雑誌ソトコト 9月号p107-9 |
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2007年08月19日
縄文ー古代通信NO5(19年8月号)
みなさん、こんばんは。Hiroshi :roll:です。
8月に入って、やたら暑い 日々が続きましたが、みなさんお元気でしょうか?ボクは、くそ暑さからアイスクリーム やら冷たい飲み物の誘惑に負けて、パクパク摂っていたら、おなかをこわしてしまいました 😥 。
まずはポチッ→
さて、最近の話題は、
●縄文時代の生活
縄文時代“塩”はどこからどうやって採取してたのか?
縄文時代に栽培!?
【仮説】縄文時代の都が1500年も続いたって本当?
縄文人の性意識を探る(青森の民俗行事を通じて)
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
と、だんだん縄文人→日本人の生活や意識に肉薄してきています。
※夏から秋にかけてはお祭りのシーズンですが、最近思うのは高度成長期以降形骸化していた祭りがどうも、人々の心の中で復活してきた感じもします。人つながり欠乏?縄文時代に祭りってあったと思いますが、どんな祭りだったのだろう?
さらに深く日常生活や意識に同化して、解明していきましょう。
●縄文~弥生・古墳時代の戦争
弥生時代の戦争は、北部九州から玉突き的に各地に広がった
縄文人はなす術も無く弥生人に駆逐された
古代に縄文人が駆逐されていく様は、大航海時代の未開人とかアメリカ大陸のインディアン虐殺を彷彿とさせて、なかなか切ないですね。ただ大陸の侵略・戦争との違いとか、同化していった事実などもあるのかな?と思いました。
この辺って、西日本人と東日本人の人種構成とか性格の違いとかとも関連しそうですね。
★世界のほうは、
●インカ文明のミイラのおはなし
インカにおけるミイラの役割-ミイラシリーズのまとめ
インカのミイラNo3 ミイラになった生贄
ここに上げたのはごく一部の投稿です。NHKの放送もあって、ミイラが盛り上がってます。かなり不思議な衝撃がありました。戦争や力に頼らない統合様式ってあったんだと思いました。西欧の侵略がなくそれが発展していたら、インカ帝国は今頃・・・?
インカの統合様式に次いで、マヤ・アステカなどの追及も期待してま~す。
●中国の追求
中国人の二重規範
中国文明:周王朝~封建制度の発祥と実質価値である穀物を統合様式へ
先史中国の掠奪闘争から王朝形成まで
中国専制国家体制 ~「法」を媒介とした厳格な百姓支配システム~
中国先史年表~母系から父系へ~
ここにあげたのは一部で他にもたくさん投稿があり、中国の追求も佳境にはいっています。中国の国家形成過程やそこからくる中国の人々の性格の一端が見えてきたような感じがします。ただ次の課題としてもう少し核心部分を鮮明にしたいといったところでしょうか?
●他に
大英帝国の基礎を築いた海賊
古代文字
大英帝国の件は、僕から出した記事で少し唐突だったと思いますが
市場論分野の活性化へ向けて、一石入れてみたかったわけです。しばらく前ユダヤ関連も少し記事がありましたが、どうも中途になってしまっている感じもします。市場原論など参考にしながら、事実追求・再チャレンジしてみませんか?掠奪と騙しのテクで、遊牧民と商人が市場を形成していく過程など、生々しい記事を期待してます。
では、では縄文・古代文明のブログも酷暑に負けずに、さらに熱くいきましょう!
(by Hiroshi 🙄 )
投稿者 ihiro : 2007年08月19日 TweetList
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コメント
投稿者 ファンファン : 2007年9月11日 19:32
竪穴式住居のことについて初めて深く考えてみました。
今後の生活に少しでも足しになればよいなと思います。
ご紹介ありがとうございました。
投稿者 河合清日 : 2008年6月20日 13:02
へーすごいねー
投稿者 匿名 : 2011年10月18日 14:06
私は、特別に竪穴式住居に泊まりました。
ドアは、大きい石でとめているそうです。
投稿者 彩 : 2012年4月8日 01:18
竪穴式住居って結構住みやすいと思います。
以前、三内丸山遺跡に行ったときに体感しました。
このブログで
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/12/000061.html
や
http://www.kodai-bunmei.net/blog/2006/12/000062.html
でも紹介されています。