日本でなぜ感染爆発しなかったのか~世界が注目する日本、日本人、そして縄文的自然観 |
メイン
2020年06月04日
人類が北方へ移動したのはなぜか?~石灰岩(洞窟)の分布が示す北上の証
アフリカ又は東南アジアで誕生した人類はその何百万年もかけて北上している。
特に北京原人は日本の北海道くらいの緯度まで上がって洞窟の中で定住した。また、数万年前にはデニソワ人はチベット高原を超えてバイカル湖付近にまで移動している。さらにネアンデルタール人はヨーロッパに広く分布し、フランスやイタリア北部の比較的寒冷な地域で適応している。
なぜ北上したかの説には様々あるが、大型哺乳類の動物(例えばマンモスやバッファロー)を追って北上したという説、狩猟技術が上がって毛皮を身に着ける事ができたから北上できたという説、など食うや食わずの極限人類にそれだけの余裕があったのか甚だ疑わしい。
しかし、12000年前~8000年前にかけて、あるいは何十万年前から数万年前にかけて古代人類が北上したのは事実だ。この謎を追求、解明する事がその後の人類史の拡散に寄与するのではないかと思われる。
先日、実現塾で出た仮説を紹介したい。
「人類が北上した理由は食料か逃走(=安全)か。逃走ではないか?南の温暖な地域は肉食動物が多く、また寄生虫や毒虫も多い。人類が安全に暮らすにはリスクが高い。何とか生きながらえる為に古代人が最初に考えたのは安全ではないか?安全で食料のある地を探した。その結果が寒冷地を目指す北上ではないか?或いは高地を目指す登山ではないか。食料はどうなる?そういう疑問もあるが、そもそも温暖な地に居てもまともに食料にはありつけない。せいぜい動物の骨の中の骨髄と、死体から発生した蛆虫である。さらに葉や根子、食べれるものは何でも食べた。北上したとて、そのような食糧事情であれば大きくは変わらない。蛆虫は死体があれば居るし、北上しても葉や根はある。それほど安全を確保するのは人類にとって食べる事より優先順位が高かったと考えれば整合する」
ではどうやってそんな長距離の移動を果たせたのか?ここが最大の謎になる。
実現塾で出た仮説は洞窟を渡って行ったのではないか?という説。
ひとたび洞窟の外に出ればすぐに捕食されてしまう人類、夜の間に移動できる程度の距離あるいは筏や舟で沿岸を徐々に移動するなどの手段になる。
洞窟などそんなに多く分布しているのか、あるいは各所に点在していたのか?
この疑問が生じた。そこで今回の記事は洞窟の分布を調べてみた。
洞窟の分布)
洞窟はどういう条件でできるのか?
下記のブログから記事を紹介してみたい。どうくつの探し方という記事で洞窟探検家がどのように探すかが書かれている。どうやら洞窟とは石灰岩の地域にあるらしいという事がわかる。
>情報がないのにどうやって洞窟を見つけるの? と思うだろう。最低限必要な情報である、地質と地形の2つを調べて当たりをつけるのだ。 洞窟がありそうな地形を見つけて地質図と照らし合わせて場所を特定する。規模的に大きく、距離も長く、鍾乳石が発達している洞窟のほとんどは、石灰岩が雨水などに溶かされてできた「石灰洞」だ。石灰洞の場所を見つけるために、次に地質図を机の上に広げ、石灰岩の分布を調べる。さらに石灰岩がつくる地形の候補の中から、地底に洞窟がありそうな場所を探すのだ。どんな地形がよいかというと、洞窟用語で「ドリーネ」と呼ばれている、すり鉢状の地形が理想的。ドリーネは、雨水を漏斗のように集めて洞窟の中に水を流し込む。
次に石灰岩は世界中でどれくらい分布しているのか調べた
■石灰岩の形成過程
地球の表層はプレートと呼ばれる岩板からなっており、プレート同士が年間数cm程度の速度で相対的に移動しています。海嶺(かいれい)においてマントルから上昇してきたマグマが冷えて固まり、新しい海洋プレートとなり次々に海嶺の両側へ移動していきます。また、海洋底にあるマグマの噴出口(ホットスポット)から上昇してきたマグマが固まり海山が出来ますが、海面上にまで達した海山の頂部にはサンゴ、石灰藻、コケ虫など炭酸塩の殻を持つ様々な生物が複合して礁を形成します。このような生物礁が現在の石灰岩の「もと」になるのです。
石灰岩は比較的浅い土中に在り、世界中にほぼ分布している
★以下の地図ではそれを示している。
赤で示した範囲が石灰岩の分布である。特に東南アジアに多いのがわかる。
このように見て行くと石灰岩の作った洞窟を転々と移動しながら人類は安全を求めて北上した。こういう説が成り立つのではないだろうか?
「石灰岩の分布~世界地図」
投稿者 tanog : 2020年06月04日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2020/06/3720.html/trackback