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2006年11月09日

遺跡分布図から見た生活様式の変遷

 旧石器時代・縄文時代・弥生時代の遺跡分布から当時の人口・気候・生活様式の変遷を推察
■旧石器時代
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 旧石器時代には定住化がまだ始まっておらず、住居や墓などの「遺構」は非常に少ない
遺跡は一部を除き、関東平野を含む西日本に集中。当時の海面は現在より100m程度低かったが、多数旧石器時代の遺跡を残していることから、狩猟採集を生活の糧としていた旧石器人は、動物たちの移動を観察しやすい高台で生活していたのでは
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■縄文初期(草創期~早期)
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 初期の遺跡は、定住化の確立を示す竪穴住居が増えてくる。
 旧石器時代と縄文初期の遺跡分布を比べると、縄文初期になると信州・関東以北に遺跡が集中するようになる。実はこの遺跡分布は、マンモス動物群の分布とほぼ一致する
 食料を求めて定住・移動を繰り返したのかも
■縄文中期(前期~中期)
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 縄文初期と中期の分布を比較すると、海岸周辺の遺跡が増えている。縄文時代というと、何となく閉じた狩猟採集経済をイメージしがち。しかし、狩猟採集による自活には限度がある。縄文時代は狩猟採集
経済より、むしろ流通経済により比重が高いと考えられる。その為、海岸沿いに遺跡が多数集中しているのでは (注:縄文人が船を持っていた確証は今のところ無い・・・ 😡 )
■縄文後期(後期~晩期)
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 縄文後期には遺跡数が極端に減っていく。人口も相応に減ったことは間違いない。原因には気候変動説と病気蔓延説のふたつがある。ちなみに、有名な三内丸山遺跡の衰退の理由に「クリ生産の減少」が指摘されている
■弥生前期
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  弥生前期になると近畿以南の平地で遺跡が増えてくる。弥生時代は農耕が本格的に始まり、平野と水と稲さえあれば、比較的「閉じた」状態でも自給自足が可能になる 😀 もちろん、流通経済があった方がより良くなることは事実だけど、無くとも何とかなる。これが、中国・四国地方に遺跡が増えた理由でしょう
■弥生中期
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 遺跡は爆発的に増え、内陸にも遺跡が増えはじめる
この内容は比較文化史http://www2.ttcn.ne.jp/~kobuta/bunnka/b30.htmから抜粋しています。非常によく纏まっているので、もっと詳しく知りたい人はホームページを見てね
ダイ

投稿者 postgre : 2006年11月09日 List  

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コメント

興味深く読ませていただいています。
鬼界が島カルデラ噴火以前と以後の比較ができる図があると、より理解が深められるのですが。
http://www2.ttcn.ne.jp/~kobuta/bunnka/b30.htm
がリンク切れです。

投稿者 足立克巳 : 2018年12月3日 09:33

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