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2021年09月02日

縄文再考~受け入れ気質、何も考えないは本当か?~

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皆さんこんにちは。

これまで縄文時代は、縄文人気質が受け入れ体質で争いが無い、食料(自然環境)が豊か、土器・土偶などの製造技巧に優れ、結果として弥生人(渡来人)に負けた、などが「通説」となっています。

特に「弥生人に負けた」と言う点では、外傷人骨が大量に出土すること、王権、政権が渡来人によるもの、からそう言われていますが、生存における勝ち負けは、それほど単純ではないようにも思います。「勝つ」と言う事が、同類殺りくにより得られるものなら、その勝ちは、本源的とは言い難い。その後の日本社会が弥生人の殺りくによる勝ちだけに根ざしているとすると、日本人の精神性なども大きく変えざるを得ないほどの論理矛盾があると思います。

今後当ブログチームでは、通説に捉われず、「右脳的」感覚と左脳的分析で、縄文時代や日本人のルーツ、日本国の形成などについて見直していきたいと思います。

その際、以下の点が重要と思います。

①民族における勝ち、負けとは何か。縄文人は負けたのか?

②縄文人のルーツ。人類アジア起源説の可能性は?

➂縄文の母系制社会はいかなるものか。男の役割は?

④土器、土偶の意味するものは?

⑤弥生人は何者か?

⑥弥生人(渡来人)と縄文人は、どのように共存(?)したのか。

例えば①では、縄文人は弥生時代以降消えてなくなったのではなく、弥生人と融合しながら現代日本人へと繋がっている。特に東北や長野では、色が濃い様でもある。その受け継がれたものは縄文気質なのか、それはどんなものなのか。争いをしないと言っても、生き続けるには必要なことがあって出来てきたから絶えることは無かった。受け継がれることを「勝ち」と言えるのかも知れない、と思います。

②では、そもそも縄文人はどこから来たか。染色体などから、欧米人と異なり東南アジアとも言われる。人類起源は、今のところアフリカと言われるがそれだけではないかも知れない。

➂では、そもそも集団は母系制(血縁が明確、かつ生産と生殖が一体)がまずあってその後家督云々で父系制に変わる。しかし所謂支配階級はそうでも一般の農民や村人は、変わらず母系制でもあった。弥生式社会と縄文式社会が、一つの国に階層別に同居しているのが、明治時代辺りまで続いている。母系制社会での男の役割は、争いが無いとしたら狩猟、工芸、大工仕事位。より重要なのは、生殖の「種」の役割。母系制で男はどう暮らしていたか、女たちは男をどう扱っていたか。

④は、世界的にも珍しい火焔式土器土偶を生み出す精神世界、信仰や文化はどういうものか。

⑤は、渡来人として秦氏の役割は大きいと言われる。天皇家を技術やネットワークで支えた。各地に秦氏の名残はあり、全国で活動した様子。何故そのような仕組みが必要だったのか。

⑥は①から⑤までを通して、弥生人は国家を築き、縄文人は自給自足で勝手に暮らし統治に興味を示さない。天皇が誰かなど気にも留めず、自分たちの暮らしを続ける。そのまま、日本の統治機構は幕藩体制、明治維新と続き、現代でも「お上」と区別する風が消えない。

以上の様に、単に「受け入れ体質」「何も考えない」と言うのとは少し違う様な気がします。また、仮に受け入れ体質と言ったところで、様々な疑問の答えは殆ど出ていない。恐らく仮説が間違えているか、浅いので、答えの根拠と結びつかない、気が付かない状況と思います。

次回以降、これらに応えだすべく、とことん追求していきますので、引き続きよろしくお願いします。

 

投稿者 sai-yu : 2021年09月02日 List  

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