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2010年11月08日

◆日本人の起源(6)~日本語の起源から日本人を考える~

日本人の起源シリーズもはやくも6回目を迎えました。
先回は気候変動と生産様式の変化に着目し、縄文時代の採取生産からどのように農耕に移行したのか?を見てきました。
そこでの気づきは、稲作の到来は2段階あり、初めは朝鮮経由ではなく、長江からやってきたということです。
縄文・弥生時代もより細分化してみていくと発見の連続です。
さて今回は日本語の起源から日本人を考えてみたいとおもいます。
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人類史を遡れば、言語の使用はおよそ20万年前、火の使用の時期まで遡ることができます。
言語の使用は脳容量を拡大させ、観念能力を向上させたと考えられます。人類はそれ以降石器や弓矢を発明し、およそ9,000年前には農耕・牧畜をはじめています。
人類誕生500万年前からのスパンでみれば、この20万年の進化のスピードは相当著しいものだといえます。
ところでこの言語の記録を遡ることは、文字の記録を遡ることと近い位相にありそうですが、文字が使われ始めたのは、言語の使用から下ること、19.5万年、いまから5,000年前となります。
人類史的にみればつい最近?で、文字の歴史と都市国家の成立(=身分制度の確立)と同時代です。
このように人類は過半の時代を「無文字」の中で暮らしていました。 😮
日本に限ってみれば、約2,000年前の弥生時代中頃に外交の必要性から中国の文字-漢字を受け入れたといわれていますが、それまでは「文字なし」で十分暮らしていけたわけです。(この点は4大文明が起こった地域とはまったく異なります)
このように文字をもたなかった縄文時代(弥生前期)は、どのような言葉を話していたのか?、そのルーツはどこにあるのか?、縄文言語の特徴はどんなところにあるのか?を探ることが今回のテーマです。
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■日本語(言語)の起源

これまで日本語はいろいろな言葉と比べられてきたが、日本列島周辺の言葉のうち、となりの中国語、韓語・朝鮮語、日本国内のアイヌ語などは日本語とまったく系統的関係がないことが明らかになっている。逆にいえば、これらの言葉はそれぞれが独自の長い歴史を持っていることを意味する。
 そして比較研究の結果、現在、日本列島をはさんで北と南に大きく広がるツングース諸語とオーストロネシア諸語が日本語を産みだした最有力候補で、縄文時代中期以降、これらの言葉が日本列島でたがいに接触し、その後、混合することによって現在の日本語の母体を形成したことが分かってきた。
 このようにして、日本語の中の単語の多くはオーストロネシア語に、助詞や助動詞という文法要素は大部分をツングース語に負っていることになるが、奈良時代までまだ盛んに用いられていた接頭語はオーストロネシア語の要素を受け継いでいる。

南方か北方かを言葉からみる
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日本語の起源は 諸説様々 あるようですが、 おおむね妥当と言われているのが、上記にあげた 「混合言語説」 です。
さてこの「混合言語」とは概ね塗り重ねによってつくられた言葉と推測できます。
縄文語の復元(じょうもんごのふくげん)という HP には、各単語が(山・川・雷など・・)ツングース語由来なのかオーストロネシア由来なのか?を分類してまとめています。
これを見ていくと、
オーストロネシア由来
海・空・星・雷・土器・家・木

ツングース語由来
雪・胸・・

などがあり、単語の語源はオーストロネシア由来が多くをしめます。
一方「組合せ会話」のような文法は、ツングース語由来と推測されています。
ここから推測されることは、概ね1万年前にシベリア経由で渡来した古モンゴロイド(北方) の先住民が日本語の文法要素の基礎を作り始め(ツングース語由来)、その後3,500年前の第一波 南方渡来人(長江人・ミャオ族など?) が海や農耕に関する言語を持ち込んだと考えられ、それが「融合」して独自の「混合言語」を生み出したと考えられます。
ツングース語は現在の満州からロシア極東地域に伝わる言葉で、現在の中国語とは断絶しています。
また歴史的には、高句麗・百済がツングース族と言われてますので、弥生時代後期に第2派として渡来し、古墳時代の基礎をつくった(いわゆる)弥生人がほぼ違和感無く、これまで使われていた縄文語を使用したことも納得ができます。

筆者は、古日本語(日本基語)は、かなり早い時代に完成していたと考える。少なくとも、完成し尽くされた言語といわれる、サンスクリット語の成立時期、3000年前には、すなわち新年代観でいっても、水田稲作農耕技術の到来以前に、日本基語は混合言語として既に成立していたと考える。
なぜなら、1万年以上に及ぶ縄文文化が崩壊し、全く新しい、農耕技術や社会制度をもたらした弥生渡来人の故郷が、上代日本語から全く推測できないという、異常としか言いようのない現象は、日本基語がよほど完成され、語彙も当時としてはそれほど借用しなくても済むほどに十分であったから、渡来人の言語を農耕技術関連語として以外必要としなかった、という理由しか説明が付かない。
しかも、農耕技術関連語をセットとして持ち込んだ、渡来人の出自集団(おそらく長江下流域の民族集団)は、現在においては既に消滅してしまったらしい。
弥生時代、水田稲作農耕技術をもたらした渡来人は、予想以上に高度な日本基語を習得し、いわばその北部九州方言「倭人語」をもって勢力を拡大し、西日本一帯に遠賀川式文化圏を確立する。これにより倭人語は「日本祖語」といえる標準的存在となった。    
中部・関東地域でも農耕文化を受け入れた集団は、日本祖語を受け入れる。一方、旧東日本地区で、あくまで狩猟採集文化に拘った集団は、東北地方に後退し、独自の文化・東日本縄文文化を継承していく。

日本語は「混合言語」だ!
この記述によれば、日本基語(縄文語=ツングース+オーストロネシアの混合言語)→倭人語→日本祖語のように形成されたとしています。
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ここで着目したいのは、日本祖語は、縄文語を習得した渡来人が確立したという点です。
原住民と渡来人の人数バランスの問題もあるとおもいますが、後の統合階級となる渡来人も、言語は先住民(縄文人)のものを受け継いだという点です。
縄文語の完成度の高さも要因ではありそうですが、この時代において、基本は「融合路線」で言語がつくられていることは少し驚きです。

ところで日本語の「言葉」が上記の歴史で形成されたのに対して、日本語の「文字」 はもう少し様相が異なります。
日本語文字の特徴は、漢字・かなの併記、音読み・訓読みの使い分けになりますが、この点について少し補足します。
■日本語(文字)の起源

日本に文字が伝わったとされる2,300年前(日本は縄文時代・中国は秦の時代)、両者の文明の差異は圧倒的であり、中国にあって日本になかったものは、それこそ数え切れなかっただろう。中国から伝来した膨大な数の漢字、いや『論語』とともに日本列島に最初に伝来したとされる『千字文』という書物に掲載された僅か千字の漢字の中にも、当時の列島人のほとんどが目にしたこともないような文物、制度、思想、概念がひしめいていたことであろう。
 実際、文字が中国から伝わったものである以上、「(字を)書く」と言った事象自体、従来の列島には存在しなかったことは自明である。従来、「(痒いところを)掻く」とか「(茶碗を)欠く」、せいぜい「(絵を)描く」と言った意味しか持たなかった「かく」という「和語」に対して、それを「書」という漢字の訓読みに当てることによって、従来、その語になかった意味が付与されたのであり、このようなことは多くの「漢語」と「和語」の対応関係に当てはまるもと考えるのである
「教科書に掲載された国文学者・古橋信孝の「知る」という「和語」についての随筆を授業で取り上げたことであるが、その中で、古橋は古語の「知る」は「領有する、支配する」の意であることは、「古典の一般認識になっている」と述べた上で、和語の「シル」がそのような意味を持つようになったのは、大和朝廷による列島支配が成立して後の段階においてであり、それ以前は「生まれる」とか「生まれたままの真っ白な状態」を意味していたと主張する。
「シル」という和語の原義についての古橋の所説については、よく筆者の判断できるところではないが、実際、「領有」とか「支配」という実態どころか、萌芽さえない段階においては、当然そのような意味の言葉は成立するはずはないのであり、その意味においては、たとえ同じ「シル」という語が存在したとしても、それは「領有」とか「支配」とかいう意味を持たない。列島主要部において、「支配・領有」という実態が芽生えて初めて「支配・領有」を意味する言葉も成立しうるのであり、その意味では、古橋の指摘は傾聴に値するものと筆者は考える。」

訓読みとはどういうものか
このように言葉と文字にはその意味する情報量は格段に違います。「シル」という言葉も文字(漢字)にすると様々な意味を持たせることができます。
これは観念で社会を統合する必要性度合いとも大きく関連しそうです。
全世界史的に見ても、日本に「文字」が定着したのは極めて遅いことが特徴です。これは裏を返せば共同体体質が色濃く残った要因ともなっています。

投稿者 chai-nom : 2010年11月08日 List  

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コメント

日本語がツングース語とオーストロネシア語の混合であるとすれば、(私はただしいと考えますが)、弥生人が縄文人を征服したという話は間違いになります。何故ならば、被征服者は征服者の言葉を使うのが普通ですから。だからこれは弥生人が縄文人を征服して、日本に水田を広げたという前提が間違いなのでしょう。私の考えでは弥生人はもともと日本の縄文人だからです。7300年前の奇海山のカルデラ大爆発で、九州、中国地方に縄文人が住めなくなり、朝鮮半島やシナ大陸に避難をして、3千年前から、日本列島に大量帰還をしたのです。それを弥生人と称したのです。縄文遺跡3千か所発見をされていますが、日本列島には武器が発見されていませんので、弥生人と縄文人は平和的に癒合していたのでしょう。

投稿者 小林常雄 : 2014年5月7日 15:02

本土日本人(大和民族)は「縄文人」と「弥生人」とのほぼ半々の比率の混血民族です。「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。

↓Y染色体ハプロタイプ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90

↓2008年、住斉(すみ・ひとし)筑波大名誉教授による「縄文人特有mtDNA」と「弥生人特有mtDNA」による計算結果より
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/imgview/2009/05/24/a542e.jpg.html
(産経新聞より抜粋)

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:18

↓★★★「総合研究大学院大学のプレスリリース(2012年11月1日)」日本列島3人類集団の遺伝的近縁性より、まず最後の「図4a、図4b、図5」以外は全て「縄文的要素」だけについて述べられています。(以下のプレスリリースを開き、比較しながら以下の文を読んでみてください)
http://www.soken.ac.jp/news/5276/

「ミトコンドリアDNA(mtDNA)、Y染色体ハプロタイプ、HLA(人白血球型抗原)」の調査結果から、例えば「アイヌ」には「ニヴフ(Nivkh)」の系統が混じっていると、かなり以前から指摘されていました。
【アイヌ】Y染色体(C3)=12%、mtDNA(Y)=21%
【ニヴフ】Y染色体(C3)=43%、mtDNA(Y)=66%
単純計算で「((12÷43×100)+(21÷66×100))÷2 ≒ 30%」となります。但し、「ニヴフ」は「アイヌ」との交流の他、別の民族とも交流があったと見られ、今の構成の「ニヴフ」ではなく、過去はこうであったろうと推定される「ニヴフ」との交流があったという事です。現在より「ニヴフ」の「C3/Y」が高かったと推定されるので、個人的には「20%以下」ではないかと見ています。これは、「プレスリリース」であらためて言われるまでもなく、以前から知られていた事です。

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:20

また、
【縄文系】Y染色体=DE系統D、mtDNA=M7a、M10等
【弥生系】Y染色体=NO系統O、mtDNA=Z、N9a等
であり、「本土日本人と沖縄県民」は「縄文」と「弥生」との混血、「縄文」の「DE系統D」は他の東アジア集団には、ほとんど見られないとも指摘されていました。しかし、これらは単なる「マーカ」を調査した結果であり、常染色体そのものを調査した結果ではありません。そこで、常染色体についても調査してみよう、「縄文的要素」という観点で、日本列島3集団、合わせて他の東アジア集団も調査してみようというのが、この「プレスリリース」の主旨です。

「図1a、図3a、図3b」については「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示し、「縦軸(PC2)」が「弥生的及び縄文的要素と相関関係にない他要素」を示します。「図1a」の説明の中に、
・「横軸(PC1)は、左にゆくほどより縄文的要素を、右にゆくほどより弥生的要素を示していると解釈できる」
・「縦軸(PC2)は横軸で説明された分散以外」
とあります。つまり「横軸(PC1)」は、縄文と弥生との差異が分かる要素(主成分)について、分散の度合いが最大になるように「線形代数」を用いて示しているのです。だから「★縄文的要素がどれ位あるか(横軸(PC1))」と「★別の要素がどれ位あるか(縦軸(PC2))」しか分かりません。図3a、図3bは左右は逆ですが、同じ内容を表しています(但し縦軸(PC2)の距離を狭めて他の東アジア集団も図に入るようにしています)。

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:21

・韓国南部の一部地域は、その他の朝鮮半島とは異なったクラスタ構成を持っている。
・日本統治時代の痕跡(D1B、M7aなど)も見られる(同じような痕跡がミクロネシアでも見られる)。

—–【縄文人の正体について】————-
「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」
↓英文の論文
http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45
↓日本語翻訳
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html
———————————————-

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:23

「総合研究大学院大学のプレスリリース」の「図4a、図4b」は上記と異なり、「標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、それらに対して近隣結合法(塩基の置換数による測定)により系統樹を作成した結果」とあります。まず、弥生的系統内における違いは、縄文と弥生との差異と比べると段違いに小さいという事が前提となります。それだけ縄文は他とかけ離れた存在なのです。韓国人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」と、日本人から「縄文的要素」を取り除いた「弥生的要素」が同じであれば、韓国人は「図4a、図4b」の日本列島クラスタの「枝」の途中(根元側に近い位置)に入りますが、入っていないので、韓国人と「弥生人」とは構成が異なる事を示します。韓国人の「縄文的要素」が日本列島クラスタの方向に引っ張っているにも関わらずです。沖縄県民(琉球民族)は「図5」からもわかる通り、弥生系は同じです。「縄文系+本土日本人=琉球民族」と示しているので、中国は(起源を主張するなどは)一言も言えないでしょう。

「弥生的要素」について、韓国人と日本人とで比較対象となる「Y染色体ハプロタイプ」は(C3はここでは除かれます)
・O2B系(O2B*とO2B1)
・03
の2つとなりますが、O2B*とO2B1は同じO2B系であり差異も少ないと考えられるため除外します。そうすると残るのは中国人の「主系統」でもある「O3」です。「O3」は「他O系」と比較しても20000~25000年(ISOGGによる)の隔たりがあり、「他O系」との差異もそれなりに存在すると考えられます。「O3」の比率を調べると、
・中国人:55~66%
・韓国人:45~50%(←「O3」は韓国人の主系統でもある)
・本土日本人:10~16%

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:24

となります。一概に上記の比率通りとは限りませんが、今の韓国人の約半分(混血)近くが「中国人の主系統」、これは、朝鮮民族が強く漢民族などの影響(混血)を受けている事を示しており、またこれは「HLA(人白血球型抗原)」による調査結果「朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い」とも一致します。しかし、韓国南部の一部地域は除外されるかもしれません。

「総合研究大学院大学のプレスリリース」からまとめると、
・「ミトコンドリアDNA、Y染色体ハプロタイプ、HLA」調査結果が「常染色体」にもあてはまる(そのままの値とは限りません)。
・日本人は他の東アジア集団には見られない「縄文的要素の特異性」があらためて確認された(Y染色体ハプロタイプD1Bの事が該当します)。
・「図1a、図3a、図3b」の「横軸(PC1)」が「弥生的要素⇔縄文的要素」を示している以上、韓国人にも僅かとはいえ「縄文的要素」が存在する。
・「図4a、図4b」で韓国人が日本列島クラスタの「枝」から外れていることは、日本人の弥生的要素と韓国人の弥生的要素に違いが存在する事を示す。

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:24

【Y染色体ハプロタイプ(日本人)】
・D1A
・D1B1/D1B2←本土縄文人特有★
・D1B*←アイヌ系縄文人特有★
・O1A
・O2A
・O2B*
・O2B1←弥生人特有☆
・O3←弥生人および有史以降の渡来人?☆
・C1←日本固有(徳島県に多い)★
・C3
・N

【ミトコンドリアDNA(mtDNA)(日本人)】
・D
・G
・M7a←縄文人特有★
・M7bc←縄文人特有★
・M8
・M10←縄文人特有★
・M←縄文人特有★
・A
・B
・F
・Z←弥生人特有☆
・N9a←弥生人特有☆
・Y←日本ではアイヌ民族特有
※mtDNAの特有とは、日本特有という意味ではありません。

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:26

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:27

ここで、Y染色体ハプロタイプの一部名称が変わりました。内容に変化はありませんが、名称が以下の通りかわりました。

今までは
D1←チベット民族
D2←日本人(アイヌ、琉球含む)
D3←チベット民族
D4←フィリピン・マクタン島住民
でしたが、

D1→D1A
D2→D1B
D3→D1C
D4→D2

とISOGG(遺伝的系譜国際学会)により変更になりました。日本人については、なじみ深いD2からD1Bとなりました。※「Wikipedia」では、まだ変更しきれていない部分があります。また、本来は「D1b」と記述しますが、見やすいように「D1B」と記載しています。
ISOGG(遺伝的系譜国際学会)
http://www.isogg.org/tree/
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpO.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:31

「本土日本人、沖縄県民(琉球民族)」 と 「中国人(漢民族)、韓国人(韓民族)」とはかなり異なります。
—————————————-
【 中国人(漢民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・CF系統C亜型C3 (約 8%)
・NO系統O亜型O1A(約10%)
・NO系統O亜型O2*(約10%)
・NO系統O亜型O2A(約 5%)
・NO系統O亜型O3 (約54%)←★中国人(漢民族)の主系統
※地方差あり
—————————————-
【 朝鮮人(韓民族 %は混血比率)】←★DE系統なし
・NO系統O亜型O2B*(約30%)
・NO系統O亜型O3(約45%)←★中国人(漢民族)の系統
・CF系統C亜型C3(約12%)

その他として、数%「D1A」「O1A」「N」「K」「D1B」「O2B1」が検出。
—————————————-

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:33

朝鮮人は、O2B*とC3の混血をベースに、中国人(漢民族)が大量流入したように見える。「DE系統D亜型D1B1/D1B2」については、韓民族は全く含まれていませんから論外です。「O2B1(弥生人)」と「O2B*(韓民族)」ですが、
==============================================
・O2B*(O-M176*)→ベトナム、満州族、朝鮮民族(47z突然変異なし)
・O2B1(O-47z)→本土日本人、沖縄人(47z突然変異あり)
==============================================
「ISOGG Possible time of origin O-47z→7,870 [95% CI 5,720~12,630] years」 「47z突然変異」は約7870年前(最小5720年~最大12630年前 確率95%)に発生。

,,,,,,,,,,,,,,+———————– O2B*
O2B —+
,,,,,,,,,,,,,+—★—————— O2B1
,,,,,,,,,,,,,,,, O-47z発生
,,,,,,,,,, (5720~12630年前)

満州族、朝鮮民族、ベトナム民族等の「O2B*」と、弥生人の「O2B1」は、約7870年前に完全に別れ、その後、何ら接触がなかった。もちろん、弥生人は朝鮮半島を経由したのかもしれないし、あるいは中国から直接来たのかもしれない。しかし、経由でも痕跡くらいは残っているはずだが、中国東北部から「O2B1」が全く検出されない為、弥生人は中国本土から直接渡来した可能性がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
—–

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:36

「Y染色体ハプロタイプ」から「日本民族」の系統を、おおよそでまとめてみると以下の通り。

私たち、現世人類(ホモサピエンス)は、東アフリカの熱帯で誕生(約20万年前)し、約14万年間はそこで暮らしていました。いわば熱帯産まれの熱帯育ちです。そこで、部族間で顔かたちがある程度異なるような多様化をしていたと思われます。 今から70000年~75000年前、インドネシアのスマトラ島にある「トバ火山」で、極めて大きな大噴火が発生し、噴煙が地球を覆って、地球規模の大寒冷化を引き起こしました。アフリカも、深刻な寒冷化、大干ばつが発生し、サピエンスを襲いました。 しかし、これをきっかけとして、今から約6万年前(もう少し早かったのではという説もありますが)に、生まれ故郷であるアフリカの熱帯を後にして、東へ向かったサピエンスが現れました。それが今、アフリカ以外の世界中に広まり、私達の元となった「CF系統」「DE系統」の民族です。(出アフリカを6万年前として以下にまとめてみます)
—————————–
・AとBはアフリカに留まりました。
・CF系統から約70000年前(アフリカ内)でCが産まれました(CF系統C)
・CF系統から約45000年前(インドあたり)でFが産まれました(CF系統F)
・DE系統から約68000年前(アフリカ内)でDが産まれました(DE系統D)
・DE系統から約55000年前(中東あたり)でEが産まれました(DE系統E)
—————————–
・CF系統C → 後のモンゴル人です(その他の民族もあります)。
・CF系統F → 後のヨーロッパ民族(白人)、東南アジア、中国人、朝鮮人、そして「弥生人」です。
・DE系統D → 後のチベット人、そして「縄文人」です。
・DE系統E → 後に中東、地中海沿岸、アフリカに広まった民族です。
—————————–

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:38

「DE系統DE」と「DE系統D」は、アフリカを出て東へ向かいましたが、中東付近で「DE系統DE」は留まりました。しかし、「D」は更に、東へと向かい、途中、インド洋のアンダマン諸島に一部を残して、更に東へと向かって、今から4~5万年前に、初めて東アジアに到達しました。東アジアに到達した「D」は、今から3万8千年前に、2つに分かれ、その一方は、日本列島に向かって、今の日本人(大和民族)、アイヌ民族、琉球民族の3民族の元となった民族(D1B、すなわち縄文人)となりました。そしてもう一方は、チベット、ブータンに至った民族(D1AとD1C)となります。さて、中東付近に留まった「DE系統DE」は、こちらも2つに分かれ、新たに産まれた「DE系統E」は中東、アフリカ、ヨーロッパ地中海沿岸(ギリシャ、イタリア、エジプト、その他)へと向かいました。しかし、2つの系統「D」と「E」を産み出した「DE系統DE」は、その後、地球上から消えてしまいます。
★日本人と「チベット民族、そして中東、地中海沿岸民族」とは近縁であるというのは、こういった経緯があるからです。そして、日本列島では、しばらくの間(1万年~2万6千年間)、縄文人(D1B)だけの世界が続きます。

↓ 「wikipedia」を参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E7.B3.BB.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#.E7.8F.BE.E5.9C.A8.E3.81.AE.E5.AD.A6.E8.AA.AC

「DE系統D」と同じ祖を持つ「DE系統E」
http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:41

・Y染色体ハプロタイプ=分散が少なく、集団(部族、民族)の移動と合致する。
・ミトコンドリアDNA=分散する傾向があり、集団(部族、民族)の移動を表さない(マーカが分散)。

→自然界は、例えば水の入ったコップに角砂糖を入れると溶けて分散するが、溶けた砂糖入りの水が角砂糖へは戻らない。これと同じように、遺伝子マーカ(実遺伝子が同じ比率でとは限らない)も他の民族に分散するのが普通と考えられる。これに従うと、ミトコンドリアDNAマーカの分散は自然な姿と見ることができる。しかしY染色体ハプロタイプは分散しない。これは女性側に問題があるのではなくて、男性側にそれを抑制する原因がある。→女性は他の部族に入ることが許されたが、男性は他の部族に入ることが(部族のあととりでもあるので)許されなかった等が主な原因として考えられる、その為、Y染色体ハプロタイプは分散しなかった。(特殊なケースとしては→イギリスウェールズ北部では、DE系統E亜型E1b1bが約40%を占めていて、これは過去、古代ローマ帝国の兵士がここに駐留していたためと分析されている)

※mtDNAは広がり(面)を表し、Y染色体ハプロタイプは道筋(線)を表す。と見ることができます。→起源はアフリカです。それ以外は中継地点、若しくは共通したmtDNAの到達地点(別の場所で接触)でしかありません。Y染色体ハプロタイプが異なり、mtDNAが共通しているのは、後者となります。今では、バイカル湖起源は根拠が全くありません

投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:47

縄文人は、1万年~3万年前から日本列島付近(朝鮮半島を含む)に住んでいたのでしょう。また、弥生人は今から約3000年以上前(←これは現在の常識)に、おそらく「日本列島(九州)」と「朝鮮半島(南部)」にほぼ同時期に到着したのでしょう。到来ルートはおそらく中国沿岸ルート。これは、沖縄ルートについては、南琉球を除いては、沖縄本島の琉球民族のDNAについて弥生人が中継していった痕跡が見られない為です。朝鮮半島北部ルートは可能性としてはほとんど無いでしょう。1万年前から、黄河文明、長江文明があった中国です。相当以前から、中国沿海部は、海上進出が盛んであったと考えるべきでしょう。また、フィリピン、その他にも進出しています。対する朝鮮半島については、仮に中国東北部から回って朝鮮南部へ到達したとしても、大陸中央部(山間部)の民族です。この時期(今から3000年前)、海上進出は無理でしょうし、その(海上進出)理由もありません。弥生人が持ち込んだ「稲」の問題もあります。「稲」の遺伝子パターンが、日本と朝鮮半島では合わず(異なる)、日本と中国とは合致する。そもそも、朝鮮北部は寒すぎて「稲作」に適さない。

日本列島については「縄文人」と「弥生人」の混血となって今に至ったが、朝鮮半島については、その後の中国東北部からの別民族が何度も多数到来が繰り返され(男女の比では、結果的に男の方が多かった=Y染色体ハプロタイプの縄文的要素を示すマーカは殆ど「0(ゼロ)」、しかし「常染色体」については「縄文的要素」が僅かに存在、例えば、戦争で全滅等をした場合、それは兵士(男子)であって、女子、子供は生き残る可能性が高い(根拠となる具体的な証拠はありませんが)。

そのようにして、現在の朝鮮民族(おそらく韓国南部の一部地域はそう言える)が形成されたと考えた方がいいでしょう。韓国南部の一部地域以外の朝鮮半島については、クラスタがかなり異なることからおそらく中国東北部からの移民が大多数でしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90.E7.9A.84.E7.B3.BB.E8.AD.9C
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投稿者 中本哲史 : 2014年8月1日 23:55

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