天皇って何? |
メイン
2009年04月26日
縄文ピラミッドを探る~ヤマト王権により施設型岩石祭祀が広まる
こんにちは。
前回はクロマンタを紹介しましたが、続けて第2弾です!
写真は黒又山の麓にある大湯環状列石です。万座と合わせ日本一の列石です。
(大湯環状列石フィールドワークさんよりお借りしました。)
ストーンサークルは世界各地に見られますが、不思議ですね。
大湯は、縄文時代後期に造られ、その時代の土器、石器、土偶等を数多く発掘されています。
共同墓地や祭祀場、日時計などの諸説があるようですが、はっきりとは断定していないようです。
ところで、なんで“石“なのでしょう。
今回もまた岩石祭祀について、お伝えします。
応援お願いします♪
岩石祭祀提唱地さんより引用して要約させてもらいました。
●岩石信仰の淵源
縄文早期の集石土壙墓の出現あたりから石に対する特別視が見られる。
●岩石信仰のかたち
石崇拝、巨石信仰などを含め、岩石信仰と呼ぶ。
・霊石型:
石神、石仏などがその代表例。これらは「石=神」「石=仏」であり、神
仏が顕現する身体として岩石が選ばれたのであって、その岩石には
霊魂が絶えず内在しているとみなされる。
・施設型:
磐座に代表されるもので「降臨する神仏を一時的に迎えるための施設」
という意味合い。
・聖跡型:
日本武尊などの伝説上の英雄や、最澄や空海などの上人、源頼朝や
豊臣秀吉などの権力者など、歴史的偉人にまつわる伝説を有する岩石
群に当てはめる概念。
豊富な伝承を有する岩石信仰の場として全国の125例を調査した結果が以下。
●岩石信仰事例の偏り
・1~2例を保有する県の数が最も多く、県当たり1~2例が最も一般的な
数量のよう。
・4例以上属する地域は、岩石信仰の盛んだった地域とみなしても差し支
えない。
・6例以上有する県はかなり限られており分布集中地域とみなしても良い。
・とりわけ10例以上有する3県はいずれも畿内地方に属している。
●岩石機能分類の偏り
「霊石型」>「施設型」>「聖跡型」の順となっている。
「石自体が神である」という最も素朴単純な岩石信仰の形である霊石型が、信仰心として発露しやすかったと思われる。
●岩石信仰の時間的変遷
・施設型は「磐座」に代表されるタイプで、岩石は神そのものではなく祭祀するための施設であるという特徴がある。これは「依代」「形代」といった神道的な観念があることによって初めて成立する祭祀形態と思われる。
ゆえにこの施設型の成立は、素朴単純な石神型より後出するものであると考えられる。施設型の考え方は「石=神」という考え方から出発しないと生まれない精神観。
∴霊石型(縄文~弥生時代)→施設型(弥生~古墳時代)
・神道はヤマト王権の勢力拡大に伴って全国に普及した祭祀観念だと考えられる。神道観念に裏打ちされて主に成立したと思われる施設型の広がりも、ヤマト王権の中心地である畿内から、時代を経るごとに周縁に広がっていったのではないかと考えられる。
中国~九州地方の事例数 ・・「霊石型:施設型=10: 6」
近畿地方の事例数 ・・「霊石型:施設型=26:25」
東北~中部北陸地方の事例数・・「霊石型:施設型=24: 9」
・近畿地方はヤマト王権の成立した中心地域であるため、それが担っていた祭祀体系である施設型も大いに盛行していた。近畿から離れた地域においては、ヤマト王権も支配に伴って祭祀の画一化を図ったが、それでも他地域では独自の岩石信仰が根強く残っていたものと考えられる。
●岩石信仰はどのように始まったか
・「岩石の可視的なところから始まった信仰」
(1)岩石の外観がそこらの自然石とは明らかに異形な場合。畏怖・崇敬の
度合いがひときわ大きい。
(2)岩石の形状が他の何かの事物に似ている場合。例えば、それは道具
・器物・性器・動物など。
(3)所在の場所が特別な所(山頂)だったり、岩石出現の事情(突如海岸
に出現など)にいわれのある場合。
・「岩石の理念的なところから始まった信仰」
(1)岩石は長年の風化侵食にも耐え現状をとどめるので「岩石=恒久不変
の象徴」としてみなされた場合。
(2)様々な理由から「岩石=意思を持ち活動するもの、呪力を持つもの」
とみなされた場合。
(3)超自然的存在(神霊)を迎える聖域として、岩石を用いて構築した祭
祀場が必要になった場合。
●信仰対象と祭祀形態の時間的変遷
・縄文時代:
万物に精霊が宿る自然物信仰 →霊石型岩石祭祀
・弥生時代:
降臨する神仏を一時的に迎える→施設型岩石祭祀(地的宗儀) 地中に祭具を埋納することで、土地に根ざす神々を祀る儀礼の在り方。この地上の神々は、日本神話で語られる国津神に該当する。
・古墳時代:
降臨する神仏を一時的に迎える→施設型岩石祭祀(天的宗儀)
ヤマト王権の勢力拡大に伴い祭祀形態も列島各地に定着化。
天的宗儀は、中国大陸や朝鮮半島からの文化的要素が影響した上に成り立つもので、日本神話で語られる天津神が祀られる対象となっている。天津神は普段は天上界(高天原)に住んでいるものと解されており、地上界の人々が祈願を行なう場合には、神々を天上界から地上界(常世国)へ降臨させる必要がある。そのための祭祀場として、岩石信仰において彼らは磐座を用いたと考えられる。
大湯の環状列石は縄文後期ですが、石は北東に4~6km離れた安久谷川河床から採集されたものと考えられているので、霊石型では無さそう。
環状列石の下部に穴が掘られているものが多数あり、人間と思しき脂肪酸が検出されたりしているので、「墓所」と考えるのが定着しているようです。
古くは集石型土墳墓から支石墓のように石を使った墓も見られることから、墳墓と考えたほうが良さそうですが、渡来人が持ち込んだ葬送様式からすれば、墳墓と兼ねた祭祀場とも考えられられるかと思います。
投稿者 nishipa : 2009年04月26日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2009/04/799.html/trackback