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2009年09月01日

井上清氏の縄文史観2~縄文が日本歴史の始まりと言える理由

こんばんわ。管理人のタノです。
昨日の民主圧勝は正直、驚きました。しかし、やはり・・・と感じた部分もあります。
4年前に7割が支持した自民党がわずか4年間で逆になる。
前回はマスコミの誘導があったけど、今回はどうやらそうではないらしい。マスコミは民主圧勝をキャンペーンして揺り戻しを狙う向きもあった。
ここに来て日本人の特色”共同性”がかなり出ているように思います。
それでは前回の投稿に続いて縄文時代を扱っていきます。
今回は前回の続きです。前回の記事を読んでいない方は↓も見てください。
井上清氏の縄文史観~縄文時代って何?
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1963年初版 井上清氏「日本の歴史」から紹介していきます。
縄文時代は、つぎの2点でまさに日本歴史のはじまりといえる。

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第一に、この時代に日本人種の原型が成立したと考えられる。
縄文文化にひきつづいて、朝鮮方面から全く新しい高い文化、弥生式土器の文化が入ってきて、それがたちまち支配的になりその際、新しい人種も多少は渡来した。しかし、その人種が縄文時代人をほろぼし、あるいはこれと混血してその人種的特徴を消失させたのではなく、反対に新来人種が縄文時代人に吸収されたというのが、人類学者の通説である。そうだとすれば、縄文時代の人々が現在にいたるまでの日本人の基幹になったといわねばならない。
それでは縄文時代人はは旧石器時代人と、人類的に連続しているのであろうか。それとも旧石器時代人は何らかの事情でほろび去って、そのあとに縄文文化をもった人種が来て、日本列島の主人になったのであろうか。あるいは旧石器人と新来人とが共存し混血して新しい人種になったのであろうか。
考古学者も人類学者も、まだ何の結論も出してはいない。しかし、新旧両石器文化の連続を思わせるような、考古学的資料の発見が、しだいに多くなりつつある。文化の連続はただちに人種の連続を意味するとはかぎらないが、もし両文化の連続が確認されるなら、その連続発展した文化を創造した人種も同一であったという可能性は大きい。
旧石器時代人と縄文時代人とが基本的に同一人種であったとしても、あるいは別々の人種であったとしても、いずれにしても縄文時代人は、日本列島が大陸からきりはなされてからは、日本列島の自然の諸条件に適応し、独自の人種的および文化的特徴をうみだした。
彼らの遠い祖先が、大陸方面か東南アジアか、そのいずれに住んでいたか断定はできないが、数千年から一万年も違った自然的および文化的条件のもとで生活しているうちに、縄文時代人はその遠い祖先のなかまとは違った人種になり、現代日本人の原型となった、と考えられる。
第二に、日本語の核心が縄文時代に成立していたと考えられる
言語年代学によれば、いまの日本の本州等の言語と沖縄の言語とは、共通の祖語から、紀元前後に分かれて、それぞれ独自の発達をしたものと推定される。
そうだとすれば、両語に共通の核心部をもった日本祖語は縄文時代に存在していたとせねばならない。その日本祖語が、いかなる言語の系統に属するかについては、種種の仮説があるが、まだ定説は出ていない。
日本周辺の諸民族語で、日本語と親族関係を見出す事のできる可能性が多いのは、朝鮮語のみである。そこで、もし日・朝両語が親族であると仮定して、両語がその共通の祖語から分かれた時期を、言語年代学で推定すれば、それはいまから少なくとも3千5百年ないし、5千年以上も前、すなわち縄文中期以前であるという。
こうして縄文時代には、現在の日本人の固有の生活領域である日本列島が形成されており、そこにまわりの諸種族とは違った独自の一人種とその言語、すなわち日本人と日本語の原型が成長し、その人々が未開を突き抜け、文明への道をきりひらいていった
まさに日本人の歴史がはじまったのである。
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以上が井上清氏からの引用です。
内容はもちろんの事、文章が簡潔でかっこいい。まずはそこに惹かれました。
さらに縄文時代が日本人の本源であるという根拠は言語と大陸から切り離された地理的環境、さらには植生や文化を共有した自然環境という同一性がもたらしていると言えるのです。
これは3回ほど前になんで屋劇場で展開された「日本人の民族性はDNAでは決まらない。」「その歴史と環境にある」という提起と重なります。
「みんな一緒」という共同性の感覚の入り口はここにあるように思います。
なぜ弥生時代に農業をスムーズに取り入れ、奈良時代には仏教を取り入れ、平安時代には漢字をカナに変えていくことが可能であったのか?全てはその下地となる日本民族という共同性をすでに縄文時代に日本祖語という世界で実現していたからではないでしょうか?
その意味ですでに超集団を統合する原理を私権ではない別のもので模索していた民族であると言えるかもしれません。日本人の可能性を縄文から・・・さらに追求していきたいと思います。

投稿者 tano : 2009年09月01日 List  

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コメント

動乱期には新しい血(人材)が必要、しかし、安定期にはシステムが完成するので無用の長物となる(アタマだけのひとは不要で、むしろ手足になって動いてくれるひとたちこそ重宝されれるべきということか?)・・。何だか幕末~明治維新後の日本社会を見るようです。
>権力闘争上の意義は科挙に存在しても、新しい時代(外圧)に対応する上で必要な能力(創造性など)を持つ人材は発掘できないということである。
現在の日本社会をもズバリ言い当てていると思います。
今は、バカみたいに試験勉強が解ける必要はないし、それはむしろ病的ですらあると思うですが(どっかが壊れている)、しかし、そうは言ってもただ明るく元気、ではどうしようもない(何も変わらない)。
やっぱりある程度のペーパーテストも必要で、どんな設問にするかが問われているのかな、とも思いました。まさに、じゃあ、どうする?ですね。

投稿者 うら : 2009年10月21日 18:40

日本の律令制はそのほとんどを中国の焼き直しで作ったが、科挙だけは全く根付かなかった。それはなぜか?この問題は日本を考える上で重要な問題です。
また、試験(科挙)制度とはそれに受かる為の大量の学校需要を作り続け、日本でも小・中・高・大学とその主たる目的は試験への合格にあるとも言えます。
これまで教育大国の日本も学校制度の拡大により試験制度が定着し、大量の官僚や官僚予備軍が作りだされました。しかし一方で多くの技術者や民間人も輩出しており、日本の試験制度が単に中国の科挙の取入れとは異なるものであることも言えると思います。
産業人を生み出した近代国家の試験制度と官僚のみを産み出すための中国の科挙制度、そこには何か違いがあるように思います。試験制度の是々非々は中国の歴史のあと日本へと俯瞰した後で改めてみていく事が必要でしょう。
ただないとうさんが指摘するように変化の時代には旧い主体である国家が作る試験は新しい仕組みを創造する人材能力の判断には使えないというのも事実のようですね。例えば、東大生は今やどの企業も必要と感じていないのではないでしょうか?

投稿者 tano : 2009年10月22日 00:50

→うらさん
今回の記事は、試験制度(ペーパーテスト)がもつ構造的欠陥について書きました。では、ペーパーテストを廃止して、面接のみにするのか?と考えたとき、「それでは客観的な判断ができない」「最低限必要な知識が保障できない」と実現不可能性が強く意識されます。
しかし、考えてみれば、そもそも「客観的」な判断がペーパーテストでも可能なのか疑問(そもそも「客観的」とは何のことか)ですし、何を持って「最低限の知識」とするのか?など、疑問や違和感はそれこそ山のように出てきます。
こうなってしまうのは、おそらく私たちが「平等に公平に客観的に選ぶ」という前提から逃れられなくなってしまっているからだと思いますが、科挙制度、官僚制度を通じて、これらの事も視野に入れなければならないかもと考えています。
(ちょっと、歴史系ブログの枠からはみ出ているかもしれませんが・・・)

投稿者 ないとう : 2009年10月22日 21:13

→tanoさん
科挙が日本で根付かなかったのは、(中国のような易姓革命がなく)「必要なかったから」だと言い切れますが、むしろ疑問なのは「必要なかったのに、(唐のマネをして)導入しようとしたのは、なぜか?」の方です。
日本の国際関係(古代・中世における対中国、現代における対アメリカ)に深く影響を及ぼしている集団意識がこの辺りに潜んでいるように思われてなりません。
旧帝大に代表されるエリート大学の卒業生が、現在の現実の場面では「使えない」という話はたびたび聞きます。しかし、試験制度は昔からあった訳で、現在の大学生~社会人の無能さの原因を、試験制度だけに求めるのは無理があるようにも感じます。
「なぜ、試験以外のことを学ぼうとしなくなったのか?」つまり学ぶ力の低下はどこから引き起こされているのかも考えたいですね。

投稿者 ないとう : 2009年10月22日 21:22

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