縄文ー古代通信NO4(19年7月号) |
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2007年07月10日
アイヌ民族の婚姻様式
縄文時代の人々は、どのような婚姻様式をとっていたのでしょうか?
縄文人気質を探求する上で、最も重要な要因のひとつだと思うのですが、これだ!という文献に出くわしたことがありません
そこで、今日は、続縄文時代から繋がるアイヌ民族の婚姻様式を紹介し、冒頭の問題を探求するきっかけを作りたいと思います
アイヌ文化入門より
>結婚
本人がまだ幼いときに、親同士の約束や、あるいは仲に立った人によっていいなずけにしておき、年頃になって本人たちに伝え、結婚させます。
また、本人同士の意思による結婚もありました。
また、ある地方では、娘が年頃になると、家の南壁にトゥンプといわれる小室を設けて娘を住まわせ、遊びにくる男性のなかから相手を選んだりしました。
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適齢期は、男性は17~18歳、女性は入れ墨を終えた15~16歳ころからで、ともに一人前の人間として周囲から認められてのことです。
求婚の手段としては、男性が女性の家を訪れ、女性が差し出した高盛りの飯を半分食べて、残りを女性に返します。
そのとき、女性がその残りを食べた場合は求婚を承知したということで、手をつけず側に置いた場合は拒否したということになります。
婚約が決まったり、いいなずけであることがわかると、男女の間で贈り物が交わされます。
男性からは、彫刻を施した小刀、針入れ、糸巻きなど、女性からは、刺繍衣、手甲、脚絆といった自作の衣類などが、それぞれ贈られました。
結婚の形式は、文献によると、古くは女性が荷物を持って男性のところに赴くという「嫁入り婚」が多かったようです。
まず、男性の父が、太刀、宝刀、飾矢筒、鍔、行器といった結納品を携え、男性とともに女性の家を訪問します。そして、改めて結婚の話がまとまれば、そのまま相手の女性を連れてもどるか、あるいは男性がしばらく滞在し、それから後女性をつれて家に戻るなどしました。
ざっくり、まとめると
①婚前交渉に関しては、かなりおおらか
②婚姻の決定は女性に委ねられることもある
③結婚の形式としては父系制をとっていた
といったところでしょうか。
ここから、続縄文時代、縄文時代の婚姻様式を探っていきたいと思います。
投稿者 naoto : 2007年07月10日 TweetList
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コメント
投稿者 bunchan : 2007年7月26日 02:11
bunchanさんコメントありがとうございます。
照葉樹文化はいろいろ調べると面白そうです。
特に日本以外で中国や東南アジアには多くの照葉樹文化が残存しています。これを機会にもう少し手広くその辺りを勉強していきたいと思います。
ところで、もののけ姫は実は照葉樹文化の物語だったって知っていますか?その見方でもう一度DVDを買って見てみると面白いように思います。
投稿者 tano : 2007年7月26日 13:05
>日本人の工夫思考や食加工に対する技術はむしろ西の照葉樹文化を基盤にしており、勤勉性や耐性などもひょっとすると西の文化の中にあったのかもしれません。
私も縄文人=ブナ・ナラ林文化、弥生に近い=稲作
という単純なイメージにとらわれがちだったのですが、
「西の縄文人」という考え方はスッキリ☆です。