞(まさかり)。漢字は象形文字として生まれた。王という字は王権を示す儀器としての鉞(まさかり)の象形であるとされる。儒は「雨を求める人」である。そのような東洋のシャーマニズムとして漢字は始まった。他方、中国を束ねるものは商業ネットワークである、とする視点もある。http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=249296 呪術としての漢字による統合と、商業による統合・・・。この2者の関係が説ければ中国の秘密に迫れるのではないだろうか?写真はこちらからお借りしました。
http://gitanez.seesaa.net/article/109731759.html
2)集団レベル:個人主義or集団主義、いったいどっちだ?
貧困の圧力そして北方からの騎馬民族の攻撃もあって、集団移住が繰り返されてきた。それが一方では「宗族」といわれる父系制を強化しつつ、都市ではばらばらになった難民たちが職業や出身地を媒介に結束する幇(ぱん)を作り出してきた。しかし、他人を見たら敵と思え、というような他者に対する警戒心も強固で、厳罰主義的な色彩も強い。(少なくとも人権思想ゆえの死刑廃止論などからは一番遠い国である)し、万元戸と呼ばれる成金が急に登場するという傾向も持つ。果たして、彼らは個人主義or集団主義、いったいどっちなのだろうか?
写真はよく中国映画で目にする中国秘密結社の映像から。幇(ぱん)の一般的なイメージはこのようなものだが、勿論、もっとオ―プンな互助組合的なものも幇(ぱん)。最近、ちょくちょくよる中華料理屋さんには中国出身者のサロンのようになっているが、こういうものも幇(ぱん)というのだろう。おそらく世界各地のチャイナタウンは中国人の互助組合としての幇(ぱん)として機能している。写真はこちらよりお借りしました。http://bukiyou-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_b9b1.html
3)家族レベル:中国人にとって性って何だろう?
宦官や女性の纏足等、性におおらかというよりは、抑圧的。父権が徹底しており恋愛の可能性はかつて非常に小さかった。同時に夫婦別姓に代表されるように、夫婦は他人=冷めた夫婦関係で、恐妻家が多い。かたや道教の流れを汲む健康術としての「性」の実践理論はある。中国人にとって性・婚姻はどんな意味を持つのだろうか?
写真は纏足のために変形した足。ちなみに西太后は纏足反対運動を起こしたというから、男たちの女性支配欲の象徴であったのであろう。写真はこちらからお借りしました。http://yaplog.jp/konohanasaku/archive/1069
●中国を統べているのは徹底した力の原理=現実主義とそれにもとづく私権規範、私権観念
さて、これらの問題を考える基礎として、西洋との対比を考えてみた。例えば、「社会主義市場経済」にしろ「一方で儒教の徳を唱えつつ、法家の厳罰主義で対応する」ということにしろ、「ヤクザ的な義理人情の世界がある一方で、契約を守らない」ということにしろ、私たちは中国に矛盾したものを感じる。つまり「本音と建前」を使い分けているように思う。
しかし、この中国の「本音と建前」に対する違和感と、西洋社会が持つ「ダブルスタンダード」あるいは「二枚舌」に対する違和感は、微妙に、しかし決定的に違う。
例えば、西洋は「契約が大事」といっておきながら、「想定外のことが起こった」とかいって「契約」を破棄し、それで儲ける。これが、リーマンショック等にみられる、西洋発金融資本家の騙しの手口である。あるいは一方で「人権外交」や「テロ撲滅」を声高に叫びつつ、他方で「軍事独裁政権」を支援し、利益を挙げている。これが、軍産複合体の手口である。
他方、中国はどうか。中国にはそもそも契約という観念も人権という観念もない。あるいは徹底した力の原理=現実主義とそれにもとづく私権規範、私権観念のみである。
例えば、儒教が説くのは「目上を敬え」あるいは「父系の先祖を敬え」という「序列規範」あるいは「私権規範」であり、この規範を守れる人材が「有徳者」である。
例えば、徹底した力の原理=現実主義にたつから、「易姓革命」として「権力闘争」は正当化されるし、世襲による堕落を防ぐために「官僚制」が導入され、国民も私権を追い求めて「試験勉強」に励む。
例えば、貧困とそこからの脱出欠乏を最大の活力源としているから、一方でヤクザまがいの義理人情の世界がありつつ、そのような人レベルで判断するから紙だけで契約、ということはありえない。
このように、「徹底した力の原理主義=現実主義とそれにもとづく私権規範、私権観念」によって統合されている、と捕らえれば、矛盾なく中国を理解することが出来る。逆に言えば、欧米人とは、私権規範、私権観念ではなく、一見本源風の「欺瞞観念、倒錯観念」を用いる人々であり、だからこそ、二枚舌、ダブルスタンダードだと世界中から感じられるのである。
しかし、欧米風のダブルスタンダードではないとしても、なにか中国に矛盾を感じてしまうのは、むしろ日本人が力の原理主義あるいは私権の現実主義と、縄文以来の本源価値、本源規範の間で矛盾を感じ、揺れてきた民族であるからであろう。
縄文以来の人間観はまず相手を肯定視する、相手を受け入れるところから始まる。そうすると、一方で徳を説きつつ、他方で厳罰主義を取る中国は矛盾しているように感じる。しかし、それは日本人だから感じる矛盾なのであって、力の原理主義で貫かれている当の中国人は矛盾と感じていないのであろう。
日本が世襲を容認するが、中国では腐敗した世襲世代は、あっという間に易姓革命で転覆される、というのも、日本では(本源意識から)秩序収束力が強く生起するが、中国では力の原理=序列転覆への収束力が大きいからなのであろう。
「中国を統べているのは徹底した力の原理主義とそれにもとづく私権規範、私権観念である」と理解する。この視点から、男女問題の疑問も、集団統合の疑問も解けるのではないだろうか。次回以降、男女、集団、国家の各問題を解いていきたい。
投稿者 staff : 2011年04月16日 TweetList
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コメント
投稿者 大善士 : 2011年9月29日 09:21
大善士さん。こんにちわ(ニーハオ)
コメントありがとうございます。
あなたのブログを見せていただきました。全部中国語で私は中国語を読めないので文字は理解できませんでしたが、写真をたくさん見せていただきました。とても表情豊かな動物達がたくさんありますね。
このシリーズでは中国の事をもっと学び理解するためのものです。現在、中国は反日運動が盛んで、国と国の中国との関係は冷えていっていますが、大善士さんのような友好的な中国の方もたくさんおられる事を理解しました。
ぜひこのブログへ訪問いただき、中国と日本の事を考えていきましょう。ところで大善士さんは中国のどのあたりのご出身のかたなんでしょうか?
投稿者 tano : 2011年9月29日 12:45
こんにちは、私は中国人です、私は日本の文化が好きで、私は日本の上古史に対してとても好奇心があって、今後よけいに交流することを望みます。
これは私のBloggerです、君が見学しにくることを歓迎します(^^)
http://zhengminshi.blog.so-net.ne.jp/