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2007年11月07日

縄文時代の野菜って?

こんばんは~ 。みつこです 😀 。
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みなさん、野菜 食べてますか?
なかなか外食、コンビニ食が多い人は十分に取れているとはいいがたい、、、ですよね。
ところで、縄文人ってどんな野菜を食べてたのかな~?
栗、どんぐり、、などの木の実は当然として、葉っぱものってあったのかなぁ?
そんな疑問が沸いたので、調べてみました~☆
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なにげに普段食べている野菜ですが、古来日本に原生していた野菜は意外と少ないのです
例えば、日本原産の野菜というとウド、セリ、フキ、ミツバ、ワサビなど数えるほどしかないんです~ 。ワサビなんてきれいな水とともに生えてたんだろうな~ ってなんとなくイメージできますよね。
あっ、しいたけ とかキノコ類は日本原産があったみたいです
でも、大部分の野菜は外国から入ってきたんですねー。
野菜たちは、いつ頃日本に入ってきたのでしょうか~
(味の素さんのHPより拝借しました~。ありがとうございます。)
■縄文~弥生時代 大根、かぶ、大豆、れんこん、ごぼう、ねぎ、里芋など
■10世紀前後(平安時代) なす、きゅうり、しろうり、えんどうなど
■戦国時代から江戸時代初期 じゃがいも、とうがらし、かぼちゃなど
■幕末から明治初年 トマト、タマネギ、白菜、にんじんなど
うーん、大根やかぶは確かに古くからありそう☆
案外今よく使われているじゃがいもやトマトなどは新しいんですね~。
野菜の原産国を簡単にまとめると次のようになるそうです。
■ヨーロッパ 大根、かぶ、キャベツ、セロリ、レタス、にんじんなど
■アフリカ オクラ、そら豆など
■近東 ほうれん草など
■インド なす、きゅうりなど
■中央アジア タマネギ、ごぼう、ねぎ、さやえんどうなど
■東南アジア 山芋、里芋など
■中国 白菜、たけのこ、大豆、れんこんなど
■中南米 じゃがいも、とうがらし、かぼちゃ、とうもろこし、さつまいもなど
意外と遠くから来てますねー。イメージと違う野菜もちらほらあります
野菜の伝播ルートを探ると、交易ルートと重なってくるんですが、、、でも 、野菜なんて普段から口にするものですから、外国品種をわざわざ持ち帰って栽培したりするかな~? 普段自分たちが食べている野菜でいいじゃん!野菜栽培が伝わったのは、どうしてー??
少しヒントになりそうな”じゃがいも”に関する記事をいろんなHPから発見!
そもそも、
>中南米原産のじゃがいも、とうがらし、かぼちゃ、さつまいもなどはアメリカ大陸を発見したコロンブス(1446~1506)や、インカ帝国を滅ぼしたスペインの探検家ピサロ(1478~1541)らによってヨーロッパに伝えられ、そこから急速に世界中に広がりました。
>大航海時代の影の立役者
ジャガイモの主成分は炭水化物だが、フランスでは「大地のリンゴ」といわれるほどビタミン類も豊富に含んでいる。さらにカリウムや鉄、食物繊維が多く、ほかのイモ類に比べてカロリーは低い。大航海時代、船の上で何週間も過ごす船旅では新鮮な野菜が食べられず、ビタミンC不足による壊血病で命を落とす船員もいた。ビタミンCが豊富で保存が効くジャガイモはそれゆえ船に積み込まれたのだ。
なるほどー、その栄養と効用が十分わかった上で取り入れられたんだ!
でも、それだけ?
>当初ヨーロッパでは珍奇な植物として貴族の間で観賞用( ホントに!) に栽培した程度だったようですが、やがて粗末な土地でも収穫できることがわかり、プロシア皇帝(ドイツ北部の大部分を占めドイツの最も強大な一王国だった)が奨励してドイツ人が食用にし始めました。
>『凶荒にあえぐ庶民を救えるのはじゃがいもしかない』
うんうん 😮 、やっぱりこのような外圧があってこそ、なんですね。
そういえば稲作の日本伝播も、食料危機という外圧があってこそでしたね。
他の野菜も、そういう背景があるんだろうな。
蛇足ですが、、、
イタリアといえばパスタでトマトソース!って思ってるんですが 、トマト が南米からヨーロッパに伝わってからわずか300年ほどしかたっていないってのは驚き でした!

投稿者 mituko : 2007年11月07日 List  

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コメント

縄文土器の模様の多様さは、女達に気に入られようとして、男達が競い合って作り上げられたものだと聞いたことがあります。
確か、どこかの縄文の専門家の話だったと記憶していますが、なんともほほえましく、いい話だなぁと思ったものです。

投稿者 マエ : 2007年12月1日 19:37

 私も縄文土器は男性が作っていたと思っています。一方弥生土器は女性が作っていたと思っています。
 理由は土器そのものの形です。縄文土器の造形は人類史上もっとも力強いものになっています。世界でも例外的な造形です。闘争的な形が多いと思います。
 闘争存在である男性ならではの形です。親和存在の女性で作れる形ではないと思います。

投稿者 norio : 2007年12月1日 19:51

マエさんコメントありがとうございます。
女達に気に入られようとしたというのはあながち間違っていないのかもしれませんね。縄文の文様は評価に直結していたのでしょう。女を巡ってではなく女達の評価を得る為にという部分は確かにです。
男達はいつの時代も女達の評価を羅針盤に生きていますから。

投稿者 tano : 2007年12月4日 02:07

norioさんコメントありがとうございます。
闘争的な土器とは火焔土器の事を仰っているのでしょうか。
でも形態的には美しい曲線美を見せるかなり優しい形もありましたよ。
形状学的には性別は判断できないように思いますが・・・。

投稿者 tano : 2007年12月4日 02:11

なるへそーーー

投稿者 お : 2017年6月7日 23:03

縄文土器は家の中で作られていたそうです。コクゾウムシやその他家の中に蓄えられていたものが土器の中には含まれているそうです。大豆、米、小豆、エゴマもあるそうです。
とすれば女性が作っていたのではないでしょうか。

投稿者 しらかべ : 2019年6月7日 17:48

縄文時代は、例外はあるものの、基本的には農耕はやらなかったので、野菜ではなく山菜を集落の周辺に植えたと思います。栽培野菜とは違って一度根付けばよほど乱獲しない限り毎年収穫できます。耕して栽培する野菜より、収穫するだけの山菜の方が費やす労力ははるかに少ないです。

山菜の種類は少ないように思われていますが、現代でも100種は食されています。現代人よりはるかに自然の植生を知っていた縄文人はもっと多くの山菜を採取していたものと思われます。

あげていらっしゃらなかった山菜で縄文時代もあったと思われる私が思いつく葉物(若芽を含む)は、蓮、オオバギボウシ、茗荷、ナズナ、アサツキ、ノビル、たらの芽、コシアブラ、ジュンサイ、桑の若葉、ヤマブドウの若葉、ユキノシタ、モミジガサ、オオナルコユリ、ミヤマイラクサ、ユキザサ、アマドコロ、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、トリアシショウマ、山椒の若葉、タケノコ、アケビの新芽、ギシギシの新芽、アザミの新芽、シシウドの新芽、スイバ、ヤブカンゾウの新芽、イタドリなどです。山菜採りをちょっと趣味にしている私でもこれだけ思い浮かぶのですから、縄文人はもっと利用していたと思います。

以上のほとんどは移植した場所が合えば活着してどんどん増え、毎年収穫できます。

投稿者 トモタカ : 2020年2月3日 23:05

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