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2008年11月03日

古代日本の国家成立は何か違う

古代日本を読み解くのはなかなか難しい…と感じていますが^^;、司馬遼太郎さんの分析はなかなか面白く、日本史を大きくみて「なんで?」ってところを探ってくれています。
それによると、どうも日本の古代国家成立は他の国とは大きく違う。
中国大陸の外圧状況や歴史的事件の整合性を視点に置くと、「やはりおかしい」と僕自身も感じました。日本史のある事象に思考を留まらせるのではなく、歴史の大局をまず捉えるという視点が重要だと感じました。
今日は、東北物語り伝承館を参考にさせていただきました
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律令国家の成立
日本の古代というのは、・・わかりにくい。
どうして大和政権が、古代日本の代表的な勢力になったかについても、わからないのである。4、5世紀でさえ、大和政権は比較の上での大きさであって、絶対的な存在ではなかった。6世紀ごろでもなお独立性をうしなわない諸氏族や族長もいたと見るほうが、自然である。
私どもは、そのことよりも、7世紀になって様相が一変してというほうにおどろきを持ってゆかねばならない。あっというまに、大和政権による統一性の高い国家ができてしまうのである。この間、戦国乱世ふうの大規模な攻伐があったようにはおもえず、キツネにつままれたような印象をうける。
もっとも、この奇現象は、近代においても経験している。1869(明治2)年の版籍奉還がそれである。一夜にして統一国家ができてしまった。
7世紀の面妖さについての説明は、“外圧〟という補助線を引いてみると、分かりやすい。一衣帯水の中国大陸にあっては、それまで四分五裂していて、おかげで周辺諸国は安泰だった。
それが、6世紀以来、隋という統一国家が勃興することによって、衝撃波がひろがった。

★中国が統一されたということは、強大な力を持つ国家基盤ができたということ。より、領土拡大への可能性を求めて、朝鮮半島侵略に向かった。朝鮮半島からはじき出された支配階級が日本に来たと考えれば、大和政権成立時期とも整合する。

大化の改新
初期藤原氏というのは、陰謀の家系といっていい。
古代日本は、7世紀半ば、古代国家を脱して中国式の律令国家になった。こういう大変革は他勢力の征服によるか、革命によるのがふつうである。が、宮廷のクーデターによった。大化の改新がそれである。

★これは結構面白い視点。2つのことを示唆してくれている。クーデターを起こす余裕があるくらい、他に敵はいなかった。要は、日本には、他に掠奪集団がいなかったということ。様々な国が興って争うという状況にはなかった。
★もう一つは、クーデターを起こすくらい、内部が混乱していた=朝鮮半島からはじき出されて渡ってきた様々な部族が争っていたということ。
中国や中東,欧州が、国同士の絶えざる戦争の状況で、様々な国の興亡があったのに対して、日本はだいぶ違う。勝手に渡来人がやってきて、内部抗争を繰り広げていたということが見えてくるのではないでしょうか

投稿者 sawatan : 2008年11月03日 List  

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コメント

チームユダヤって、すごいディープなチームですね。
かの“ヘブライの館”を超える記事を期待してます。
最近更新してないし。

投稿者 minamikazekozo : 2008年11月29日 23:54

ユダヤって聞くとなんかあやしい!と思っていまいますが、なんででしょうねれ?

投稿者 犬 : 2008年12月9日 23:57

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