| メイン |

2010年05月08日

宗教ってなに?5~全ての古代宗教の起源? 原始ミトラ信仰①~

marino2005final2_30.jpg
<牡牛を屠るミトラの図>
こんにちは:D
 「宗教ってなに?」シリーズ第5回目は、全ての古代宗教の起源?!と囁かれている原始ミトラ信仰について見ていきたいと思います。
 応援クリックお願いします
Blog Ranking   にほんブログ村 歴史ブログへ

 にほんブログ村 歴史ブログへ


                     
るいネットより「 古代宗教の共通起源=アーリア人のミトラ信仰

なんでや劇場では、古代宗教の起源については、次のように展開されている。
2600年前、ほぼ同じ頃に、ユダヤ教・仏教・儒教が生まれた。この時代、誰もが飢えと抑圧に晒されていた。つまり生存闘争の圧力に晒されて私権闘争に明け暮れ、その結果、必然的に生じる戦争や抑圧や貧困に苦しんでいた。周りの人が飢えや抑圧に苦しんでいるのを見て「何とかしなければ」という思いを強く抱いた者たち(キリストや釈迦・孔子)がつくったのが宗教。しかし、現実に人々は私権を共認しており、そうである以上、私権闘争に明け暮れる現実も、その結果たる抑圧や貧困の現実も変わらない。つまり、現実は変革不可能である。だから、現実に背を向けて山奥に篭もって、神とか愛とかの観念を作り出した。それが古代宗教である。
実現論2_6_03によると、
>共認を唯一の武器として進化してきた人類は、異性や仲間や集団との共認充足なしには生きられない動物だからである。ところが、性闘争→私権闘争→私権統合によって本源集団は解体されて終ったので、失われた本源価値(異性や仲間や集団との共認充足)を幻想観念化して、頭の中で共認充足するしかなくなって終った。しかも、その様な幻想観念(古代宗教や近代思想)を創り出した思想家たちは、本源価値を破壊した、本源価値の対立物たる現実を否定し、反現実or 脱現実のベクトルに貫かれた非現実の地平に、本源価値を再生する幻想観念(「神」や「人間」や「自由・平等・博愛」やそれらを具有した「個人」や、それらを実現する「民主主義」)を構築した。
近代思想の源流にキリスト教、さらにはユダヤ教があるのと同様に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など現在の全ての主要な宗教の起源があるらしい。アーリア人のミトラ信仰(原始ミトラ教)というものだ。
原始ミトラ教は、アーリア人の宗教の神の一柱ミトラを主神とした宗教で、メソポタミア周辺に定住したアーリア人(イラン・アーリア人)のミトラ信仰が元になって、原始ミトラ教が作られた。それが分裂してゾロアスター教が生まれた。ゾロアスター教では、この世は善(光明)の神アフラ=マズダと悪(暗黒)の神アーリマンが絶え間なく戦い、最後に悪は敗北し、世界は大火災による終末を迎え、人は最後の審判を経て救済されるとした。ユダヤ人はゾロアスター教から二元論的終末論を採用し、ユダヤ教を作り上げた。それがキリスト教にも受け継がれた。一方、インド・アーリア人は、ミトラ信仰を元に、土着の信仰を取り込んでバラモン教を作り出し、そこからヒンドゥー教や仏教が生まれた。仏教の「弥勒」の起源も、ミトラ神らしい。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が同じ起源をもつことは知られているが、ミトラ教まで遡ると、ヒンドゥー教や仏教まで同じ起源となる。つまり、儒教を除いて、古代宗教の全てが同じ起源だということになる。
では、ミトラ神・ミトラ信仰とはどのようなものだったのか?それを解明することで、どのようにして、古代宗教が生まれたのか?がわかるのではないか。

全ての古代宗教の起源ともなったミトラ教が現在それほど知られていないのはなぜなのでしょうか? :roll:
また、ミトラ神とはどのような神だったのか?
ミトラ教の中身とは?
詳しくは、次回扱いたいと思います。

投稿者 staff : 2010年05月08日 List  

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2010/05/1059.html/trackback

コメント

縄文時代の居住構成は概ね1家屋5人~6人程度だったと記憶していますが、その根拠は一夫一婦制が基本ではなく、居住面積の規模が規定的な要素だと思います。
例えば1家屋に成人女性が2人、男性が3人、子供が2人などと言うケースもあり、一対婚を証明する形態はないのではないかと思います。
>博物館の展示を見ても、縄文集落は核家族的な小集団を基本に構成されているかのように=上記学者たちの説に従っているようで、一般の方々の理解もそのようになっているものと思われます。
これは、一対婚は人類の基本形態であるいう主張をしたい側の作為だと思います。一対婚は日本ではむしろ遅く、核家族に至ってはつい最近の事です。
やはり、20人から30人の大きな集落で暮らしていた縄文集落はそれ自体が大きな家族であり、人類の太古の洞窟時代の集団を延長させた本源集団の形態を継続させていたものだと思います。
>集団の分化・統合を解明するには、当時の外圧状況において、集団の最基底部にある男女規範、婚姻制がどうなっていたのかを仮説を元に組み立てていく事が不可欠ではないかと思います。
ぜひそのような試みを期待しています。

投稿者 tano : 2010年7月27日 02:14

縄文時代の家族形態を推定する作業は難しいですね。
遺跡などの証拠から類推する方法はちょっと偏った推定になると思います。
むしろ生物史としての観点から集団のありかたを想像するほうが整合性が高いとおもいます。
縄文研究の学会の議論は高尚すぎて?素人には少しとっつきにくいですね。

投稿者 匿名 : 2010年7月29日 19:16

だんだんと一対婚へと論が傾斜してきたのには、やはり違和感がありますね。
当時の状況を考えると、食糧確保という第一課題も、一対の家族よりは、集団的に実践した方がはるかに有利でしょう。
集落の形態も、闘争課題第一の集団をいかに統合するか。という視点が重要な気がします。

投稿者 さーね : 2010年7月29日 19:18

>現在は諸説が入り乱れ、何が真実なのか、学者の説からは見えなくなっているように感じます。<
 様々な学説を見ていると、先人の研究を活かそうというより自分の学説を際立たせる為に他の説否定するといった雰囲気を感じました。。。
 

投稿者 匿名 : 2010年7月29日 19:30

和島氏も水野氏も家族をやたら難しいものとして議論されています。改めて家族って何だろう?
やはり家族を肯定してよいものやら否定すべきなのか混濁しているのではないかと思うのです。それでも彼らの論じていた時代には厳然と家族は力を持って存在していました。
家族について、このブログで答えを出しておいた方がすっきりしそうですね。或いは人類にとって家族とはどのような時代に何の目的で登場したのか?そこを探れば答えが出てきそうです。
私なりの答えは家族とはやはり私権時代特有の社会や集団という枠組みから切り離された私的小集団だと思うのです。
そして目的は私有意識を高める為に家族という幻想を作り出してそこで多くの私権規範が作られたのではないでしょうか?
翻って家族は必要か否か?
もうすぐお盆休みが来ますが、水入らずで一家団欒、その時の意識ってもうひたすら弛緩して遊ぶ事に終始しますよね。
私権時代の最終的な目的が解脱だとしたら、家族もまたその為に必要なものだったのかもしれません。
でもいつの時代も必要なのは助け合ったり、期待しあったりする仲間や集団です。家庭崩壊や家族への離反が進む中、現代人は家族以外にその場を求め始めているのではないでしょうか?
故郷は遠くにありて思うもの・・・。
昔の人はうまく言ったものですね。

投稿者 tano : 2010年8月5日 20:56

コメントしてください

*