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2020年02月06日

筏は古代特有の船舶ではない。その後の遠洋航海や物資運搬にも活用されてきた、さらに現代でも使われているスグレモノ

以前、本ブログで投稿したが、再びいかだの話について書きたい。
人類は数十万年前から竹を素材に筏を発明し、スンダランドから各地に島伝い、沿岸伝いに拡散したと書いた。しかし筏は所詮、初期の海洋技術でその後丸木舟や板舟を用いた大型船舶にとって代わっていったと考えられているが、実はこの筏、その後もかなり長い期間航海術の中心に存在していた。そして現在でも世界では筏を使っている地域が多く残っているそうだ。また、かなりの遠洋航海を筏で実現していた、それは筏が物資や大集団を運ぶ上で非常に有効であったからである。あの有名な徐福も筏で日本海を渡ったという説もある。

以下、著書「海から見た日本人」の中からいつものように抜粋投稿したい。
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孔子が当時の社会に悲観し、「筏に乗りて海に浮かばん」と嘆いたのは有名であるが、宮本常一は竹筏を重視し筏をつくる真竹も稲とともに入ってきたと考えている。たとえば「宋書」によると5世紀ごろ朝鮮半島の百済は「小さな筏を大海に浮かべ、珍宝を携えて朝廷に見えた」とある。民俗学者出口晶子によると筏は朝鮮半島も含め、東シナ海では極めて一般的な舟であった。稲作の故郷とされる長江流域では今日まで竹筏は渡河のもっとも便利な手段であり、観光化もされている。

日本神話ではまだ日本の島々が存在せず海しかなかった原初のとき、イザナギ、イザナミが天浮橋に乗って海をかき回したと言われる。ハシとは水上でつなぐ道具という意味であり、転じて水上を運搬する道具を指し、具体的には筏のことであったろうと船舶に詳しい松枝正根は推測している。アメノウキハシは天孫ニニギミコトが高千穂に下るときにも使われていた。これに似たものにスサノオミコトが用いていた浮宝(ウキアダ)がある。この意味は宝物と珍重した舟が水に浮いたような状態を表現したものと思われる。ハシが単層筏であり、ウキアダは波よけなどをつけた複層筏である点が異なるという。

さて、日本の近隣では台湾や中国大陸南岸からベトナムにかけてセンターボールドをつけて帆をはった世界的に見ても最も外洋航行能力の高い竹筏が存在した。この種の筏が存在するのは台湾海峡と遠く離れたエクアドルくらいである。

最近水中考古学者のBブレッチャーは再び竹筏に注目し、ベトナムのドンソン型銅鼓に描かれる舳先の高く反った船は筏であろうと推測している。銅鼓をインドネシアのスンダ列島を通ってニューギニアまでもたらしたのも筏であるというのである。類似の船は中国雲南省出土の銅鼓にも描かれている。台湾海峡には海洋航海用の竹筏が存在するから、もし銅鼓の絵が竹筏なら、筏は有力な運搬手段の一つであったことになる。因みに台湾ではマダケに代わって上下水道管などに使用する塩化ビニール式パイプを並べて作った筏がエンジンを付けて大型漁船として使われている。一見原始的な筏という原理の常識を打ち破る事実である。

投稿者 tanog : 2020年02月06日 List  

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