シリーズ『イスラムを探る』 第9回 イスラム法は共同体の充足規範体系 |
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2010年07月24日
シリーズ:「国家と市場」第8回 【外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』】
これまで人類は生存圧力、同類闘争圧力、具体的には私権闘争圧力を主活力源とし、その圧力に適応する機能を有する国家が社会を統合してきました。
つまり、他の生物と同様に、まず外圧があり、それに適応しようとしてその外圧を圧力源=活力源とし、最先端の統合機能に収束することで、適応してきました。
ところが市場の拡大により豊かさが実現され、今や従来の活力源は機能しなくなり、国家も統合機能を失ってしまいました。
そこで、前回はこれからの新しい圧力源=活力源とは何か、を紹介しました。
今日は、国家に変わる新たな統合機能、最先端機能とは何か、について「超国家・超市場論」をみていきたいと思います。
今日も応援宜しくお願いします。
■圧力源・活力源⇒最先端機能に収束→統合
以下「超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』」より引用。
『新しい潮流1~14(リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク、リンク)で明らかにした様に、現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
なぜなら、人類の最先端機能は観念機能であり、従って答え(に近い認識)こそが、人々の意識を統合すると共に、その答えが人々に活力を生み出し、その認識が人々の全ゆる行動の指標(モノサシ)となるからである。従って、答え(となる認識)は、まぎれもなく最先端価値であり、その下に全てを収束させる統合価値ともなり、全ゆる行動を導く指標価値ともなる。
観念機能を最先端機能とする人類にとって、答えとなる認識は人々の行動の指標=最先端価値である。これがどう統合機能に繋がってゆくのだろうか。
●「新しい認識」は最強の活力源だが、それ自体は最先端機能たり得ない
そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。
従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
当たり前の認識=末端にまで共認されている認識は、当たり前に”価値”がある。
しかし最先端の外圧に対しては最先端の認識が有効だが、それはまだ最末端にまで浸透していない。となると、統合機能までは有しないことになる。
この最先端の認識と、最末端にまで浸透させることをつなぐ何かが必要となる。
●人々の期待に応える「共認形成の場」こそが最先端機能=社会統合機能
既に『超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く闘争圧力を把握せよ』で触れたように、人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。
では、大前提となる次代の同類闘争圧力とは何か?それは既に、前稿で明らかにされている。即ち、人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
つまり、私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
強制圧力の時代が終わり、人々の期待に応える共認闘争こそがこれからの活力源であり、その闘争に勝ち抜く為の武器である「新しい認識」を「作り出す場」こそが、社会を統合する最先端機能を有する。
これがこれからの共認時代における、外圧=活力源と統合機能の中身である。
投稿者 saah : 2010年07月24日 TweetList
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