『縄文の集団に学ぶ』第2回【縄文を学ぶ位置付け-2】 |
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2010年07月03日
シリーズ:「国家と市場」第5回【市場は社会を統合する機能を持たない】
グラフはGDPと国債額の比較(経済成長期以降、市場は自力で拡大できなくなり、自身の拡大を国家(国債)に押し付けてきた事を示しています。)
このシリーズは、導きの糸として「るいネット」の史的構造論から「超国家・超市場論」のいくつかの記事を引用して紹介させていただき「国家と市場の普遍構造」を解明しようとしています。
これまで、
第1回【私権闘争を統合した 力の序列原理】
では、私権闘争⇒力の序列原理⇒武力支配国家と身分観念
という国家の起源(基礎構造)を明らかにし、
第2回【国家(力の序列共認)と その統合限界】
では、国家(と力の序列共認:身分制度)の下では、私権闘争を活力源としながらもプラスの可能性が封鎖されているという武力支配国家の統合限界の構造を示し、
第3回【私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である】
では、2の統合限界を踏まえ、市場の真の起源は、私権闘争の抜け道としての快美幻想共認=「騙し」をテコとする私益行為であるという事実から市場の基礎構造を明らかにし
第4回【何をするにもお金がかかる社会】
では、私権圧力による抑圧からの解脱⇒快美幻想(手放せない)と事と、お金が万人の評価指標となった事が、現在の市場社会に到る構造であるとしています。
現在、市場のグローバル化が進められた結果、アメリカの金融危機は世界的な経済危機を引き起こしてしまう状態になっています。市場にはもっと決定的な問題構造があるのではないか?
第5回は「市場と国家」の構造に、更に切り込んだ記事を紹介します。
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~以下は「るいネット」より引用~
「超国家・超市場論11 市場は社会を統合する機能を持たない」
「身分」も「お金」も、評価指標として夫々の社会で固く共認されており、その共認圧力が夫々の社会での最大の圧力源=活力源にもなっている。
しかし、この両者には大きな違いがある。
その違いは、根本的には、身分を作り出す国家が闘争圧力に対応した「集団(統合)適応」の存在であるのに対して、お金を作り出す市場は闘争圧力からの抜け道としての「共生(取引)適応」の存在である点に由来している。
身分(という評価指標)は、肉体的に備わった統合原理である力の序列共認を下敷きにしており、それが上から下まで貫通する身分という観念に置換された事によって、社会全体を統合する機能を持ち得ている。
それに対してお金は、私的な交換の場での評価指標にすぎず、交換の行われる局部・局部では統合機能を持ち得ても、社会全体を統合する機能は持ち合わせていない。
>お金は私的な交換の場での評価指標に過ぎず・・・局部・局部での統合機能を持ち得ても・・・
確かにその通り、身分による国家や企業の統合とは全く違う。
では、それはなんで?
「闘争(能力)適応」や「集団(統合)適応」なら、その最先端の闘争機能や統合機能は、闘争圧力に対応する最先端機能であるが故に、全体を収束⇒統合することが出来る。
しかし、もともと市場は、「共生(取引)適応」の存在である。
共生(取引)適応は、あくまでも闘争圧力からの抜け道に過ぎず、共生適応の最先端機能たる取引⇒お金では、(闘争圧力が消えて無くなった訳ではないので)闘争圧力に対応することが出来ない。
つまり、共生(取引)適応はあくまで抜け道機能しか生み出さないのであって、それは闘争圧力に対する真の最先端機能ではない。従って、全体を収束⇒統合することはできない。
これが、市場が社会を統合する機能を持ち得ない、究極の理由である。
では、市場とは何なのか?
事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。
それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。
そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。
ここまで来れば、市場が国家の寄生物でしかないことは、誰の目にも明らかだろう。
要するに、市場はどこまでも私権闘争の抜け道でしかなく、従ってそれ自体では決して自立して存在できず、国家に寄生するしかない。
だから、市場は、云わば国家というモチに生えたカビである。カビがどんどん繁殖すれば、やがてカビ同士がくっつく。世間では、それをグローバル化などと美化して、そこに何か新しい可能性があるかのように喧伝しているが、それも真っ赤な嘘であって、市場が国家の養分を吸い尽くせば、市場も国家も共倒れになるだけである。
国債の暴落をはじめ、その可能性は充分にあると見るべきだろう。
★市場は社会を統合する機能を持ち合わせていない
なぜなら
★市場は共生(取引)適応の存在。闘争に対する抜け道機能しか生みだせない。
では市場って何?
★市場は国家の寄生物。グローバル化はモチに生えたカビがくっついていく事!
関連する現象事実の記事を集めてみました。
■市場が「失業」「戦争」「貧困」を生み出し、国家に押し付けた事例の記事
「国債の最大の目的は、失業対策では」
~生産力が上がっても労働力の増加には繋がらず、従って失業問題は解決しない。
失業対策を考えているのは国家であり、国債の発行によって何とかしようとしている、という事例
「ダイヤモンドの幻想価格の維持が、殺戮を生んでいる」
~その武器が、ダイヤモンドの幻想価格を維持するための密売を資金源として供給されているのだとしたら、ダイヤモンドの輝きは多くのアフリカの人々の血にまみれたもの、と言わざるを得ないだろう。
「『おいしいコーヒーの真実』が語らないこと」
~トールサイズのコーヒー1杯330円。
コーヒー農家に支払われる金額は・・・? わずか、3~9円
■市場が自力で拡大することが出来ない事例の記事
「国債残高」
~‘70以降のGDPの伸びより国債の伸びの方が遥かに高いというデーター紹介
■市場が国家の寄生物でしかない事例の記事
「地球温暖化問題は、新たな金貸しシステムの布石ではないか?」
~“地球温暖化”問題を取り上げCO2排出規制の法案を作ったのも、新たな金貸しシステム=ビジネスチャンスを作ったに過ぎない
「緑の革命」
~ODAの問題について解説している。
「BRICs徹底分析~インド編 その2.インド独立後の経済と政治」
~「緑の革命」は、一時的な収穫量の増大には貢献したものの、農薬や化学肥料を必要とする近代的農業はコストがかかり、農家の経営を圧迫し、結局は飢餓が広がるという結果に終わっています。
「食料貿易の自由化」
■市場が国家の養分を吸い尽くし、市場も国家も共倒れになる事例の記事
「潮流5:失われた40年」
~この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。~
「ついに国家を潰し始めた金融資本主義」
~今回の欧州金融危機が怖いのは、このように、被害が銀行だけにとどまらないことだ。・・・国家が潰れる危険性、破壊力を秘めている。おまけに時期が悪すぎて解決策が見つからない。
~日本でも小泉内閣のころからもてはやされた金融グローバル化。どこの国も額に汗して働くより、金融資本主義に走った。
by tamura
■おまけ:(国家と市場の例え)餅に生えたカビです。
投稿者 nandeya : 2010年07月03日 TweetList
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コメント
投稿者 うらら : 2010年9月25日 20:45
>日本人にとって、神とは、手の届かない天上にいる偉大な存在ではなく、地続きのお隣さんにいる親近感あふれる存在なのかなと思います。
多神教以前の「精霊」があまりにも超越的であったので、むしろカミサマの品位を下げていったのかもしれませんね。オホゲツヒメなんて本来的にはすごいカミサマですけど、あえてエログロな存在に変化させられていますよね。実は正体はグロかった・・・という昔話に共通の構造・・。そうやって、土着の神を貶めて、渡来神を上にもっていった。ところが、渡来神同士もケンカが絶えないので、どうしても「人間くさい神」になるしかなかった・・・というところじゃないでしょうかね?
投稿者 怒るでしかし~ : 2010年9月29日 14:47
怒るでしかし~さん、おつかれさまです。
古事記の神代を初めて読んだとき、
奇想天外とはこのことか、と呆気にとられました。
権威も威厳もへったくれもない「極めて人間くさい神様」。
アホやな~、と思いつつ、でもこういうひとっておるな~、
人間にはこういうところってあるよな~、と妙に
共感したのも確かです。
日本人にとって、神とは、手の届かない天上にいる偉大な存在
ではなく、地続きのお隣さんにいる親近感あふれる
存在なのかなと思います。
よく、日本人は笑わないとかって言われますが、
実は、ユーモアの気質溢れる民族なのではないか、
と思います。
ちがうかしら?