縄文時代の海水面、気候変動グラフ |
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2006年10月14日
縄文基礎情報/人口分布
縄文時代の人口分布について、調べてみました。
●地域毎の人口一覧表はこちら→http://www.komenet.or.jp/database/culture/culture02/culture02-1.html
>縄文時代で人口が最大になるのが中期で、日本の総人口は約27万人でした。これを地域別にみると、人口の分布(図2-2)は西日本よりも東日本がより密で、東北と関東だけで全体の半分以上を占めています。この人口分布の地域的な差異は、野生動植物の資源量が日本列島の東と西で非常に違うことが原因と思われます。このため、東日本では西日本よりも安定した豊かな生活が営まれていたと考えられています。
●地域毎の人口分布を年代別に表わしたのが下図です。
by eto
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投稿者 postgre : 2006年10月14日 TweetList
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コメント
投稿者 向 : 2006年10月14日 11:08
縄文晩期になると北陸、関東、中部の人口が極端に減っています。
この理由は「気候の冷涼化の影響で食糧確保が難しくなり、人口が減少していった」以外にも、新種のウイルスが生命力が落ちた人たちに追い打ちをかけ、縄文文化の衰退は決定的になったようです。
投稿者 向 : 2006年10月20日 09:18
>この人口分布の地域的な差異は、野生動植物の資源量が日本列島の東と西で非常に違うことが原因と思われます。このため、東日本では西日本よりも安定した豊かな生活が営まれていたと考えられています。
はじめまして。ななしと言う者です。このデータは、小山先生があくまで1978年当時に出されたものですので、注意する必要があると思います。現在考える西日本の縄文集落は、1978年当時の状況とは遺跡件数の増加に伴い大きく変わっています。そういうところも考えながらこのデータをみる必要があると思います。しかし、現在でも西日本の集落が東日本に比べて、小規模であるとされています。床面積や切り合いの少なさなど・・・。では、失礼します。
投稿者 ななし : 2006年10月28日 18:12
初めまして、、向と申します。
日本社会を築く元となった「縄文」を理解することは「日本人」を理解することに繋がり、また今後の「日本社会を創造」する上でも多いに参考になると考えています。その意味でこのサイトは面白そうです。
人口分布のデータを見ていると縄文時代を通して東日本の人口が西日本より圧倒的に多い事が分かります。この理由は以前の「縄文時代の東西格差?」と言う投稿(http://possible.under.jp/blog/archives/2006/09/post_72.html)から、東日本には栄養面ですぐれたドングリ等が豊富で西日本より食の環境がめぐまれていたことが要因である事が分かりました。
同じような人工データ『社会実情データ図録』(htttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7240.html)
でよく分かりますが、縄文晩期になると北陸、関東、中部の人口が極端に減っています。
この理由は「縄文晩期の気候変動が農耕につながった?」と言う投稿 (http://possible.under.jp/blog/archives/2006/09/post_82.html)から、気候の冷涼化の影響で食糧確保が難しくなり、人口が減少していったと予測できます。また、次の弥生時代になると西日本も含め全国的に人口が増えます。これも過酷な気象条件の中での餓えの圧力を克服すべく、縄文前期から行っていた米作りを『農耕』として生産性を向上させることが出来たと言う「縄文後、晩期の稲作の伝播について」(http://possible.under.jp/blog/archives/2006/09/post_70.html)が理解できます。
このようにして基礎的なデータが纏まってくると色々な事象が繋がって当時の状況が理解できてきます。これからも情報提供と分析をお願いします。