ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~① ロシア民族の本源性の秘密は、その起源にあり。森と共に生きてきた民族 |
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2014年08月13日
宗教が国家を上回った国:イスラムとは?【盆休み特別企画】数学から見る二大文明の『世界の捉え方』・・・代数学のイスラム。解析学の西欧。
みなさん、こんにちは。
盆休み、いかがお過ごしですか?
今回は、特別企画として『数学から見る二大文明』をお送りします。
なにやら難しそうですが、これがお勧めなんですよ。
教科書では絶対に教えない、『2大文明の真の歴史』と『数学との関係』を解明。
そして最後には、2大文明ですら成し遂げられなかった『これからの可能性』を提起します。
それでは行ってみましょう。
◆2大文明が置かれた状況、その成立過程
まずは両文明が置かれた状況とその成立過程を押さえます。
※今回の文章・図版はイスラム文明論からお借りしました。大変参考になりました。ありがとうございます。
★イスラム文明
イスラム誕生のきっかけを作ったのは、西暦600年頃、東ローマ帝国とササン朝ペルシャの間で続いていた戦争でした。
戦争がない平和な状態であれば、この両国の国境付近、シリアからメソポタミアのあたりというのはちょうど東西世界の通商の十字路となり、世界の富が集まってくる地域に相当します。
ところが戦争によってこのあたりが通れなくなってしまい、そのため通商ルートが大きくまとまって南へ迂回を始めたのです。
そして、そのちょうど中継点に当たる場所こそがメッカです。
それまでさびれた砂漠の小都市でしかなかったメッカに、突如として世界中の富と繁栄が流れ込んできたのです。
これはラッキー!
しかし、その結果起きたのは『想定外の事態』でした。
それは何なのか? アラブの人たちはどう対応したのか?
都市の金銭の洪水の中から生まれ、自我を封鎖したイスラム より引用します。
そもそもイスラムというのは、砂漠の遊牧民の中から生まれたものではなく、高度に経済的に繁栄した都市の真中で誕生したものなのである。そして当時のメッカというのは、まさしく砂漠の真中に忽然として出現した金銭万能の小宇宙だったのである。
このような社会においては金さえあれば何でもできたし、逆に金がなければ何もできなかった。恐らくは人間関係も相当にドライに金銭に帰着されていたようである。
さてこのようなむき出しの金銭万能の社会においては道徳の退廃は必然であり、個人のエゴと短期的願望が金銭を軸にして増殖し、共同体の秩序を凄まじい速度で食い潰しつつあった。つまりメッカは「コラプサー」への坂道を転がり落ちる途上にあったのであり、イスラムはまさしくその転落を阻止する防壁として築かれたのである。
注:コラプサー=秩序崩壊
砂漠の中という過酷な環境に置かれるアラブは、ペルシャやローマと言った、封建国家(武力統合国家)に飲み込まれておらず、と言うか見向きもされず、当時のメッカにも氏族共同体が残存。人々は通商貿易で細々と生活していました。
そこに膨大な富が流れ込むとどうなるか?
→『カネに目がくらむ』
→『共同体成員の自我が増大する』
→『道徳が退廃する』
→『氏族共同体崩壊の危機』 ですね。。。
そこで当然のように希求されるのが、共同体崩壊を食い止めるための思想。
これにズバリ応えたのがイスラム教だったのです。
徹頭徹尾『共同体の秩序維持』と『共同体をどう運営してゆくかという実現思考』に貫かれたイスラム教は、
『コレハ、スバラシイデスネ。』
とアラブ人以外にも受け入れられ、『あっという間』の30〜40年でペルシャ・アラビア半島・地中海南側沿岸を席巻。
イスラム帝国を成立させ、イスラム文明が開花します。
★西欧キリスト教文明
一方のキリスト教はどうでしょう?
キリスト教が勃興したローマは、紀元前27年には既にローマ帝国によって統治されていました。
武力による統治なので、基本、原住民は皆殺し。あるいは捕まえて奴隷に。もちろんその後はガッチリと序列に組み込まれます。
本来あったはずの氏族共同体は跡形もなく解体され、大衆の安心基盤など微塵もありません。
もはやどうにもならない状況に追い込まれ、夢も希望も見えない大衆は何を望んだのか?
それは『現実からの逃避』だったのです。
社会を運営する気などなかったキリスト教、社会を運営するためにできたイスラム教。 より引用します。
ローマ帝国の辺境で生まれたキリスト教には、首都にいるギリシャ的教養をぎっしり頭に詰め込んだ官僚たちやローマ軍団を率いる司令官を押しのけて国家の指導権を手に入れるなどいうことは、権力基盤の点で不可能である以前に、それに必要な知識すら十分に備わっていなかった。
そのため彼らは、神の愛弟子を自称する諸君は社会をどう運営するつもりなのかね、と問われたとき、そんなことは抹消的な問題であると宣言してそれをあっさり無視し、一足飛びに神様に向かう以外なかったのである。
どうにもならない現実をアッサリと諦め、神様に飛びついた。それがキリスト教です。
現実を諦めているので、可能性は来世に先送り。
現世ではひたすら祈るのみ。。。
『ソンナコトシテ、ナンニナルンダ?』
とイスラム側からツッコミが入りそうですが、とにかく当時ローマの下層階級の人々にはこれが受け、キリスト教は教徒を増やす事に成功します。それだけローマの序列原理は厳しく、人々の救い欠乏が大きかったんでしょうね。
ローマ帝国側は、初期の頃こそ反体制の旗印になりかねないキリスト教を弾圧しますが、その後、なんと『国教として公認する』という盛大な手のひら返しをやってのけます。
大衆を現実逃避に誘い、社会から隔絶・思考停止させるキリスト教の思想が支配する側にも都合が良いことに気づいたんですね。
狡猾です。
とにかくこうしてキリスト教は、支配⇔非支配の関係を強化する役割に納まり、ジワジワとヨーロッパ全域を浸食。その後、市場原理主義と結びついて現在は全世界に広がっています。日本にもやってきましたね。
さて、文字ばかりでは関係性は掴みにくので、ここまでの内容を年表にまとめてみましょう。
作成に当たっては、こちらを参考にさせていただきました。ありがとうございます。
全く性格の異なる2つの宗教が生み出した、2つの文明。
文明の中における『モノの見方・考え方』は、各々の成り立ちを象徴、大変面白いことになっています。
数学で言うと、イスラムが代数学、キリスト教西欧文明が解析学なんだそうです。
どういうことなんでしょう?
◆イスラムが代数学に、西欧が解析学に収束したのは何で?
その前に代数学と解析学って何?ってとこを押さえましょう。
皆さん、そこまで勉強してない
もとい、忘れてますもんね。
まず『代数学』とは?
こちらから引用します。
代数学 【だいすうがく】
初等代数学は,未知数を文字で表して方程式を作り,それを解く数学の一部門。インドに生まれアラビアを経てルネサンス期にヨーロッパに伝わり,16世紀F.ビエトにより記号法がほぼ確立された。
未知なるものを文字=代数で表し方程式を作り、それを解くことで既知のものに代えて行くという学問なんですね。
続いて『解析学』とは?
微分・積分ですね。
こちらに分かりやすくまとめてありますので引用します。
全体の様子が分かっているとき、それをもとにして各点での様子を調べるのが微分、
各点での様子が分かっているとき、それをもとにして全体の様子を調べるのが積分です。
全体、あるいは部分的に様子が分かっている状況で、その既知なる情報を元にして詳細に解析して行くという学問のようです。
さて、それでは今回の本題、2大文明がそれぞれ『代数学』と『解析学』に収束していった構造を解明して行きましょう。
★イスラム文明
極めて短期間に市場化の波に飲み込まれ、共同体の秩序崩壊に直面したイスラムは、次々に襲ってくる難題をクリアする必要に迫られます。
そこで、彼らがまず取り入れたのが、有能な人材を適材適所に投入する仕組み。これができたのは、元々、封建国家に組み込まれておらず、共同体が残っていたのが大きいですね。
さらにイスラムは『未知なる状況』を切り開くための学問、すなわち『代数学』を取り入れ、進化させてきたのです。
金銀財宝とともに東方から持ち込まれた代数学を磨き上げたのが、9世紀前半にアッバース朝時代のバグダードで活躍したアル=フワーリズミーなる人物。彼のような人物が次々と登用され、課題・問題を突破していったからこそ、わずか30〜40年でイスラム帝国は成立できたのですね。
ちなみに、英語の代数学=algebraは、アラビア語が語源になっているそうです。
★西欧キリスト教文明
一方の西欧は、自らが作り出した混沌、『武力統合国家と市場社会の不整合』に悩まされます。
キリスト教でダマクラカして序列統合を強化したのは良いけれど、大衆のやる気=生産性は上がるはずもなく、国力は頭打ち、一方で増えて行く人口にも対応できなくなる、という構造的問題です。
このような状況がなぜ起きているのかを解明する必要に迫られた彼らは、自らの社会を俯瞰・分析するために、解析学=微分・積分を発展させたのです。
イスラム文明論から引用します。
大体「ルネッサンスの三大発明」などという言葉を世界中教科書に載せてしまうというのだから、キリスト教側の宣伝能力には恐れ入る。それら三つとも、すなわち火薬にせよ羅針盤にせよ印刷にせよ、中国に起源をもつものがイスラム圏に伝えられ、西欧はそれを最後に学んだに過ぎない。ルネッサンスに功績があるとすれば、それを量産したということだけである。
ルネッサンスとは要するに「大翻訳時代」であり、西欧はようやく17世紀に入って先生であるイスラムを追い抜いたのである。
イスラムが驚異的な先端突破力により瞬く間に大帝国を樹立、覇権を握った傍らで、彼らは後塵を拝しながらもしぶとく自らの混沌を分析し、さらにイスラムを始めとした他文明の模倣を続け、ついには他文明を凌駕、西欧キリスト教文明を歴史の表舞台に登場させたのです。
◆その後、世界はどうなったのか?
こうして『イスラムを始めとする先行文明が開発した商品』を、『西欧キリスト教文明が大量生産』する仕組みが出来上がります。
そして漸く覇権を握った西欧文明は、この仕組みを『武力統合国家と市場社会の不整合』を整合させる切り札として活用します。
大衆の欲する物品を大量に生産し、大衆の欲望の赴くままに消費させる。
大衆の労働活力は上昇し、生産性は上がり、支配する側はウハウハに儲かる。
いわゆる、近代市場の成立ですね。
その後、彼らの目はさらに国外へ向けられます。
強化された武力を背景に、国家主導でアジアや新大陸を侵略・植民地化、搾取の限りを尽くすのです。
こうして近代市場は全世界を覆い尽くし、成長を続け、物品を隅々にまで行き渡らせました。
その結果起きたのが『貧困の消滅』です。
人々の生活から貧困が消滅し、物的な欠乏がなくなれば、それ以上、市場は成長しないという道理ですね。
事実、日本など先進国では1970年あたり、中国など途上国でも2000年あたりに市場が頭打ちになっています。
⇒詳しくはこちら~中国都市部は2000年前後に豊かさを実現した!!~
◆これからどうなる?どうする?
貧困が消滅するとどうなるか?
そうです。市場が拡大しなくなるのです。
市場が拡大しなくなるとどうなるか?
市場が拡大することを前提とした、市場社会のシステムが回らなくなります。
市場社会システムが回らなくなると、市場社会から私益を上げていた支配層が困ります。
よって、彼らは市場をムリヤリ拡大させようとします。
国債バラまきや、アベノミクスがそうですね。
しかし、所詮ムリヤリ拡大なので、すぐに馬脚を顕します。次々に起きるバブル崩壊やリーマンショックで分かる通り、市場破綻はもはや不可避なのです。
一方、この市場社会の破綻は、世界経済の閉塞を生み出していると同時に、新たな可能性を萌芽させています。
市場社会に可能性を見いだせなくなった人々は、新たな可能性を探索しはじめているのです。
『自分のためではなく、周りのためになる仕事をする』
『社会貢献にやりがいを感じる』
『そのために起業する』
『可能性を広げるために志のある企業同士をネットワーク化する』などなど。
『同類のため、同類の充足のために社会を構築し直す』という全く新しい潮流ですね。
この新しい社会は、これまでのそれとは180度異なる、未知なる可能性に満ちた社会です。
そして、ここまで延命させてしまった市場社会の崩壊は恐らく急速にやってきます。
よって、新しい社会の構築は大急ぎで行わなければならず、同時に同類の充足のための社会ですから、新社会システムの周知徹底も迅速に行う必要があります。
そのために不可欠となるのが、代数学が持つ未知なる課題に対する突破能力と、解析学が持つ普遍化能力なのです。
新たな課題が発生した場合、代数学で答えを出し、解析学で誰もが把握できるように普遍化してゆく。この繰り返しですね。
というわけで、この二つの数学を融合させ機能させることは、急速に変動する社会・世界を掴み、問題を解決し続けるという面で、2大文明の限界を跳躍し、新たな可能性を切り開く切り札になるのです。
付け加えると、有能な学者や政治家などを的確に選定し、適材適所に登用するシステムも必要ですね。
前述したようにイスラム社会はそうなっており、イスラムに学ぶところは多そうです。
このあたりは引き続き、本編で扱って行きたいと思います。
それでは、さようなら。
by ohmori
投稿者 katsuragi : 2014年08月13日 TweetList
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コメント
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2014年10月14日 17:39
イスラムの微分、積分の統治・・・
数学を統治の方向性に応用していくのは、実利的なことですね。
投稿者 根保孝栄・石塚邦男 : 2015年3月18日 18:36
現代はイスラム教とキリスト教の対立時代ですね。
ルーツが同じの親戚同士の憎み合いですか。