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2007年09月10日

イギリス東インド会社②:儲けを求めて、貿易→徴税権(征服)→アヘンの三角貿易へ

イギリス東インド会社は、産業革命と前後してインド征服と中国へのアヘン売り込みとやりたい放題始めます。東インド会社の成功を見たイギリスの他の商業資本も、東インド会社の独占貿易を崩して進出しはじめます。
東インド会社:インドや中国という古代的国家を収奪・解体した怪物会社 の続きです。
indokan1817.jpg
ロンドンにあった東インド会社

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東インド会社に関連する動きを年表にまとめて見ました。
●年表
・1600年頃:東インド会社設立
・1660年頃:イギリス海外貿易の急拡大(→商業資本家が成長)
 (イギリス国内では、インドの綿製品キャラコを大量に輸入
  →イギリスの綿産業を圧迫)
・1757年:プラッシーの戦い→徴税取立て権限を東インド会社に
  授与
→莫大な収入が東インド会社へ。→さらに広い地域を
  征服するため軍隊保有(主に傭兵「セポイ」)
  →インド支配の拡大(下図参照)
・1760年頃:イギリス産業革命 (インド製品に対抗するために
  機械化し、紡績機を開発)
→安いイギリス産の綿製品がインドへ
  、それまでのインドの綿産業が壊滅。「木綿職布工たちの骨は、
  インド平原を白くしている。」といわれるほどの惨状。 
   (→産業資本家の成長)
・1773年:インドでアヘン専売権→1797年アヘン製造独占権
・1780年頃:中国へのアヘン売り込み活発化 
  (当時、中国の茶がイギリスへ輸入され、イギリスの銀が大量に
  中国に入超していた。そのために、茶の代価として考えだされた
  のが、インドのアヘンを代価として中国に売りつけること
。)
  →東インド会社に対抗して多くの私商人がアヘン貿易を行う。
・1813年頃:インド貿易独占廃止法(私貿易商人の市場開放要求)
  →インド各地で私貿易商人が続々と貿易商社をつくり、インド・中国へ
   の貿易への足がかりを作る。
・1832年:イギリスで選挙法改正
  (地主・商業資本家から産業資本家へ主導権移行)
・1833年:東インド会社の中国貿易独占権が廃止。 
  →イギリス商社が多数広東進出。
・1840年:アヘン戦争
  →中国(清)の植民地化
・1857年:東インド会社の傭兵、セポイの大反乱
  (※主に海外派兵への不満が爆発)
・1858年:インド統治法
  (イギリス政府によるインド直接統治、東インド会社の解散)
india-e.gif
拡大するイギリス領地球人の歴史  さんよりお借りしました
このように年表としてまとめてみると、貿易商社だった東インド会社には4段階ほどポイントがあるようです。
①貿易商社の段階
★②戦争に勝って、徴税権・行政権を得て大儲け →植民地支配へ

ではこれによって東インド会社は、どのくらい儲かるようになったのだろうか?
1765年に初代のディーワーン(徴税・行政官)となったロバート・クライブの見積もりにようると、諸経費などを差し引いた地税収入は、年間165万ポンドの純益を東インド会社にもたらした、という。
 ・・・・この話を聞いた本土の人々は驚いた。それまでよい年でもせいぜい数十万ポンドの利益しか得られなかった東インド会社が、ディーワーニー(徴税・行政権)の獲得で165万ポンドもの追加利得を得たからである。
またインド学の権威であった岩本教授によれば
「ベンガル州の地租は、1764年―65年には81万7000ポンドであったのに、翌年の65年―66年には、147万ポンドに上がり、さらに18世紀末の1793年には340万ポンドに達した」と。さらに教授は、「このころのイギリス東インド会社営業部門社員」たちが、インド現地で営んだ「商業」というのは実は、「恐喝」であり「掠奪」であった、とも述べている。いうまでもなく、プラッシーの戦いの後ディーワニーを獲得した結果生じたインド側の状況変化の様子を極めて端的に語ったものである。
東インド会社は、それまで本国から銀を持ち出してインド産木綿織物や中国の茶を買い入れるという貿易パターンをどうしても変えることができながったが、ディーワーニーの獲得によって銀持ち出しの必要がなくなったために、貿易収支という問題を一挙に解決することになった。

(『東インド会社』 浅田實氏より引用)
★③イギリス本国の産業革命→強大な軍事力の獲得
これ以降、技術開発力と機械力が産業を興し、それによって得た経済力と技術力が軍事力を強化していく。という循環に入っていきます。そして先行して産業革命を成し遂げたイギリスが、ヨーロッパの中でも突出した力を持つようになります。
軍事力によって、いままで手が出せなかった中国へも進出していく。
★④軍事力を得てやりたい放題→中国含めた三角貿易へ
イギリス国内で茶の需要が急増すると、イギリスは銀を代価としていたので、中国への銀支払いが急増します。そこで目をつけたのがインド産アヘンです。
インドに対して、イギリスから機械織りの綿製品を輸出し、その代金でインド産アヘンを買い、そのアヘンを数倍の値段にしてしてを中国に売りつけます。

収支バランス上、インドから中国にも何かを売りつける必要がありますが、それがアヘンでした。さすがにアヘンを公然と輸出するわけにもいかず、「公然の密貿易」という形で大量のアヘンを中国に持ち込みました。これがいわゆる「三角貿易」です。この方式はまんまと成功し、今度は中国から銀が流出し始めることになったのです。 その量たるや、国家財政の4分の3にあたる金額だったといいます。

sankaku-boueki.jpg
阿片戦争 より
元々アジアは比較的豊かで貿易の必要などなかった。しかしイギリスの贅沢→貿易赤字だと困るので、インドに入り込んで徴税権を得て、征服していく。そして中国でもおんなじようなパターンで、アヘンを売りつけて、中国が取り締まれば、軍事力で貿易の自由化・機会均等を迫り植民地化していく。
東インド会社はセポイの反乱によって、イギリス政府が介入したことで解散する。しかし、イギリス政府の背後には、東インド会社の成功に目がくらみ、その独占を許さず、金儲けを開放せよという強い圧力もあったようである。その後、雪崩をうってインド・中国へイギリスの商社・金融資本が群がっていく。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2007年09月10日 List  

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コメント

こんな古い記事に言っても仕方ないかもしれんが適当こきすぎ
いくら騎兵が強いとか言っても数が違いすぎるよ
記事削除するかもう一回調べて書きなおして、どうぞ
万一ここ見た人が騙されないように書き込んでおく^^

投稿者 匿名 : 2013年4月18日 12:48

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