遺伝子学から見た人類拡散の多様性~崎谷氏の著書より |
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2011年02月20日
縄文探求シリーズ【縄文犬】~縄文時代、犬は家族の一員だった
こんにちわちわわです。
縄文探求シリーズも今回が最終回です。
これまで縄文人の生活や技術や精神世界に迫る追求を行ってきましたが、締めくくりは「犬」です。
犬は人間によってつくられた最も古い家畜であり、犬の家畜化は後期旧石器時代までさかのぼり、最も古い犬の骨は約1万5000年前のドイツやロシアから、また、最も古い犬の埋葬例は約1万2000年前にイスラエルから出土した事が確認されています。
最初の犬は狩猟採集民によってオオカミを馴化することから始まったといわれています。
その後新石器時代に入り、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタなどの食用家畜動物を作り出すことになりますが、「犬」は狩りのパートナーとして、かつ、人間の伴侶として他の家畜には無い人に愛育された特異な地位を有する動物でした。
それは、人とオオカミとの間に酷似する集団社会の構造と、狩りをする行動様式を背景に築かれたと考えられています。
では、縄文人と「犬」の関わりはどのようなものであったのでしょうか?
その前に、犬かわいいと思った方↓↓ぽちっと!!
●日本に犬はいつからいたの?
日本における最も古い犬骨は縄文早期の神奈川県夏島貝塚から出土した右下顎の一部や歯であり、埋葬例では早期の愛媛県上黒岩岩陰遺跡例といわれています。
日本の犬の起源に関しては、出土する骨からその体高は35cm~39cmと小型犬に属し、ニホンオオカミとサイズが著しく異なる上、DNA分析においても在来犬とニホンオオカミは異なる塩基置換が確認された事、中国及び朝鮮の古代犬と縄文犬は酷似していることから縄文人がオオカミを馴化したのではなく、日本に人類が来たのと同時期に犬といっしょにやってきたものと思われます。
縄文時代以前の旧石器時代、はなから日本人と犬はいっしょに暮らしていたのです。
●縄文犬ってどんな犬?
縄文犬は現在の柴犬に近いが若干異なる特徴を持つことが明らかになっています。
前頭部から鼻の先端にかけての窪み(ストップ)はオオカミとほぼ変わらず、顔の幅も狭く、原始的な形質を持ち、歯の異常萌出はほとんど見られない一方で、歯の磨耗や生前の破損が著しい事、オスとメスの体格差が現在より大きいことなどです。
長期間に渡る縄文時代に見られる変異は地方差や若干の時代差のみで、意図的な品種改良はなかったようです。
形態
目・・・・濃い茶褐色の瞳、奥目で三角、目じりが上がっている。
耳・・・・ピンと立った小さめの三角耳は、しっかりした肉厚でやや前傾。
鼻・・・・まっすぐのびた鼻梁に真っ黒で湿ったつやつやの鼻。
口・・・・下顎に厚みがあって、しっかりと引き締まっている。
被毛・・・赤、黒、胡麻毛の3種類が標準的な毛色。表毛は硬いストレート。内毛はふわふわの2重構造。
尾・・・・クルンとした巻き尾、又は背中に伸びる差し尾・太刀尾。
体高・・・オス38cm~41cm。メス35cm~38cm。小型犬。
性格
飼い主に忠実で、警戒心が強く他人にはなつきにくい。典型的な猟犬。
●しっぽはどうして巻いてるの?
今でもしっぽの形態はさまざまあって、かわいらしくクルンクルン巻いてるものが多いですが、怒った時はピンとまっすぐ立ったり、怖い時はたらりと下がったり、嬉しいときはフリフリしたりとさまざまな表現をします。
そもそもしっぽは方向舵の役割を果たすとされ、狩猟犬は獲物をしっかり捕らえるために太刀尾が好ましいと言われています。古代縄文犬は恐らく太刀尾だったでしょう。
現在の巻き尾は本来立っていたのが、飼育過程で筋力の低下で生じた形態だと思われます。
●犬の役割って何?
犬の用途として、猟犬、食用犬、毛皮犬、愛玩犬などが想定されますが、縄文犬の主用途が猟犬であったとする見方を否定する見解はありません。
現在のイノシシ猟に使われる犬の歯の損傷から類推して、縄文犬に認められる犬歯や小臼歯の損傷は狩猟生活により受けたもので、イノシシ等にかみつき、強く引っ張る等、激しく攻撃したためと推定されています。
縄文犬は他の時代に比べて外傷や病気が多く、しかし、脊髄症や関節症は少ないため、荷役や牽引等の作業には利用されなかった一方で、骨折及びその後の治癒の事例が高率であることから、犬はイノシシやニホンシカ等の陸獣狩猟に使われ、獲物の発見や追跡だけでなく、捕獲にも深く関わる大切な役割を果たしていました。
このため、外傷や病気を負った後も集落で大切に飼われ、死後も手厚く葬られたのだと推定されます。
●どうやって飼われていたの?
栃木県藤岡神社遺跡から出土したイヌ型土製品は、犬が吠える姿を表現しています。
これまで見てきたように、縄文人の狩猟は冬に限られることから、平時は吠えることで集落に危機を伝達する番犬の役割を果たしていたものと思われます。
つながれていた形跡はなく、放し飼いだったと思われますが、犬の骨の出土例は200件程度と人骨に比べて著しく少なく、死亡年齢を見ると高齢個体はわずかであり、若い固体、特に幼犬の死亡が目立つことから、野犬化して大量繁殖はせずに、縄文犬はあくまで集落のための忠犬として人間と等しく、飢えも病気も苦楽もともにしてきたのでしょう。
●柴犬は天然記念物
柴犬と呼ばれるようになったのは、大正に入ってからのことです。
それ以前は日本に昔から生息していた立ち耳の猟犬を「地犬」と呼んでいました。
徳川時代に入ると外来種の血が混じって雑種化した犬を「町犬」、そして、「地犬」を「狩犬」と呼ぶようになり、大正になってから日本犬の小型の犬を「柴犬」と呼ぶようになりました。
しかし、明治時代の頃には外来種の移入が急増し、日本犬との混血が進むようになり、集落近くで鳥や小獣の猟をする純潔の柴犬が容赦なく雑種化の波をかぶることになり、柴犬の数は激減し、ほぼ純潔に近いと思われる犬は山奥に住む猟師のもとにわずかに残っている程度になってしまいました。
こうして、絶滅の一歩手前まで落ち込んだ柴犬を保存しようという機運が高まり、昭和の始め頃から山間部を探し回って見つけた立ち耳で巻き尾の犬たちの犬籍登録が始められ、昭和9年には「日本標準犬」が定められ、昭和11年に国の天然記念物に指定されました。
現在ではかなりの数に回復しています。
●犬は大切な人間のパートナー
縄文時代には大切に埋葬されていた犬の骨も、弥生時代に入るとバラバラになって捨てられてしまいます。弥生人は大陸から連れてきた犬を食用として食べていたのです。
しかし、縄文犬は弥生犬と混血しつつも、縄文気質の犬の性質は今でも色濃く残され、現在の柴犬や秋田犬などの各種の在来種として現在も残存しています。
人類が洞窟から出てきたのとほぼ同時期から、犬は大切な人間のパートナーとして人間とともに生活する家族の一員でした。
犬とともに生きてきた人類の歴史は、犬の発掘調査、研究が進めば、その生活と生き様がさらにはっきりと見えてくるのではないでしょうか。
投稿者 tiwawa : 2011年02月20日 TweetList
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