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2007年07月27日

ブナ林ってすごい!

こんばんは、bunchanです
今日は、mitukoさんのブナ林とマタギ、pinguさんの縄文時代は木の文化、tanoさんの日本人の基層には西の文化がある!、simasanさんの森が育んだ日本の漁労に続いて、木と林つながりで「ブナ林と古代史」 さんより、縄文人にとってブナ林がどんな恵みを与えていたのかを要約・引用で紹介しま~す。
まず・・・ブナの一生 です
 ブナは落葉高木で、安定した土壌に群生する。一般に樹高20~25m、胸高直径1m前後、樹齢250年くらいであるが、なかには樹高30m、胸高直径1.5m、樹齢300年を越すものもある。樹皮は滑らかで灰色、よく地比類、コケ類が着生し斑紋をつくる。葉は卵形で、側脈が7~11対、葉脈は波状で鈍鋸葉、花は雄雌同体で、ごく地味である。
 ブナの花は4~5月にかけて、林床の花が終わる頃に咲き、二つの花をつけた上向きの雌花が一個と、黄色の葯をつけた毛玉のような雄花が数個ぶら下がる。この雌花は受粉すると、やがて殻斗に包まれた実に成長する。
 ブナの結実は、樹齢が約50~70年ごろから始まるといわれている。実は、生り年と少ない年があり周期性をもつ。これは隔年結果現象といい、およそ4~8年ごとに豊作の年が来て、その間は平作と凶作の年が交互に来る。
 夏に緑色だった殻斗も、やがて秋になると茶褐色になり、中の二個の三角錘の実は熟し、殻斗が割れて実がはじけ、林内に飛散する。
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 この実は、晩霜、異常低温、或いは虫食いなどによって一夜にして駄目になることもある。又、夏に雨が多く降るとよく実り、少ないと空の実(しいな)が多くできるといわれる。
 落下した実は殆どは、動物に食べられたり、腐ってしまうが、生き残ったわずかなものが、やがて、カギ形の幼根を出して固定し、冬を越す。そして雪に耐え、うまく冬越しをした実だけが翌春かわいい双葉をだす。
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しかし、この芽生えの多くも、やはり動物に食べられたり、陽光の届かない所では枯れてしまうものが多い。こうして運良く生き残ったものだけが稚樹となり、その年が翌年に成葉をつけ、わずかな光の中で少しずつ大きくなっていくのである。
 やがて、低木、亜高木の状態で待機していたブナは、周囲のブナが寿命で枯死したり、台風、雷などで倒れ、陽光を遮るものがなくなると、急速に伸びて隙間を埋め、最後には森を支配してしまう。
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 長い風雪に耐えたブナの老齢木は、やがて倒木となり、朽ち果てることで林地を肥やし、自ら次の世代が育つ環境を残していく。こうして一見何の動きもないようなブナの森も、緩慢ではあるが、確実に世代交代を行い、全体として安定した状態を維持し続けているのである。こうした極相状態の森は、ブナが成長する分だけ他で枯れており、動的には成長量がゼロとなって安定する。
 ブナは、冷温帯の厳しい自然環境のもとで、人間の一生に例えると、凡そ親子四代以上に当たる長い長い歳月を生き手いることになる。現在、老齢の大径木となっているものは丁度江戸時代中期に芽生えたものであろうか。
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人間の親子4代以上の長い一生!! 育つのにも時間がかかるということですね~
ところで・・・食物が豊富だったと言われるブナ林ですが、具体的にはどんなふうに豊富だったのでしょうか。
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今でも、春には山菜、夏には薬草、秋にはキノコと木の実がとれるブナ林ですが、縄文人はどんなふうに食べていたのでしょう・・・
縄文人とアク抜き技術
 ドングリ類の場合もトチの場合も、アク抜きのため製粉の必要があり、豊富な自然湧き水が身近に必要となる。 縄文中期集落に必ず自然湧き水点が伴う。又製粉具としての磨石と石皿は、東北日本に多い遺物である。
 こうしてアク抜きされた粉は、必然的にカユ状またはダンゴ、モチ状に加工されざるを得ない。近年、岩手、福島、新潟、長野、岐阜県下などの十数遺跡で検出されている。パン状或いはクッキー状炭化物と呼ばれている炭化食品は、その具体的な証拠である。
 このように炭化するような固形食品にすることは、必ずしも多くなかったのではなかろうか。増量や味付けをかねてカユ状にすることの方が、一般的ではなかったかと推定される。
 それが弥生時代以降現代までつながる雑煮のルーツであるように思われる。こね鉢や鍋として浅鉢形土器は、こうした食生活と深い関係があると考えられる。そして、この浅鉢形土器は、東北日本において縄文前期中葉より発達し、縄文後期になると西南日本へも伝播する。
クヌギ類、アク抜き伝承の途絶えたもの
いわゆるドングリまなこのドングリである。これらの食べ方についての伝承は、日本では途絶えている。 遺跡からの出土例も非常に少ない。しかし、韓国ではクヌギはよく利用されており、アクの含有率も低く、水さらしだけでアク抜きされている。
ナラ類、水さらし+加熱処理
 コナラ属コナラ亜属に属するミズナラ、コナラなどで落葉樹であり、東北日本の落葉樹林帯の代表的樹木である。 このアク抜きは、水に入れて何度も炊いてはアクのしみでた湯を捨て、アクが出なくなった段階で、一晩水さらしして食用化する。このアクは水溶性でタンニンであり、灰を加える必要はない。
カシ類、水さらしのみ
 コナラ属アカガシ亜属のカシ類であり、西南日本の照葉樹(常緑広葉樹)林帯の指標樹木である。
 このアクもタンニンであるが含有率は低く、アク抜きは水さらしのみで、過熱工程がない。このアク抜き工程の差は、東北日本と西南日本との地域差である。
シイ類、アク抜き不要
 ドングリには、シイノキ属のスダジイ、ツブラジイとマテバシイ属のマテバシイのほかに、カシ類中のイチイガシも含まれる。 これらも又C類と共に、西南日本の照葉樹林対の指標的な樹木である。これらは全くアク抜きを必要としないドングリであり、スダジイは寺社も縁日などでもよく売られている 縄文遺跡出土のドングリ類もまた、東北日本の落葉広葉樹林帯と西南日本の照葉樹林帯とに対応するように、東北日本にはナラ類、西南日本にはシイ・カシ類のドングリが出土している。

ブナに守られた暮らし
 ブナの森の林床は、落葉が何層にも堆積し厚く柔らかい腐葉土となって、足を踏み出すたびにジワーッと水が染み出してくる。大雨が降っても、広葉の繁る樹冠が激しい雨滴をやわらげ、樹幹を流れる雨水はスポンジのようなブナの落葉にどんどん吸収され、根係層は大型貯留タンクに早変わりする。土地に人々が、深水能力の高いこのブナの森を、“緑のダム”、“自然の水瓶”と呼んできたゆえんである。
 ブナの森があるかぎり、夏場の異常渇水や豪雨時の鉄砲水などまったく無縁であった。
 また、ブナの根は比較的浅根性であるが、小・中根系が多い上、細根は極めて細く、土壌粒子中に侵入して固定する動きが強く、土壌保全能力がずば抜けて高い。
ブナ林は、縄文時代から現代に到るまで、生き物のゆりかごのような役割だったんですね~。
白神山地ではブナ原生林の保護運動が1982年(昭和57年)に始まり、1990年に森林生態系保護地域に指定されていますが、地元の人たちにはこの重要性を肌で知っていたのでしょうね~。

投稿者 bunchan : 2007年07月27日 List  

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コメント

日本でもお山は神様でしたが、アンデスの山々も神々しい姿をしていますね。
その山々にある氷河の水がアンデスの人々の生活に影響を与えていたのだと思います。
火山の噴火で氷河が溶ければ水害も起こります。
それゆえ紹介のように神にささげて、祈ったのでしょうか。

投稿者 dokidoki : 2007年8月11日 20:32

縄文人の食べていたものを教えて

投稿者 縄文人 : 2008年5月1日 15:17

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