| メイン |

2018年08月12日

縄文を骨相学から語る(後半)~縄文人は存在するが、それに対応する弥生人はいない。

後半は弥生人について書かれた部分です。

弥生人と縄文人、対立する存在、対極の存在と見られがちです。教科書的には渡来系は全て弥生人、土着民が縄文人と考えられ、あたかも日本人の中に弥生系と縄文系の2種類の人種が混在しているように勘違いされがち。
事実は弥生時代の人骨データーが非常に少なく、また、少ない弥生人骨はいずれも渡来したばかりの大陸人の骨で、縄文人と混血して弥生人になる前のものであった可能性が高いというもの。弥生人とは渡来人が縄文人と混血を重ね何世代もかかって出来上がった人種で言わば日本人の総体で、弥生時代に弥生人が来て日本に広がったわけではないのだ。今回もるいネット投稿から紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
野口氏の著書「骨が語る日本人の歴史」には弥生人の事も克明に書いてある。縄文人が地域差や時代差が極めて少ないのに対して弥生人は地域差も時代さも激しい人種のミックスした総体を為すという。所謂、縄文人は存在するがそれに対応する弥生人はいないのである。
引き続き本編から紹介したい。

>前章で縄文時代の人々を語るときにたんに縄文人としたが、弥生時代の人々については、いわゆる弥生時代人との意味合いで「弥生人」としたい。もちろんわけがある。

縄文人は1万年の長きにわたったにもかかわらず、だいたいのところ、縄文人骨の顔立ちや体形は一定しており、あまりに大きな時期差は認められない。しかるに弥生時代は700年程と短いが、その遺跡で出る人骨はけっこう多様であり、地域差などの身体現象の問題を詳細に論じるのが困難になる。実際に「弥生人」はさまざま。同時代人なのに、さながら「盛り合わせ」のような人々だった。
まるで「縄文人」そのものような「弥生人」や、「縄文人」に似た「弥生人」。その一方で朝鮮半島を越えてきた人々かその係累につながるような渡来系「弥生人」もいた。また、縄文系「弥生人」と渡来系「弥生人」とがミックスしたような混血「弥生人」、次の古墳時代の墳墓から抜け出てきたような「弥生人=新弥生人」もいた。

弥生人は地域性がとても強くて、同じ地域でも前期、中期、後期で時期差が無視できない。もしも北部九州や土井が浜遺跡の人骨ではなく、たとえば西北九州や神戸新方遺跡の弥生時代人骨をなどを復顔材料に使えば「弥生人と縄文人の顔立ちは非常に違う」と信じる方々の期待は裏切られてしまうだろう。一重マブタで平耳、薄い唇に淡い皮膚色、直毛で粉耳といった「弥生人の顔」神話が生まれたのは理由がある。

実はある一部の地域を除くと弥生時代の遺跡で発見される人骨の数は驚くほど少ない。日本のどの地域でも1990年代の頃までは、ほとんど「弥生人」骨は見つかっていない。人口が希薄で遺跡が少なかったからではない。日本列島の特殊な土壌事情がゆえに、そして弥生時代の遺跡の立地条件が故に、骨類が土に帰してしまい、人骨が残らないのだ。

ともかく縄文時代の貝塚遺跡と比べて、骨の残存状態が著しく悪い。それが弥生時代の遺跡の特徴である。唯一の例外が北部九州地域と土井ケ浜遺跡などがある地域である。これらの土地、対馬海峡と朝鮮海峡にまたがる海峡地帯のあたりだけは、弥生時代人骨が例外的に多く残存する。それに保存状態にもすぐれている。1950年代の早い時期から研究者によって集中的に発掘、研究活動が進んだ為に、尋常ならざる数の弥生時代人骨が発見され蓄積されている。
b_171212弥生時代の人骨出土 (1)
2017年発見された弥生時代人の人骨(佐世保)

実際、この地域で見つかる人骨は、たしかに縄文人骨との身体的特徴の違いは目立ち、弥生時代人骨の「代表選手」「典型」のように取り扱われ、この地域で見つかる人骨こそが「弥生人」骨となり、縄文人と弥生人は大きく異なるという論法に繋がっていった。
しかし、この地域は日本列島のごく一部でしかない。そして歴史的に大陸の玄関になってきたところでもある。そういう地理的、歴史的条件を考慮するなら、この地域の人骨を日本列島全体の弥生人の骨の無作為標本と見なす事は躊躇せざるをえない。
これら、北部九州地域の骨はこれまでに発掘された弥生時代人骨の全体の80%を占有するのだ

おそらく倭人は、縄文人が各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」を基盤とした。そこに北部九州から日本海沿岸部に住み着いた渡来系「弥生人」が重なった。続いてその当たりを中心に両者が混血して生まれた混血「弥生人」が加わった。これらが混成した総体こそが「弥生人」、あるいは倭人なのである。そうだとすれば、倭人あるいは「日本人」の内訳は一方で縄文人の流れを強く受け継ぐ人々がいた。その対極に渡来人の系譜に繋がる人々がいた。やがてそれらが混血した。つまり、縄文系か弥生系かの二分論で日本人論を展開するのはいささか乱暴なのである

投稿者 tanog : 2018年08月12日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2018/08/3311.html/trackback

コメントしてください

 
Secured By miniOrange