【縄文再考】縄文時代と古墳時代の精神性の違い、全ては稲作から始まった? |
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2022年03月03日
【縄文再考】まとめ②~縄文人が対峙してきた自然外圧→高い自然外圧をも受け入れ、適応を繰り返してきた。それが縄文文化そのもの。
前回記事(【縄文再考】まとめ①~縄文体質は今も日本人の基層をなす~ )でも紹介した通り、今回は縄文人が対峙した自然外圧について整理し、縄文人がどのように適応し、どう生きてきたのかを追求していきます。
■外圧整理を行う目的は2つ
①縄文人の推定人口推移が中期(最大)を境に晩期に進むにつれ、減少している(南九州では人口が0になった地域も存在する)外圧とは?
※気候変動(寒冷化で年間2℃減)による食料確保が困難に陥った説は些か信じ難い
②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?
■状況整理
▼人口推移
草創期 1万5000年前~1万1500年前(3,500年)
早 期 1万1500年前~ 7000年前(4,500年) 人口2万人
前 期 7000年前~ 5500年前(1,500年) 人口11万人
中 期 5500年前~ 4400年前(1,100年) 人口26万人
後 期 4400年前~ 3200年前(1,200年) 人口16万人
晩 期 3200年前~ 2400年前( 800年) 人口8万人
・前期から中期にかけての大幅な人口増
→気候上昇による食料の豊かさが人口増の要因となったとされています。
・中期から後期にかけて大幅な人口減。
→気候が寒冷化したことが要因とされています。
どの程度の気候変動でこれだけの人口が増減するのか。下記の「気候変動と自然の変化」見てみましょう。
▼気候変動と自然の変化による影響
草創期以前旧石器時代は「氷河期」とされ、現在の気温よりも-7℃と寒冷な気温。そのため植生も良くなく、飢餓状態であったことが予測される。
縄文時代に入り少しずつ気温が上昇。中期には現在よりも+2℃程度の気温となり、縄文海進(海面の上昇)が起きる。縄文海進により、海洋生物が身近に確保できた。食料が安定、気温の上昇で堅果実も豊富になったと推測される。
後期になり再び寒冷化と言われているが実は現代と同等の気温(中期と比較しても-2℃)という研究結果がある。
つまり、後期の寒冷化による植生の衰退は考えにくい。さらに強力な自然外圧がったことは間違いない。では人口減少の要因は?
図:時代ごとの気候・海面変化
▼火山による被害
7,300 年前 鬼界カルデラ大噴火
・薩摩硫黄島、竹島、屋久島付近の海底まで広がるカルデラ
・3万メートルの噴煙柱/100 キロ離れた薩摩半島にまで達した火砕流/火山灰は九州全土に厚く積もり、西日本全体にも降り注いだ。南九州がほぼ全滅したといわれる。
約5,900年前 十和田火山巨大噴火
・青森県十和田市、秋田県鹿角郡小坂町の県境に位置
・青森県全土が焦土と化した/岩手県の陸前高田、山形県の月山まで噴火の軽石が飛んでいき、堆積
約5,400年前 沼沢火山噴火
・福島県大沼郡金山町の会津盆地の南西山地に位置する沼沢火山
・広域拡散型の流速 100m/s を超の火砕流、会津盆地南半を覆い、噴火口から約 30㎞離れた阿賀川流域付近まで到達
約3,000年前 富士山4回の爆発的噴火
・通常西風が吹いており噴出物は東側に多く積もりますが、大沢スコリアのみは、東風に乗って浜松付近まで飛んでいます
・結果として、富士山以東が寒冷化、以西は寒冷化の影響少
人口推移から見る「気候変動と自然の変化による影響」、「火山による被害」と、縄文時代の自然外圧を整理してきました。
■①縄文人の推定人口推移が中期の最大値を境に後期、晩期と進むにつれ、減少している外圧とは?のまとめ
⇒縄文の人口減少に大きな影響を与えたのは気候ではなく、火山噴火の可能性が高いということが分かりました。
堆積した火山灰の地層から集落の跡が発見されている(火山灰層から年代がわかる)。
では、②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?
特に影響を受けたのは縄文人そのもの。そして生活に密接に関係している縄文土器です。その変化には「温暖な気候
【縄文再考】縄文時代の外圧を動的につかむ①~縄文時代が世界に先駆けた理由とは?」「火山噴火
縄文再考:縄文土器の変遷からみる、縄文時代の外圧と追求思考」の2つの自然外圧が影響しています。
・気候変動による縄文文化の変化
年縞を使った調査では日本列島から長江流域にかけてのモンスーンアジアが世界の中で最も早く温暖化の影響を受けている(ヨーロッパは日本よりも500年位遅れて温暖化している)ことが分かりました。
温暖な気候が生態系の変化の要因となり、その新たな生態系に適応するために土器などの生活技術が進化したのです。
・火山噴火による縄文文化の変化
火山噴火は村落に壊滅的な被害を与えます。が、縄文人はそれを受け入れ、火山へも注視、一体化を図っています。
富士山を崇めていたことを推測させる遺構(富士山の方向に向かって配置された環状列石や帯状列石)が残っているなど、山岳信仰がみられますし、十和田火災後の青森では円筒土器文化が出現しています。また、日本最大級と言われている三内丸山遺跡(約5900年前~4200年前)が開村しています。
火山噴火で生態系も変化を余儀なくされ、それに伴って縄文人も生活を再建していきます。円筒土器は堆積した火山灰に差し込めるように作られたと思われます。
三内丸山遺跡の開村も外圧の変化に適応するために生き方を変え、再統合された結果です。
■②縄文文化が変化したのは自然外圧が影響しているのか?のまとめ
縄文人は常に自然を注視し、一体化し、受け入れ生きています。だからこそ、適応するために文化を変え、新しい技術や生活を生み出し、生き方そのものを再統合しているのです。
ですから、縄文人は圧倒的な自然外圧である火山噴火に対して、避けるのではなく、畏れ、敬っていたのです。
投稿者 matudai : 2022年03月03日 TweetList
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