【縄文再考】なぜ、極寒の地に縄文文化が華開いたのか?(北海道・北東北の縄文遺跡群) |
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2022年06月02日
弥生時代の大きな追求課題 何故人類は、国家制度に従うようになったのか
皆さん、こんにちは。そろそろ縄文時代の後の時代を検討してみようと思います。
画像は(国立歴史民俗博物館研究報告第185集2014年2月「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」岸本直文大阪市立大学大学院文学研究科教授)から
縄文時代にもまだまだ謎はあるのですが、その後も見てみることで、日本人の成立過程が分かり縄文時代のこともさらに深く理解できるかも知れません。今回は、日本が国家として成立したあたりのことから、大きな課題を抽出します。
「倭国乱については,瀬戸内で結ばれる地域間のイニシアティブ争いと考えられ,これが鉄器の安定的確保をめぐる競合であったとの見方が有力である。これを契機に倭国という枠組みができ,中央権力が初めて誕生する。長引く抗争のなかで,利害を調整するため上位権力を設けることが合意されたのであろう。纒向遺跡は弥生時代のヤマト国の本拠であったが,ここに倭国の本拠となる。」(国立歴史民俗博物館研究報告第185集2014年2月「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」岸本直文大阪市立大学大学院文学研究科教授)
弥生時代後期の天皇制は如何に?
「国家」として天皇制を敷く日本という国の起点は、上記岸本教授の通り弥生時代後期から古墳時代にかけてと思います。となれば、そもそもなぜ国家という仕組みが必要だったのか、日本でこの仕組みに依拠したのはなぜか、という点が課題です。国家とは、同じ人間の一部に権力を付与し、権力の大きいものが、小さいものの人身を支配する仕組み。現在の日本は民主主義として選挙による議員の数を力とした政党の党首が、事実上の支配者となります。これ以前に武家や公家(天皇はその一部)が権力構造の頂点に立ちますが、その端緒が弥生時代後期~古墳時代にあることにさほどの疑問はありません。しかし、権力を認めることが、人間的でない(能力差に基づく役割分担まではよいとして、更に信仰と結びついて支配者を超人間な存在とする)こと、その端緒が日本では弥生時代にあることは、それが何故なのか大きな追求課題と思います。
国家とは何か?今も続く大問題!?
国家は、現代でも唯一戦争が可能な存在です。他にも、法治制度と一体となり、様々な制限や人を罰することが可能です。良心的に暮らすことに不完全であること(野心家や他者否定)を念頭に社会を制限するには、国家権力が必要との認識は可能です。しかし、悪心を前提に制度を敷くことの端緒に何があったのか。古代人類においても同類闘争をする必然はどこにあったのか。気候変動による食糧難などで容易に同類を殺戮するなど、正直に言えば理解がし難いと思います。他民族に比べて有位であるなど観念操作で自己正当化をしてみたところで、それが嘘であることはほぼすべての人間が理解しているはずです。自身が生き残ること、それだけが優先するのだとしたら、やはり種としては未熟。未だに変わらない国家という存在。その必要性を今後追究していこうと思います。
投稿者 sai-yu : 2022年06月02日 TweetList
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