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2009年07月28日

古代人の食卓~調味料の歴史

mrranさんが「ハマ貝塚って何?」 で干し貝による塩分摂取の話を紹介いただきました。
続けて今回は古代の調味料についての豆知識を紹介します。 
平安時代の宮中貴族の饗宴では高杯(たかつき)と呼ばれる置き台に皿を置いて食材を盛り付け、その手元には4種類の調味料「酢・塩・醤・酒」が小さな器に盛られ、好みの味付けをして食されていたようです。
これらの調味料は「四種器(よぐさもの)」と呼ばれ、高貴な位の人々だけのもので 庶民の調味料は塩と酢であったといわれています。
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● 醤油
・縄文時代
縄文末頃より、果物・野菜・海草などを材料とした「草醤」、魚による「魚醤」、穀物による「穀醤」の3種があったようだが、やはり本格的に醤(ひしお)がつくられるようになったのは、中国からの「唐醤」(からびしお)や、朝鮮半島からの「高麗醤」(こまびしお)の製法が伝えられた、大和朝廷時代頃のこと。
そのルーツは中国の「醤」(ひしお)にあり、食物を塩に漬けて保存するうち発酵・熟成して旨みを持つことを体験的に知ったようです。醤についての最初の文献は、中国の古書『周礼』(紀元前11世紀頃、周王朝初期の記録書)とされている。
・奈良時代
大宝律令(701年)に「醤」に関する記述が残されており、醤院(ひしおつかさ)という制度のもとに各地から朝廷に米の代わりに醤大豆や小豆類が租税の 一部として納められており、当時は塩蔵品のことを総称で醤と呼ばれていた。
遣唐使によって多くの中国文化が伝えられ、急速に種類も増え、その原料となるもの大豆・米・麦や もち米なども用いられた。
今の醤油と味噌の原型となるものが生まれたが、庶民の調味料は塩だけであった一方で、醤は上流階級の調味料とされて寺院や貴族だけが 口にすることができる貴重なものだった。
・平安時代
時代と共に技術も進歩し、固形と液体に分離されたものも登場し、より醤油に近いものも出てきた。
平安京の東の市には醤店、西の市には味噌店が設けられ、醤に漬けた各地の魚も売られていた。また役人の給与の一部として、醤が支給されたともいう。
・鎌倉時代
醤油の元になったと考えられる「溜(たまり)」が誕生する。
1249年(建長元年)信州の禅僧の覚信が宋に渡って修行し、1254年(同6年)帰朝した時に径山寺味噌(きんざんじみそ)の製法を持ち帰り伝えたとされている。この製法を紀州・湯浅の村人に教えている際に、味噌桶の底からしみ出た液体(たまり)が美味しいという発見から調味料として使われるようになった。これが醤油の起源といわれている。
・室町時代
室町時代初期になると、みそからつくる溜しょうゆ状のもの、つまりしょうゆ様の調味料が使われはじめる。当時は貴族階級や武家社会でしか使われないまだまだ高級な調味料であった。
● 味噌
古来縄文時代からその原型がある日本独自の調味料。
奈良時代にはすでに文献にも味噌の原型と思われる未醤が確認でき、平安京の西市には未醤屋の存在が記録されている。このように古来より定着している食物といえる。未醤は現在でいうところの豆味噌系であったと推定され、麹が多用されるのは、後世の事であった。また、平安時代に書かれた書籍にも雑炊の味付けに味噌を用いた事が書かれている。
● 塩
縄文時代末期から。
古代における製塩方法で、海草を利用した「藻塩焼き」と呼ばれる方法がある。
海水のついた海草を刈り、海岸に広げて海水を注ぎかけてたっぷりと塩分を含ませながら天日に干した後、それを燃やして塩分を濃縮し、その後に水に溶かしてその上澄みをさらに煮詰めて塩を作ったという説がある。
藻塩焼きは『万葉集』等にも塩を海草から得ていたことを示す当時の塩造りの様子の歌が詠まれている。『古事記』で塩造りの神とされているシオツチノオキナをまつる宮城県の御釜(おかま)神社では、毎年7月に古代の製塩法を現代に伝える「藻塩焼神事」(もしおやきしんじ)が行われている。
● 酢
酢は人間が手を加えて作った最古の調味料と言われている。
最も古い酢の記録は紀元前5000年のバビロニアの記録といわれ、当時バビロニアではデーツ(ナツメヤシ)や干しぶどうの酒やビールから酢をつくったといわれている。
日本では、4~5世紀頃に中国から醸造技術が伝えられ、和泉の国(大阪府南部)がはじまりといわれている。
大化改新(645年)のころには、酢を造る官職も儲けられていた。
平安時代には、酢の種類も増え、米酢や酒酢のほか、梅酢、菖蒲酢、果実酢なども使われた。
室町時代には、酢味噌、山葵酢、胡桃酢、辛子酢、ぬた酢など、食材と混ぜ合わせた巣の和え物が登場し、料理の味付けに使われるようになった。
一般に調味料として広がったのは江戸時代になってからのことで、寿司の誕生もこの頃。
● 砂糖
砂糖の歴史は紀元前2000年頃までさかのぼることができる。
インドでは既にこの時代にお砂糖が使われていたといわれており、最古の仏教典には「砂糖」はクスリとして記されており大変貴重なもので、病気による衰弱、疲労の回復に「砂糖」が効果あるクスリとして使われた。
サトウキビの搾り汁を煮詰めてお砂糖をつくる方法を発明したのはインドが最古といわれている。
サトウキビの原産は南太平洋の島々と言われており、東南アジアを経てインドに渡り、キビの汁を煮詰めて砂糖をつくるようになった。インドのサトウキビと砂糖はアラビア商人により西はペルシャ、エジプトへ、東は中国へ伝えられた。
日本への伝来は754年奈良時代に、中国の僧である鑑真の渡来によって持ち込まれたという説がある。正倉院に保存されている大仏に献上した薬の目録に、蔗糖(サトウキビから作られた砂糖を意味するもの)の記録が残されており、当時、砂糖は献上品であるほど貴重なものであり、ごく一部の上流階級が甘味としての食品というより薬として用いたようです。
おまけに、
● 豆腐
紀元前2世紀の前漢時代に中国で作られたのが始まりとされている。
日本には奈良時代に遣唐使によって伝えられ、はじめは寺院などで食されてきたが、精進料理の普及とともに武士や貴族の間に広まっていく。一般の人々が豆腐を食べるようになるのは江戸時代になってからである。
● 納豆
塩辛納豆は、中国の「くき」と呼ばれる食品の製法を700年頃に僧が伝えたとされ、現在でもお寺が多い関西地方では塩辛納豆が食べられている。
煮た大豆に麹菌を繁殖させて大豆麹を作り、これを塩水に三・四ヶ月浸してさらに発酵させ、乾燥させて出来上がり、という手順。
仏教と同じく大陸から伝来したとされるこの製法で、大事に大事にお坊さんや役人が作る。奈良時代に朝廷の大膳職で作られていた「鼓(クキ)」がこの塩辛納豆にあたり、一般の庶民は口にできない高級品であった。「納豆」と言う呼び方はお寺の台所である「納所で作られる豆」からきたとも言われている。国分寺・国分尼寺では既に塩納豆が作られていたとの記録も残っている。
糸引き納豆の起源については未明らしい。
以上、調味料のいろいろ、お伝えしました。
やはり、渡来人によって中国文化が多く伝えられていますが、想像していた以上に古くから豊かな食生活が営まれていたようです。

投稿者 nishipa : 2009年07月28日 List  

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コメント

修験道は、各地の修行場や山岳をまたにかけたネットワーク網をもっており、この修験道の持つ情報網を握り情報戦を制した勢力が、争いの勝利をもたらすからだではないかと想像しましたが、そう考えると、いつの時代においても、より多く正確な情報をつかむことが、勝つためには重要なんだと思わさせられます。

投稿者 pentel : 2009年9月2日 00:10

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