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2014年04月15日

日本における仏教が果たした足跡2~仏教が多様化したのはなんで?

 前回(日本における仏教が果たした足跡1)は、インドにおけるブッダ誕生から初期仏教の形態を見ることで、仏教は「学問」なのか「宗教」なのか?を追求しました。 

 学問的要素は強いものの、「宗教」として成立した仏教ですが、ブッダの死後、インド国内において、様々な経典が作られ、部派もたくさん現れます。

 今回は、その成立過程を追うことで、仏教が多様化するのは何故なのか?どうして、中国、そして日本で受容されたのか?を中国・日本で主に受容された大乗仏教を中心に、探って行きたいと思います。

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◆ブッダ入滅後から根本分裂

 ブッダ入滅後、第1次仏典結集以後、出家者たちの中には、「遊行生活」から「定住生活」へとシフトし、教団を形成しはじめる比丘が出てきます。その教団の発展につれて、教理を記した経典は、ブッダの説法の記録という形をとって、部分的に少しずつ編纂され、経典を日常読誦することも行われ始めました。日常的に読誦することで、ブッダの言葉を肉体化しようとしたのです。

 しかし、その初期の仏教教団を取り囲む社会は、相変わらずのバラモン教的社会であり、しかも、教団内でも50%以上がバラモン階級出身でした。そのため、ブッダの滅後、原始仏教の時代に、バラモン教的価値観が次第に教団内に影響を及ぼすようになります。

 その教団内では、ブッダの説いた合理的な教法がまだ実践・修行されていました。しかし、ブッダ以来の教法、修行があっても「悟り」が見失われてしまいます。仏教の最終目標は「悟り(この世界の法則を識り体現すること)」であるにもかかわらず、ブッダに直接師事し悟りの経験をした弟子が誰もいない時代になると、ブッダ以来とされる教法、修行法に基づいて修行しても悟る者は殆どいなくなってしまったのです。

 そうなると、悟りはブッダのような天才だけが達成できるものとされ、ブッダは神格化されてしまいます。

 それに加え、バラモン的考え方から、在家に対する出家の優位の強調(神格化されたブッダの悟りを識るのは出家者のみ等)もはじまり、さらに厳格な戒律主義が横行するようになります。その結果、戒律が閉鎖性を生み、世俗の社会との距離が大きくなっていくことになりました。

 そんな中、もう一度仏典結集(第2次仏典結集)が行われました。これは当時の長老達が、さらに戒律をより強固なものにしようとして行われました。

 これに異を唱えた人たちもいましたが、長老達は強行採決により、全ての戒律を遵守することを決定しました。生前、ブッダは皆の合意があれば、戒律を廃止しても良いと述べていたのにもかかわらず、それを無視する形となりました。

 この時に異を唱えた人たちが、主に南部インドにおいて、時代や地域ごとに戒律を変えていこうとする、大衆部でした。ここに、戒律・出家優位を説く保守的な「上座部」と、地域に根を下ろした、進歩的な「大衆部」とに根本分裂します。

 

 上座部系統の諸部派は、教理においても実践に関しても保守的伝統的であり、社会の上層部(王族等)は上座部系統を支持していました。これが後に南方アジアへ広がっていきます。

 対して、大衆部系統は、一般民衆(商人、農民)に支持されていたため、実社会と緊密な接触を保ち、その影響を受け、時勢に適応する進歩的改革的態度を保持するに至りました。

 この2派の分裂は、アショーカ王の時代(紀元前三世紀頃)とほぼ同時期であり、この時代には、全ての宗教が保護を受け、上座部も大衆部も興隆し、周辺諸国へ伝播していきます。

 その後も分裂は続き、マウリア朝が倒れると、次はバラモン教を国教とする王が立ち、バラモン(ヒンドゥー)教が勢力を盛り返すことで、仏教は衰退の一途を辿ります。これは、バラモンがインド社会と一体化していたのに対して、この頃の仏教教団は、世俗の社会から離れた閉鎖集団であったと同時に、分裂を繰り返しながら、小集団化していったことに起因します。

 

◆部派仏教から大乗仏教

 ヒンドゥー教が隆盛になり、仏教が衰退し始めると、大衆部の延長として、各地で大乗仏教が興起します。この大乗仏教は、様々な地域でほぼ同時的に発生し、それぞれで経典が作られました。

 当時は、マウリア朝のような大帝国はなく、小国が乱立割拠し、異民族の流入も激しくなっている混乱期でした。

 そんな混乱期をよそに、仏教教団は相変わらずの閉鎖集団のままであり、民衆に救いの手を差し伸べるでもなく、自分達の修行の完成を第一としていました。

 こうして教団は、いつしか自分のこと(阿羅漢になる)しか考えない集団へと変わっていき、ブッダが生前行っていた、自ら各地を遊行し、苦しむ人を救うという行為は皆無になって行きました。
 また、政治的には、ヒンドゥー教を擁護する動きが盛んになり、さらに民衆の心が仏教から離れていく状況になっていました。

 そんな中から、教団のあり方に異を唱え、ブッダが本来目指していたことは何か?とその原点に帰ろうとする僧や在家信者が、それまでの知識(経典の言葉)を総動員し、各地で新たに経典を創り出します。これが大乗経典と呼ばれるものになります。

 彼らは、ブッダの言葉の奥に隠された真意を追求し、その時代の人々の期待を加味しながら、経典としてまとめました。それは、ブッダが悟りを得てから死ぬまで行っていたように、僧院に閉じこもるのではなく、大衆の中に入って、ともに悩み、解決の道を示していくことが本来の道であるといった、菩薩行を行うことでした。

 この大乗経典編纂は、ある1つの地域の1人から始まったのではなく、遠く離れた地域において、ほぼ同時的に行われました。そのため、後に第2のブッダと呼ばれる龍樹(ナーガールジュナ)が現れるまでは、他の地域で同じような経典が作られていることは、互いに知る由もありませんでした。

 それほどまでに、各地の仏教教団が民衆から遊離し、ヒンドゥー教にも押されていたということでしょう。そこに危機意識を持った僧が各地で立ち上がり、大乗仏教運動となっていきました。

 この時に編纂された大乗経典が、シルクロードを伝い、中国に伝来し、朝鮮や日本へと伝えられることになります。

 

◆大乗仏教の特徴

 この大乗仏教の特徴を上座部を筆頭とした「小乗」との比較でみてみます。

 第一、小乗派が「仏」ではなく「阿羅漢(仏の一歩手前の境涯)」になることを目的としたのに対して、大乗派は「仏」の境涯を目指して「菩薩」の修行・実践を行うことでした。

 「阿羅漢」になるための修行が個人で完結していたのに対し、「菩薩」の修行・実践は、苦しみ悩む人に対して、法を説き、解決方法を見出すことで、互いに「仏」の境涯を目指すといった、随他意の修行でした。

 第二、小乗派が業法思想であったのに対し、大乗派は願行思想でありました。前者が輪廻の苦を離れようとする他律主義であったのに対し、後者は仏となる為に願って苦を受けるといった自立主義でありました。

 第三、小乗派が自己ただ1人の完成のために修養、努力する自利主義であったのに対し、大乗派は、全ての民衆を救済し、社会全体を浄化、向上せしめる利他主義でありました。

 第四、小乗派がブッダの説法(初期仏教経典)を金言と仰ぎ、教団統制のための戒律を厳格に守って、仏典の語句をいちいち金科玉条としていたのに対し、大乗派は、ブッダの根本精神(どんな事象にあっても、その真相を深く把握し、乗り越えていく生き方)は変えず、現実に合わせて、その精神を元に解釈や考え方を変えていくことを是としていました。

 第五、小乗派はあくまでも理論に注力していたのに対し、大乗派は理論よりも実践を重視していました。

 第六、小乗派が出家的・専門的であったのに対し、大乗派は在家的・大衆的であったことです。

 

 以上より、小乗は、専門的な出家僧侶によってしか理解できない教義の研究に没頭して、仏教を閉じた宗教としたのに対し、大乗は、出家と在家の差別を認めず、利他の思想とその実践を以って、仏教を一般化して広く開かれた宗教としました。そこに根本的な違いがあります。

 そして、その実践を通じて国を治めるならば、国が栄えるとする経典が作成されます。それが、日本で護国三部経と呼ばれる経典(法華経、金光明経、仁王般若経)です。

 この中の特に、金光明経、仁王般若経には、国主が「法(ダルマ)」に基づき、国家活動を行うならば、国家は守られ、繁栄するという教えが説かれています。

 

◆大乗仏教から密教へ

 原始仏教から部派仏教、そして大乗仏教へと多様化していったインド仏教でしたが、ヒンドゥー教が国教化され、弾圧が強まるに従って、一部の僧侶達は、徐々にヒンドゥー的な要素(祭式や呪句等)を取り入れてゆき、密教と呼ばれる新たな形態を生み出しました。しかし、密教化する過程で、次第にヒンドゥー教との区別が曖昧になっていき、僧侶はまたもやバラモン的存在になり、一子相伝が当たり前になっていきました。結果、当初の目的(信者獲得)を達成することは出来ず、出家修行者と民衆の信仰が乖離するようになっていきました。

 

 

 以上、インド国内において仏教が多様化してきた様子をみてきました。
 ここから、多様化する理由についての考察は、次回投稿します。また、後期大乗仏教の特徴から、中国・日本において、仏教が受容された理由についても考察していきます。

投稿者 tanog : 2014年04月15日 List  

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