2014年9月11日

2014年09月11日

ロシアの歴史に“民族の本源性”を探る~③防衛のためにウクライナという毒を飲み込んだロシア

こんにちわちわわです。

これまで、ロシア民族形成の起源と、現在に至るロシアの拡大の過程を地勢的観点から考察してきました。

 

今回は、いよいよロシア帝国形成までの過程を、他の国と違うロシア独特の視点から切開していこうと思います。

250px-Russian_Empire_(orthographic_projection)_svg1866年のロシア帝国の最大版図

ロシアは多民族国家です。

ロシアは、その歴史の初めから諸民族との接触を運命付けられていました。黒海の北方に横たわる南ロシアの平原は、遊牧民の居住地であり通路であり、早くには、イラン系のスキタイ人、紀元後には匈奴の裔といわれるフン族が東から西へ通って以来、さまざまな民族がこの地を駆け抜けました。

他方、ロシアの北部地帯は、フィン系諸族の生活圏でした。

この様に常に四周から異民族の脅威にさらされてきたスラブ人は、農業を基盤にした村落共同体の連合国を形成しており、周辺国家と婚姻関係による友好関係を築きながら、共生関係で民族を守ってきました。

草原の遊牧民からのがれ、北の森に定着し、村落共同体を残存させてきたロシアの歴史は、他民族からの防衛の歴史といっていいでしょう。

しかし、その南方に広がる草原の穀倉地=ウクライナ支配をめぐってロシアの歴史は歯車が狂ってしまいます。ロシアという国で連想される革命や殺戮のイメージは、このウクライナ支配から始まったといっていいでしょう。

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投稿者 tanog : 2014年09月11日