環状列石から見る縄文の墓と祭り |
メイン
2022年11月17日
【縄文人の世界観】縄文人は世界をどうとらえていたのか?その自然観から迫る!
日本には誇れる文化が多々あります。
その中でも最も古く、すべての根底にあるのが、縄文文化です。
争いごとなく、1万年以上も続きました。
現代、自然に対する捉え方は、西洋と東洋では大きく異なります。東洋、なかでも日本人は、自然を自らと一体のものと捉えて、畏怖の念を抱いて日常の暮らしを営んでいます。その日本人の心の奥にあるものと、縄文人が自然のままに暮らしたその精神性に、通じるものがあります。
原始的だから自然に合わせて暮らしていたわけではありません。栽培や稲作の技術があっても、そこには手を出さなかったのです。縄文以前の始原人類には共通する自然観があります。それをいまに伝える未開部族の人々の言葉には、現代の人類がようやく到達した素粒子の世界やその背後にある宇宙の構造が語られています。科学認識が発達する以前から、感性で世界を解き明かしていたと考えられます。そのような認識をどのように獲得したのか。それがもし特殊能力だとしても、身体に大きな違いがない現代人に到達できないわけはありません。
自然と共生する文明を1万年にわたり築いた縄文人。その精神性に同化することができれば、感性に基づく科学認識とともに、現代において今後1万年にわたり持続可能な新しい暮らしのあり方が見つかるかもしれません。その最も近い位置にいるのが、縄文人の末裔である日本人ではないでしょうか。
日本人が世界に貢献し、人々の暮らしを永続的なものにする。その基盤を発見できれば、日本人が、充足に満ちた(もちろん戦争の無い)社会を先導できるのではないでしょうか。その可能性を切り拓いていくため、まずは縄文人の精神文化に同化すべく、その暮らしの実像にせまっていきます。
題して、縄文人は自然をどうとらえていたのか?その自然観に迫る!
以下に、今後解明していくテーマと切り口となる追求ポイントを挙げます。
土器の縄目模様や装飾、かたちの意味は、子宮や蛇(交尾の象徴)がまきついているかたちといわれている。そこに何を期待しているのか。蛇は月の水を導くとする説がある。月による潮の満ち引きなど、水に対する思いはどのようなものか?
土偶は精霊や栽培・採取の対象物を模したものなのか。西日本と東日本の違いは何か?なぜ割ったのか?その使い方を含めて、土偶にこめた想いを探る。
道具の使い方。とくに、生活に必ずしも必要でないような道具について。勾玉や装飾品。どのような思いで作り、贈り、身に着けたのか。
住居はなんで竪穴式なのか。なぜ焼いたのか。決められた方位の意味とは。一つの住居の構成員について。縄文尺とは。それ以外に入れ墨や抜歯などの慣習の意味について。
集落の形や機能。埋葬の場所。環状列石や日時計のようなものについて。太陽と月を両方把握しようとしたのか。何がどう配置されているのか。なんで円なのか。
埋葬の仕方。屈葬や抱石葬の意味。子どもと大人の違いについて。それら埋葬についての一貫した考え方から縄文人の死生観を掴む。
食は豊かだったのか、ひもじかったのか。生産力は。体格や寿命、骨の成長。西日本と東日本の違いからも推定。
投稿者 kumana : 2022年11月17日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.joumon.jp.net/blog/2022/11/5640.html/trackback