仏教に未知収束の志を観る~第3回 釈迦が求めた世界観とは |
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2014年09月11日
ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~③防衛のためにウクライナという毒を飲み込んだロシア
こんにちわちわわです。
これまで、ロシア民族形成の起源と、現在に至るロシアの拡大の過程を地勢的観点から考察してきました。
今回は、いよいよロシア帝国形成までの過程を、他の国と違うロシア独特の視点から切開していこうと思います。
ロシアは多民族国家です。
ロシアは、その歴史の初めから諸民族との接触を運命付けられていました。黒海の北方に横たわる南ロシアの平原は、遊牧民の居住地であり通路であり、早くには、イラン系のスキタイ人、紀元後には匈奴の裔といわれるフン族が東から西へ通って以来、さまざまな民族がこの地を駆け抜けました。
他方、ロシアの北部地帯は、フィン系諸族の生活圏でした。
この様に常に四周から異民族の脅威にさらされてきたスラブ人は、農業を基盤にした村落共同体の連合国を形成しており、周辺国家と婚姻関係による友好関係を築きながら、共生関係で民族を守ってきました。
草原の遊牧民からのがれ、北の森に定着し、村落共同体を残存させてきたロシアの歴史は、他民族からの防衛の歴史といっていいでしょう。
しかし、その南方に広がる草原の穀倉地=ウクライナ支配をめぐってロシアの歴史は歯車が狂ってしまいます。ロシアという国で連想される革命や殺戮のイメージは、このウクライナ支配から始まったといっていいでしょう。
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【やや遅れて始まったロシアの歴史は、異民族による支配層の歴史】
学識上、スラブ人の世界史への登場は5~6世紀の事である。この時南ではビザンツ帝国が繁栄を誇っており、西方では、ゲルマン民族が西ローマ帝国の遺産を継承しながら各地で独自の国家形成を始めていた。ロシア人はやっと9世紀に入って建国を始めたので、西ヨーロッパの諸国と比較して後発国であるといえる。
ロシア最古の年代記である「過ぎし年月の物語」によれば、5~6世紀ロシア最古の王朝リューリク王朝(キエフ公国)成立の際、ロシア人では建国できないので、スウェーデンから王を招き入れ建国したという伝説が残っている。
森に住むロシア人の共同体社会では、そもそも超肥大国家を形成する動機が乏しかったのであろう。実際、17世紀における支配層の出自を調べた学者によると、スラブ人の出自は23%、西ヨーロッパが25%、ポーランド及びリトアニアが24%、タタールその他が17%と、他民族国家といわれながらも現在80%を占めるスラブ人であるが、古代帝国における支配層の歴史は、異民族による国家支配の歴史だったのである。
【帝国の始まり~キエフ公国 民会による民衆自治の連合都市国家】
キエフは現在のウクライナの首都である。この町を中心に9世紀にキエフ公国が建設された。
ロシアは早くから都市を中心に発達した国であった。それは、広いロシア平原における防衛の問題と関わっていた。キエフでは、軍事指導者である公(クニャージ)がまず、居住区を取り囲む防衛壁を築き支配拠点とし、この柵で囲まれたところをゴロド=都市と表現してきた。これは、現在のクレムリンに相当する。この都市では経済活動も行われたが、外敵からの防衛と、周辺地域の統治といった軍事、行政的要素の方が勝っていた。
重要なのは、ここでは、物事は公を始めとする住民が集まる「民会」によって決められていたということである。初期ロシアにおいては、この民会こそが都市を中心とする国の中心機関であった。公といえども、民会の意向を無視することは出来なかった。民意に反する公は追放されたのである。民会はその後もモスクワ大公によってロシアが統一される14~15世紀までその重要性を保ってきた。
現在、専制的イメージの強いロシアであるが、古代から近世までのロシアにおいては民衆による自治の方が勝っていたのは特筆すべきであろう。
【タタールのくびき~モンゴル支配の時代】
ロシアは13世紀になると、東西から外国軍の大規模な攻撃にさらされる事になる。
西からはスウェーデンとドイツ騎士団の軍が、東からはモンゴル軍が押し寄せてきた。
西からの軍には断固立ち向かい、これを粉砕したが、モンゴル軍に対しては、無抵抗にモンゴル軍に従い、徴税権を与え、モンゴルの支配下に甘んじた。
250年というモンゴルからの間接支配の間、南はモンゴルによる遊牧民支配が強固になったことから、スラブの民はふたたび北の森にのがれた。ヨーロッパでは十字軍遠征があり、ドナウ川から黒海への流通の主力の移行もあり、キエフの商業的価値も薄れ、キエフは首都としての位置づけを失い、各地方単位の共和制都市国家へと分裂の道を歩むことになる。間接支配ゆえに各都市国家内の本源集団は維持され続け、再び、北の地モスクワを中心としたスラブ人による国家形成の動きが増してゆく。
【ロシア帝国の成立 急激な改革による血塗られた時代】
15世紀モンゴルの勢力が衰退し、カザン・カン国を撃退したロシアは遂にタタールのくびきから脱し、ロシア帝国を建国するに至る。同時期、隆盛を極めたビザンツ帝国も滅亡し、ロシア帝国はようやく国家として起動し始める事になるが、この時代から、近代以降のロシアの改革と血塗られた革命の歴史の始まりと言っていいだろう。
ロマノフ朝とピョートル大帝の大改革は、これまでのロシアの本源的営みから、近代国家に脱皮するための急激な改革であり、そのスピードと営みのギャップから、すさまじい歪が生じた。
コサックという、日本でいう武士が共同体自衛のために自然発生し、その代表ともいえるステンカラージンの乱を始め、塩一揆、銅貨一揆などロシア帝国創世記に民衆の反乱が多発した。これらの反乱は元々ある本源集団内に無理やり介入しようとする国家に対する防衛のための反乱であった。
【ウクライナを支配したことがロシアの悲劇】
6世紀頃、黒海の北岸、現ウクライナの地にハザール帝国が勃興し、のちに、このハザール帝国は世界史上類を見ない「改宗ユダヤ国家」となる。
12~13世紀、キエフ公国はハザール王国を攻め、支配下に組み込んだ。これにより、大量のユダヤ人が侵入する。これが、ロシアのアキレス腱となるのである。
ユダヤ人は商才に長け、活発な商業活動を行った。富めるユダヤ人は、大規模な製造業、運河搬業、蒸気船業などの大資本家に発展していった。
これを、国王からコサックに至るまで快しとせず、彼らを「搾取者」とみなして敵意を募らせた。ロシア帝国においては、さまざまな反ユダヤ政策が施され、ユダヤ人虐殺が政策の名のもとに行われ、コサックによるユダヤ人虐殺事件、やがては「ポログラム」という一般市民による虐殺事件に発展してゆく。
これらの事件は、ことごとく、元ハザール王国のあった地域=ウクライナから発生していることが注目されるべきだろう。
ウクライナは前述したとおり遊牧民の通り道であり、数々の争いが繰り広げられた地域である。気候に恵まれ東ヨーロッパの穀倉地帯でもある。
列強の力が増していく中、この地に隣接するロシアは、自国の防衛の手段としてウクライナを組み込むことを選択してしまったのである。
【まとめ】
もともと、草原の遊牧民からのがれ、森に定着し、村落共同体を残存させてきたロシアの歴史は、発展する周辺国家からの防衛の歴史であり、支配層に求められたのはもっぱら外敵からの防衛のための軍事力であった。支配層は異国民で形成されることが多く、それゆえに支配層内での血塗られたクーデターが頻繁に繰り返されたのである。
このような内紛を別にすれば、民衆の本源性が維持されているがゆえに村落共同体の地方自治はしっかりと維持されており、異国民のお上に対しては傍観者であった。
これは日本の構造とよく似ているともいえる。
しかし、近代化により力を増してきた周辺諸国に対し、国家の近代化は遅れをとった。
西ヨーロッパの国々ではまず、民衆の側が私権にそまり、近代思想が浸透し、民衆側から革命の波が沸き起こったのに対し、村落共同体が残存し、私権も市場も思想も浸透していないロシアにあっては、周辺国家に追いつくために、支配層の側から強制的に革命が断行された。これがロシアの特色であろう。
もうひとつ、ロシアの特色としていえるのは、ウクライナ支配による歪みである。
ユダヤ教改宗国家ハザール帝国を含むウクライナ支配は、大量のユダヤ人を国内に取り込む結果となり、ユダヤ人迫害の歴史が深く刻印されていった。ユダヤ人の貧困層は虐殺され、富裕層の一部はアメリカに移住し現在のアメリカの資本層となり、残った富裕層のユダヤ人は共産主義者となり、革命を起こし、ソビエト連邦という共産主義国家を作り上げた。
これは、ウクライナという毒を飲み込んでしまった帰結である。
ソビエトは崩壊し、ロシアは真っ先にウクライナを切り離した。プーチンが国家主導するようになって、ロシアは古きスラブ人の時代を取り戻しつつある。
ソビエト崩壊後の経済危機も、スラブ人の共同体魂によって、さほど混乱することもなく、乗り切った。
森の民となり、極度の自然外圧の中で培った生存力は今でも息づいているのである。
投稿者 tanog : 2014年09月11日 TweetList
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コメント
投稿者 板坂健 : 2014年9月20日 14:08
ロシアが飲み込んだ毒は、アメリカも飲み込んでしまって、アメリカの中枢機能が毒で麻痺している状態ですね。
アメリカだけで無く、世界全体を報道・映像・標語などの情報によって人間の意識をコントロールしています。
冷戦の錯覚、日韓対立による戦争煽動など。