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2007年07月31日

日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。

こんにちわちわわです。
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
それは縄文時代の狩猟採集社会の精神世界です。
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その原型を見ることが出来るアイヌでは、人間と動物に本質的な区別はなく、動物も植物も天の世界では人間と同じ姿格好をして、人間と同じ生活をしており、動物も植物もたまたま人間の世界に現れたときに、熊は熊になり、木は木になるに過ぎないといいます。本来皆平等なのです。人間同士の平等どころか、人間と動植物も平等なのです。
アイヌに残るこうした思いは縄文人から受け継がれた大切な思いです。縄文人すばらしいと思った方↓↓ぽちっと!
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以下「ブナ林と古代史」さんより要約させていただきます。
http://kodaisi.gozaru.jp/sisouAAA/sisouAA-html.html
カースト制が強く、平等思想が浸透しなかったインドでは受け入れられなかった仏教が日本で受け入れられたのは何故かというと、仏教の根本思想が平等思想だからです。
 確かに仏教は平等を説くわけですが、これが日本に来ると、人間ばかりか動物まで平等になる。仏教と言うと「山川草木悉皆成仏」という言葉を思い出しますが、これは日本で出来た思想で、仏教本来の思想ではありません。釈迦の教えでは、仏になれるのは人間に限る。しかも、仏というのは一切の欲望を離れて悟りの境地に入るのですから、それが出来るのは優れた仏性をもった人間に限るというのが本来の仏教の考え方です。
その仏教の考え方が日本にくると、一切衆生、生けるもの皆平等で仏さんなれるとなります。浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽浄土へいけます。こんな優しい、無茶な理論は本来の仏教には無いのです。でも、この理論が日本に定着したわけです。
 人間も動物も全て天に行ける、仏になれる。仏になるのは簡単なのです。日本では死んだことを「お陀仏した」という。また役に立たないものを「お釈迦になった」といいます。こんなことをインドの仏教徒が聞くと怒ります。ところが、日本では平気で使っている。それは生きとし生きるものは全て神になる仏になれるという思想だからです。
 もう一つは死と再生の循環思想です。 
では人間の魂は死んだら何処へ行くのか。古代からの日本人の信仰では、霊はお山に行くという。お山で浄められるわけです。そこで人々は霊がお山から帰ってこないように、年忌を行ないます。日本人が年忌を大事にするのは、お山にいる霊をだんだん上へ、天に近づくように送りと言う意味が込められているからです。それで三十三回忌をすると、もう大丈夫、天に着いた。それで天に着いた霊は今度は何をするかというと、時々子孫の処に帰ってくる。それがお盆とお彼岸です。
 このような縄文時代に培った循環の思想が日本の精神世界には色濃く根付いているのです。

投稿者 tiwawa : 2007年07月31日 List  

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コメント

日本の戦争の起源というところで、このテーマはとても興味深いものですね。
ただ、縄文人がどのように巻き込まれたか?
弥生人・縄文人の意識構造も含めて、鮮明になるといいなぁと思います。
この辺はまだまだ未解明なのでしょうか?

投稿者 さーね : 2007年8月16日 18:46

さーねさん、コメントありがとうございます。
弥生人・縄文人の意識構造までは、なかなか解明できていません。
ただ、縄文時代においても他集団に対する警戒心は芽生えていますし、多くの縄文人は1000年のあいだに大陸や半島の渡来人を受け入れており、戦争についての見聞は得ていたことでしょう。
弥生時代に入り、縄文土器が一気に消失するあたりからも、縄文文化が外圧の到来を機に一気に転換(外圧に同化?)したことが伺われます。
戦争の様子や勝者・敗者の動向を詳細につかむことで、意識構造についても迫ってみたいと思います。

投稿者 くまな : 2007年8月16日 22:41

 青銅器は主に祭祀を担ったもので、本当の意味での
戦争を考えると、鉄器に視点が移ります。その場合、
九州と山陰出雲の2ヶ所で鉄器の生産が盛んだった
のが弥生後期の情況のようで、近畿には鉄器の出土が
少ないのが現状のようです。
 そこでなぜ近畿にヤマト王権が誕生したのかという
と、出雲から鉄が近畿に流れたのがきっかけであると
言う説が脚光を浴びています。
 まず、古事記の修理固成の段ではイザナミ大神が、
出雲と伯耆の堺の比婆山に埋められたとありその神陵
が島根県安来市にあり、弥生の製鉄遺跡が妻木晩田
遺跡や塩津山遺跡、そのた未発掘のものなどかなり
多くあるそうです。きっと古代人の共通する認識と
してはこの地の鉄がすべてを作り上げたということで
イザナギ・イザナミの説話が日本国土の創造のはなし
に形を変え残ったのだろうと思われます。
 
 

投稿者 久米聡 : 2007年8月20日 11:52

久米聡さん、コメントありがとうござます。
確かに、国を統合するような力、そのための戦争を考えると、鉄器の存在が不可欠だと思います。ヤマト王権の成立についても鉄器(武器)は大きなカギだと考えています。
弥生時代の戦争については、ぼちぼちではありますが、卑弥呼やヤマト王権についても迫っていきたいと思っていますので、応援よろしくお願いします。

投稿者 くまな : 2007年8月20日 23:55

 安来って日立金属があるところですよね。あそこに研究所があるのでなにか手がかりになる発表とかないのですかね。

投稿者 うらやすおか : 2007年10月12日 23:11

日立金属の安来工場のHPには「伝統的製鉄技術を伝える日本刀は、安来工場の所在する山陰地方の高純度砂鉄を唯一の素材として作られてきました。」とありますね。
あのあたりは、戦争を考える者にとって重要な縄張りであったのは確かですし、そこを制したものがその後に強い力をもったと考えられますね。当然敗者は出雲を恐れ、屈服し、崇める。

投稿者 くまな : 2007年10月15日 14:40

 日本書紀、古事記に書かれている神話の1/3は出雲のことがかかれていますし、日本国土ではじめてドラマが展開されている場所ですね。考古学的にも興味のある発見があると思われますが、あまり詳しくないので詳しい方に教えていただきたいのですが。

投稿者 叢雲 : 2007年11月25日 11:51

叢雲さん、コメントありがとうございます。
わたくしも、決して詳しいわけではありませんので、お教えする役はどなたかにお譲りしたいのですが、
参考になりそうなサイトとしては、
「出雲とは何か」
http://www2.odn.ne.jp/hideorospages/yamatai10.html
「古出雲文化展」
http://inoues.net/study/bunkaten.html
があると思います。
初歩過ぎたらごめんなさい。

投稿者 くまな : 2007年11月26日 01:55

 この時代使われていた、鉄というのは道具や武器につかわれていたので、原始的ではあるが今の特殊鋼にあたるんですね。特殊鋼は過酷な用途に使われるため今でも研究が活発で、鉄鋼の先端技術ともいえます。

投稿者 熊谷 : 2007年12月16日 10:03

 日本史全体を眺めて考えると、鉄鋼文化発祥の地は島根県の安来地方にあります。日本の鉄の将来を考えるためにも、是非出雲安来地方へこられることをお勧めします。

投稿者 ラストサムライ : 2007年12月21日 22:29

たたらの現代版といえば海面鉄。日本刀もできたのだ。海面鉄プラントで活躍していた、技術者達は皆ラストサムライであったのだ。

投稿者 たたら : 2015年6月15日 20:20

最期のラストサムライが今年5月定年になられた。心からご苦労様でしたといいたい。

投稿者 たたら : 2015年6月15日 21:03

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