【縄文再考】受容と変容のなかで多様性を育む縄文人 |
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2022年01月20日
【縄文再考】身分や階級は関係ない!~自然に対する畏敬の精神が、世代をこえて集団をつなぐ~
(伊勢堂岱遺跡・環状列石。上が北東。環状列石A(右上)、環状列石B(左上)、環状列石C(下)。
縄文人の死生観とは?―青森県企画政策部世界文化遺産登録推進室 世界文化遺産登録専門監 岡田康博:https://stone-c.net/report/5510/2)
皆さんこんにちは!
前回は埋葬形式について整理し、その中での共通する死生観の精神性や、集団形成における関係について辿ってきました。
今回はもう少し深堀してストーンサークルや埋葬品・副飾品等から縄文人の死生観について追求していきたいと思います。
■世代を超えてもなおその場所で生き続けるー環状配石墓―
縄文時代、墓の周りを石で囲むような環状配石墓と呼ばれる集団墓が存在していました。
(例えば野中堂環状列石の規模は最大径44メートル、万座環状列石は最大径52メートル)
世界文化遺産登録専門監、岡田康博氏は以下のように分析しています(リンク)
> 墓の周りを石で囲むという環状配石墓では、遺体を墓に埋葬したときと、石でその周りを囲んだときでは時間差があります。つまり、埋葬後に現代でいう追というそざいは善供養のようなことをしていて、それはすごく大事なことだったと思われます。<
縄文時代は「再葬墓」という形で他の場所に埋葬されていた遺体を新しい集落に再葬するという行為がみられました。
集団としての結束を固めるとき、未来へも集団を存続し続けるときに、先祖を共有する行為が社会的にも非常に意味があったと考えられます。
そして石は”腐らない素材”。
永遠への意味を込めて縄文人たちは石を集団墓のまわりに配置していったと推測できます。
■再生への祈りー土器、赤色顔料ー
大人の埋葬は「永遠に生き続ける」ことに祈っていたのに対し、乳幼児の埋葬は「再生」を祈っていたと考えられます。
引き続き岡田康博氏は以下のように述べています(リンク)
>乳幼児は普段使っている土器を棺として、乳幼児だけの墓地に埋葬しています。その墓地は家の近くにありますので、我が子に対する強い愛情の表れと同時に、再生の願望が強かったのではないかと思われます。「早く胎内に戻ってほしい」「また宿ってほしい」といったことを願い、縄文の母親たちは、「墓のうえを歩いていた可能性もある」ともいわれています。<
また子供の土器棺中に赤色顔料をいれる風習があったと言われています。
山田康弘氏は赤色顔料について以下のように述べています(リンク)
>従来,赤色は血液のメタファーであり,土壙内に赤色顔料を散布するのは血液を注ぎ,再生を祈願するためであるという解釈がなされてきた(小町谷1987など)が,土器棺内に散布するのはまさに再生を祈願したためかもしれない。<
永遠と集団や集落と共に生き続ける大人の死生観に関して、子供や乳幼児はもう一度再生してほしいという願いを込めた死生観であったことが推測できます。
■自然への畏敬、仲間への感謝―玉、翡翠―
(縄文時代に栄えた「ヒスイ文明」。先人の祈りと願いを繋ぐ、日本の“元祖パワーストーン”の力:https://www.kateigaho.com/home/116832/)
副葬品の中には当時希少価値のあった翡翠などの玉も存在しています。
>ヒスイは、最初は「大珠(たいしゅ)」という細長い楕円形で5~15センチ前後大、ほぼ中央に孔が開いているものが用いられていました。縄文時代中期から後期にかけてのおよそ2000年しか存在しないものです。
主に、死者を埋葬した墳墓から発掘されており、呪術師を埋葬する際に子孫を守ってもらうため、死者の魂の不滅とパワーアップを願って副葬されたようです。(リンク)<
また緑色であることにも大きな意味を持ちます。
>縄文時代に嗜好された「緑」は自然の象徴であり、生命力・安心・恒常を連想させ、安らぎ・癒しの色であることは現代に生きる私たちにも共通した感覚と言えるでしょう(リンク)<
縄文人は、魔を回避するために、生命力を象徴する緑色を信仰していた文化があると考えられます。
また勅使河原彰氏は特別な副葬品を全て個人に帰属するものであり、特別に副葬品を伴う墓は集団で指導的役割を果たしたもの、狩猟や漁労の技能・霊脳にたけているものに多く埋葬されている可能性が高いと述べています。
これらのことから希少価値のある翡翠や玉は身分や階級制度を示すものではなく、自然への畏敬の念、そして人(仲間)への感謝の贈与品とつながるものかもしれません。
縄文人にとって墓は身分や階級で区別されるものではなく、自然から得た畏敬の念の精神性に学び、人(仲間)への感謝を象徴であり、この埋葬行為が世代を超えて集団を繋いでいく収束軸となっていっているのかもしれません。
次回は縄文人はの一日の仕事や役割、集団の仕事の進め方はどうしていたのかについて追求していきます!
投稿者 hanada : 2022年01月20日 TweetList
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