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日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。

こんにちわちわわです。
日本の神道や仏教が根底に持っている思想とは何か。
それは縄文時代の狩猟採集社会の精神世界です。
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その原型を見ることが出来るアイヌでは、人間と動物に本質的な区別はなく、動物も植物も天の世界では人間と同じ姿格好をして、人間と同じ生活をしており、動物も植物もたまたま人間の世界に現れたときに、熊は熊になり、木は木になるに過ぎないといいます。本来皆平等なのです。人間同士の平等どころか、人間と動植物も平等なのです。
アイヌに残るこうした思いは縄文人から受け継がれた大切な思いです。縄文人すばらしいと思った方↓↓ぽちっと!
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以下「ブナ林と古代史」さんより要約させていただきます。
http://kodaisi.gozaru.jp/sisouAAA/sisouAA-html.html [3]
カースト制が強く、平等思想が浸透しなかったインドでは受け入れられなかった仏教が日本で受け入れられたのは何故かというと、仏教の根本思想が平等思想だからです。
 確かに仏教は平等を説くわけですが、これが日本に来ると、人間ばかりか動物まで平等になる。仏教と言うと「山川草木悉皆成仏」という言葉を思い出しますが、これは日本で出来た思想で、仏教本来の思想ではありません。釈迦の教えでは、仏になれるのは人間に限る。しかも、仏というのは一切の欲望を離れて悟りの境地に入るのですから、それが出来るのは優れた仏性をもった人間に限るというのが本来の仏教の考え方です。
その仏教の考え方が日本にくると、一切衆生、生けるもの皆平等で仏さんなれるとなります。浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽浄土へいけます。こんな優しい、無茶な理論は本来の仏教には無いのです。でも、この理論が日本に定着したわけです。
 人間も動物も全て天に行ける、仏になれる。仏になるのは簡単なのです。日本では死んだことを「お陀仏した」という。また役に立たないものを「お釈迦になった」といいます。こんなことをインドの仏教徒が聞くと怒ります。ところが、日本では平気で使っている。それは生きとし生きるものは全て神になる仏になれるという思想だからです。
 もう一つは死と再生の循環思想です。 
では人間の魂は死んだら何処へ行くのか。古代からの日本人の信仰では、霊はお山に行くという。お山で浄められるわけです。そこで人々は霊がお山から帰ってこないように、年忌を行ないます。日本人が年忌を大事にするのは、お山にいる霊をだんだん上へ、天に近づくように送りと言う意味が込められているからです。それで三十三回忌をすると、もう大丈夫、天に着いた。それで天に着いた霊は今度は何をするかというと、時々子孫の処に帰ってくる。それがお盆とお彼岸です。
 このような縄文時代に培った循環の思想が日本の精神世界には色濃く根付いているのです。

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