コロナ後は生活が変わる~江戸に学ぶシンプル生活の知恵2 「世の中にはわからない事もある」⇒「実はわからない事だらけ」というのが事実 |
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2020年12月10日
自然から発火の術を学んだ人類の原点に返って現代を見つめ直す。
人類が最初に手にした火は、落雷や火山の噴火による自然火災によってもたらされたものだと考えられています。
このようにして手に入れた火は、夜の闇を照らす「明るさ(光)」と「暖かさ(熱)」を与えてくれました。まだ自分たちで火を起こすことのできなかった人々は、夜行性の獣から身を守ってくれ身体を温めてくれる火を大切にし、これを絶やさぬように番をして守りつづけました。
やがて、風でこすれあう木の枝から発火するのを見た者が自然から発火の術を学び取り、人類は発火の術を手に入れます。渇いた木を横に寝かせ、その木に垂直に別の木を当ててこすり続け、摩擦によって熱を蓄えて発火させる方法は世界各地で行われたようです。 人類が火を手に入れた経緯については様々な神話にもそのエピソードが語られていて、今でも神社のお祭に木の摩擦によって発火させる儀式があります。(出雲大社や伊勢神宮)1929年には中国で発見された50万年前の北京原人の遺跡から火を使った痕跡が発見されていますので、人類と火の歴史は少なくとも50万年前にさかのぼると考えられます。
石器時代は、およそ200万年もの昔に遡るという。石と石をぶつけながら作り上げた石斧や磨いて作った石皿など、図鑑の写真や博物館の展示で知られている。すでにこの時代の石器人たちは、火山や落雷など、さまざまな自然現象の結果として十分に火を知っていた。もちろん、その火を手に入れて生活に使用もしていたのではないだろうか。
そのような古代人の営みは徐々にゆっくり進化を続け、ついに自分たちの力で火を作り出すことが可能となった。今からおよそ50万年の昔、「火の発見」として考えられている。
この「火の発見」のことに意識を留めてから、私は大変不思議な事実に思いを馳せるようになった。21世紀を迎えたこの地球上で、今日になって未だ、私たち人類だけがこの火というものを自由に扱うことができるという事実だ。いったい、神は何を思ってこのような偉大な許しを私たち人類にのみ与えたもうたのだろうか。火をわが物にするということは、私たち人類にとって何を意味しているのだろうか。もしこの火がなければ、私たちは、他の生命体と同じレベルにあることに甘んじなければならない。いったん火を手にした原始の人々は、火を失うことの恐ろしさをどれほど切実に体感していたのだろうか。火を失えば、闇は闇として厳然とその存在を主張し、私たちの命の営みは、その半分を闇によって支配されてしまうのだ。ひとたび火を手に入れた人々は、二度とその火を失うことの無いように、次々と身の周りのものを火に投じ続けたものと容易に想像することができる。「焚く」という文字の意味するところが見えてくる。
さまざまな動物たちの中には、長い進化の過程で道具を使うことを学んできた事例はいくつもある。貝をぶつけて殻を割り美味しい身だけを食べるラッコの知恵や、木の枝葉を集めて営巣する鳥やビーバー。折れ枝で蜜をなめる熊や石を落として木の実を割る猿など、道具を使う動物の知恵の事例は多様に報告されている。イルカのように、高周波の言葉を持つ種も知られている。しかし、火を扱えるのは私たちだけだ。もし人類以外の何ものかが火を自由に扱いだしたとしたら……。考えると、その恐ろしさはいかほどのものだろうか。
類人猿の調査のためにたびたびアフリカの奥地へ調査に入られる学者にその様子をうかがったことがある。滞在のキャンプ場所を定めたとき、一番に取り組むことは、まず火を熾すことだという。獣から安全な距離を確保するためかと伺うと、虫類を追いやる煙を手に入れることが重要だとのこと。また、煙によって、保存食を作ることも可能になる。燻蒸や燻製も、火の発見から得た原始的な知恵であったのだ。
ありとあらゆるものを火に投じ、予期もせずに出会った非日常な匂いというものも大きな発見であったろうと思う。匂いは、一定の大きな空間の気分を変え、人々に情趣を与えたり余情を残したりする。火によって熱を加え匂いを得ることを焚香(ふんこう)と言い、その素材の総称に焚香料という言葉がある。自然界に元来存在していた火や煙や匂いを、技術とともに自らの意思で自由に使いこなす知恵は、大変な原始の段階で、人類を人類として独歩せしめる大きな要素であった。
「KYOTO BOX」(※)と名付けられた箱が、世界で話題になっている。世界の未文明化地域では、21世紀の今日も多くの人が、原始の時代のままに一人一日20キロの燃料を採集し燃焼し生活しているという。まさに林を火に投じ続けている人々の営みなのだ。それが砂漠化を引き起こし温暖化を招く。この驚異の箱は、その対策として発明された。
文明化を謳歌し、日常の生活で火を見ることも少なくなった現代社会人は、いま少し原始の基本を慮る必要に迫られるのではないだろうかと、ひとり危惧を深めている。
人類が火を手に入れた経緯については様々な神話にもそのエピソードが語られています。 そして これらの物語は、悲劇的な結末を含み、火のもつ力について人類に警告を与えているかのようです。
日本の神話
イザナギノミコトとイザナミノミコトは二人で力を合わせて国を生み、たくさんの神々を生みます。最後に生んだのが火の神(ヒノカグツチノカミ)です。 しかし、 イザナミノミコトは最後に生んだ火の神の炎で酷い火傷を負い、この傷が元で死んでしまいます。 イザナギノミコトは亡くなった妻イザナミノミコトを取り返しに黄泉(よみ)の国へと赴きます。しかし、黄泉の国の食べ物を口にしてしまったためにイザナミノミコトは恐ろしい姿となっており、約束を破ってその姿を見てしまったイザナギノミコトは、驚いて命からがら逃げ出します。
ギリシア神話
ギリシヤ神話では、プロメテウスが太陽神の二輪車で燃え盛る火を盗み、人類に与えたことになっています。 人類に火を与えたプロメテウスは、ゼウスからひどい罰を受けた後、地獄に落とされてしまいます。 また、プロメテウスの弟エピメテウスはゼウスからある箱を贈られます。その箱はゼウスが人類に罰として与えた災いの箱でした。 エピメテウスの妻、パンドラはこの箱を開けてしまい、この箱から様々な災が広がったとされています。これが有名なパンドラの箱です。
火の発見、弓矢の発明が、洞窟に隠れ住むしかなかった人類の地上生活を可能にし、言語(観念)により、現代まで人類は発展してきましたが、進化の止まった現代人は、今こそ原点に帰って何が本当に求められているのかを見つめ直す時が来ているのではないでしょうか。
投稿者 tanog : 2020年12月10日 TweetList
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