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2010年04月06日

シリーズ:『イスラムを探る』 プロローグ

現代日本に暮らしていて、最も遠い世界と感じるのがイスラム教の世界ではないでしょうか?しかしそんなイスラム世界も、日本人に意外と近いところがあるとしたらどうでしょうか?
1年半前の金融崩壊を契機に、ようやく欧米主導の市場社会の行き詰まりが、誰の目にも明白になってきたように思います。西欧発の市場社会とそれを支えてきた近代思想(個人主義)は、最終的に、国家から養分を吸い取り崩壊しつつあります。
欧米主導の近代国家モデルに代わる、次代の社会はどのような社会になるのでしょうか?その一つの鍵になるのは、市場崩壊時にどの国・地域が生き残ることができるか?というところが鍵になるはずです。自分第一(→秩序崩壊へ直結)ではなく、集団性・共同性の高い社会が生き残るはずです。
日本と同じくらい集団性・共同性が高いとしたら、それはイスラムではないか?だとしたら、市場社会崩壊後、混乱する国際情勢の中で協働できるのはイスラム世界ではないのか・・・というのが仮説・問題意識です。
※僕らは、イスラムについてはかなり偏ったイメージを植え込まされていると思います。女性蔑視とかひどいところではテロリストのイメージとか。・・・・・それらは欧米主導の価値観とその伝道師である学者・マスコミによって植え付けられている。
IslamMap.jpg

 【イスラム教分布地図】リンク
 よりお借りしました
ここではできるだけ先入観を排除しながら、以下9回程度にわたり追及していきたいと思います。
イスラムについては、るいネットでも追求がかなり蓄積されています。その成果も紹介しながらできるだけ体系的にまとめたいと思います。 
追求していく過程で多少内容は変えるかもしれませんが、ご期待を。
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●第1回 イスラム社会ってどんな社会?
イスラム社会は戒律が厳しいというイメージがあります。アルコールダメだし、断食もあるし。実際のイスラム社会の生活ってどんな感じなんだろうか?
戒律の厳しさ、6信5行や利子の禁止など、イスラム社会の実態を探るところから入ります。
(関連記事)
「イスラム教の規範性と普遍性」
「イスラムの地域共同体を支えるシステム」
「イスラムは固定的位階制度を嫌う」
●第2回 イスラム教誕生前夜の状況 
イスラム教が生まれる前夜のアラビア半島の状況。イスラム教が生まれる7世紀前は、アラビア半島は東にササン朝ペルシャ、西にビザンツ帝国、この大帝国の合間の砂漠地帯で交易や遊牧を行っていた雑多な部族。
昔からの部族同士が相争う状況に加え、富者は交易による冨を蓄えつつあった。
(関連記事)
「イスラム誕生前夜、7世紀頃のメッカの状況」
「世界史を動かしたアジアや中近東の民族(モンゴルとイスラム帝国)」
●第3回 ムハンマド登場と急拡大したイスラム教
ムハンマドが神の啓示を受け、わずか半世紀ほどで巨大帝国を形成させたイスラム教団。その方法論は、共同体仲間を拡大する方法だったのか?若しくは侵略戦争だったのか?
(関連記事)
「イスラム教はいかに拡大したか」
●第4回 市場化の中でうまれたイスラム
イスラムは、商人であるムハンマドとその仲間の中から生まれ、商人と市場とは切っても切れない関係にある。イスラムは何よりも商業活動・貨幣経済に適した宗教だった。
(関連記事)
「イスラム教は市場社会の中で生まれた」
「なぜイスラムで商品貨幣経済社会が発展したのか?」
「イスラム世界が経済発展していたのはなぜか?」
●第5回 イスラムの経済原理
商業に適したの宗教でありながら、利子=不当利得の禁止、喜捨という貧者への分配システムなど、投機化と金貸しの発生を防ぐシステムを内臓していた。
(関連記事)
「イスラム帝国と市場」
「イスラムの経済観と経済原理」
●第6回 イスラムと国家
イスラム教は、部族間の争いを止めさせ共同体としての教団に参加させた。その教団が大きくなって国家となった。しかし拡大していくにつれ統合の限界をむかえて分裂→武力・私権統合化していく。
(関連記事)
「イスラム教と国家との関係」
●第7回 反キリスト教としてのイスラム教?
ムハンマドは、神の啓示を受けたとき、キリスト教は神の教えを正しく伝えていないと天使ガブリエルから聞いている。そこが原点。果たして、当時キリスト教とイスラム教の間にはどのような軋轢があったのか?
この部分はあまり解明されていませんが、追及してみたい点です。
●第8回 イスラムの生活
現代のイスラム世界の範囲や婚姻・生活について紹介してみたいと思います。
(関連記事)
「イスラム教徒の『婚約・結婚』」
●第9回 イスラムと日本の可能性
最後にイスラムそして日本の可能性について、西洋発のキリスト教と市場が「騙しの方法論」で拡大し世界中を欺いてきたのに対して、イスラムは社会秩序や規範を組み込みながら市場を運営してきた。その根本の部分は何だったのか?そこを振り返りながら、日本との類似性・違いを含め可能性を探りまとめたいと思います。
(関連記事)
「イスラムの可能性を探る」
「イスラムと日本の共通点」
「イスラムは日本に彼らの理想を見る」
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2010年04月06日 List  

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コメント

最近、敢えて「どれだけお金を掛けずにくらせるか?」とか「江戸時代の暮らしってどうだったの?」「縄文の暮らしを再現してみよう」といったチャレンジが流行してきているように思います。
これって、行き詰ってきた「お金がかかる社会」の次ぎへ向う探索なのでしょうか?

投稿者 東麓金鶏 : 2010年7月1日 22:53

東麓金鶏さん、コメントありがとうございます。
そういえば数年前、TV番組でお笑い芸人が一ヶ月○○円で生活する(または0円?)というのをやっていたことを思い出しました。
その頃から潜在的に「何をするにもお金がかかる」社会に対する嫌気?脱出欠乏が現れ始めていたのかもしれませんね。
同時に最近「もったいない」意識が再浮上してきている兆候も至る所で見受けられます。
特に日本では市場化=都会化するまでの村落共同体の中ではほとんどお金の掛からない生活をしてきたので、市場化社会の歴史は短く、「何をするにもお金のかかる」社会に対する違和感は潜在的に強いのかもしれません。

投稿者 saah : 2010年7月2日 08:21

>何をするもにもお金がかかる社会
この記事を読むまで、あまり意識していなかったが、今の生活を振り返ると、確かに“何をするにもお金がかかる”ことに改めて気付かされました。
高校までは、実家暮らしで、農家をやっていたので主食(お米)と野菜に困るこては無く、親戚や近所に配るぐらい自給していました。家ももちろん持家なので、家賃やローンは無い。
それ程裕福でなかったが、周りも同じような暮らしなので、特に遊びなんかは、創意工夫し、お金がかからないもので遊んでいた。
どれだけ高価な玩具をもっていようと、子供ながらに創った玩具の方が、羨ましがられた(尊敬(?)を受けた)ものでした。
“何をするにもお金がかからない社会”も行き過ぎなのでしょうが、少なくともお金の使われ方は、ここ10~20年で大きく変わったように思います。
新聞記事かネットで(老後に向けて)貯金第一の若者も増えてきている記事を読んだことがあります。しかし、これも“自分”の為と言わざるを得ないでしょう。
“社会の為”と言えば街角の“募金”なんかがありますが、これも蓋を開けてみれば・・・という記事も目にします。
社会(統合)のためにお金が使われだしたら・・・・
税金がそれに値するのでしょうが、使われ方は、募金以上に怪しい。
何か、いい方法はないものでしょうか?

投稿者 nishimu : 2010年7月8日 22:24

nishimuさん、返信が遅くなり済みませんでした。
お金の使い方について、なかなかいいところに目をつけていると思います。
従来はほとんどが”自分”の為でしたが、自分の為とは言っても実は本当に必要なものはあまりなくなっているにもかかわらず、”快美欠乏”の為に使っていると言った感じですね。
それを、みんなの活力が出る為に使う方法が見つかったら面白いですね。

投稿者 saah : 2010年7月16日 13:03

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