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2007年07月28日
先史中国の掠奪闘争から王朝形成まで
中国関連、すごく投稿が増えてきてうれしい!ただ、少し全体像がわかりにくくなったので、ここで内容整理のため、中国の先史略奪闘争史をまとめてみました。
いままでの投稿を参考にまとめたものです。BC4000年頃に掠奪闘争が開始されたメソポタミア(今のイラク)方面の関連が分かるよう、初期のメソポタミアの動きも記載してみました。
メソポタミアと中国をむすぶ中央アジアの草原ルート
↓まずはポチッと
●メソポタミア・西アジア方面の動き
BC4000年頃 :この頃掠奪闘争始まる。
メソポタミアでシュメール人が北上し、ウバイド人を駆逐
BC3500年頃 :メソポタミアで城壁が出現
BC3500年頃 :トュルク系遊牧民がカザフスタンから東方へ掠奪開始
この頃青銅器が開発される。
BC3000年頃 :シュメール初期王朝
↓
●中国における掠奪闘争伝搬→国家形成へ
BC5000年 :黄河中流域の仰韶文化など各地で母系社会が栄えていた。
~3000年頃 (母系から父系への移行期という説も:
仰韶文化中期における父系氏族統合の背景分析)
BC4000年 :女神廟、祭壇の出現、北方および南方で玉器製作センター
~3000年頃 貴族的な墓地出現 部族連合の出現と軍事統率者
中国先史年表~母系から父系へ~
BC4000年頃 :中央アジアに掠奪玉突きの遊牧小集団と交易集団が点在
~2000年頃 彼らは遊牧を営みながら冶金産業(西方の青銅器需要)、
や交易営んでいた。これらの集団が徐々に中国西北方面から
中国へ進入していく。
略奪闘争の玉突きの概観~西洋から東洋までより
BC3300年頃 :黄河流域に★最古の城壁都市出現(西山遺跡)
男女一組や成人男子と子供の各合葬があり、既に一夫一婦制度。
中国最古の城塞都市はどこか?
BC2500~2000年頃 :★中原の龍山文化出現
青銅器を有する黄河文明の始まり。
土塁に囲まれた防御施設を持つ城塞集落が大量に出現。
同時期に、かって栄えた良渚文化などが相次いで衰退していく。
(金属器により南方へ侵攻開始→長江文明滅亡)
黄河文明は略奪の歴史であった
長江文明を滅亡に追いやったものとは?
父系制。骨を灼いてひび割れを見る占卜始まる。
※龍山後期に、防御施設は廃棄されていく。
BC2000年頃 :夏王朝成立 中国における初期王朝(龍神を祖とする王朝)
二里頭文化 宮殿跡
BC1600年頃 :殷王朝成立 甲骨文字
(各部族を統合する超越神“帝”が登場)
古代中国:神聖政治から王による政治支配へ
以上を概略すると、BC4000年頃メソポタミアで開始された掠奪闘争は、中央アジアの草原ルート(遊牧ルート)を経て、BC3300年頃には中国に到達していた。中国の最初の城壁遺跡とされる西山遺跡ではすでに、父系一対婚だった可能性がある。
その後龍山文化まで約1000年くらい、黄河流域において掠奪闘争の混乱期(多数の城塞集落出現)に入る。龍山文化期に、黄河流域の掠奪集団の統合が進み、青銅器の普及をもって、南方に侵略を開始した。そして長江文明は、侵略され衰退していった。
龍山期も後期になると、武力で統合され安定し、城塞は放棄されていく。そして初期王朝である夏王朝が成立する。殷の時代になると、多部族を統合するための超越神や、文字が現れる。
※補足や抜けがあれば是非教えてください~。
(by Hiroshi)
投稿者 ihiro : 2007年07月28日 TweetList
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コメント
投稿者 tano : 2007年8月28日 12:43
tanoさん
ありがとうございます。反応がなく、投稿したタイミングが違ったのかな?とか思っていましたが、よかったです。
歴史一つとっても、今に生かすかどうかは僕ら自身にかかっているんですよね。
これからも事実を積上げていきましょう!
投稿者 さーね : 2007年8月28日 12:58
ちょっと前の投稿ですが、気づきの多いよい投稿でしたので遅ればせながら返信をさせてもらいます。
現代の歴史は変わってきた部分をクローズアップしています。火を発明し、土器を発明し、都市を作り科学技術が生まれ、交通網が発展する。歴史に限らず、新製品が出れば注目する。新しいものは無条件で価値があるとされてきました。
可変部分と不変部分という事ですが、人間の持つ本源性や集団性など不変部分のところもまた、この板でクローズアップできればと思っています。