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2006年12月02日

黄河文明は恐怖の人骨文明か !?、ゾゾー・・・

殷の初期王朝とも言われるBC1900頃二里頭文化の発掘結果からは、背筋がゾゾッとしてくるような結果が・・ ・。
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黄河文明ってなんかよく知らなかったが、これはたしかにある意味凄いゾゾッ・・・。

・青銅器の本格的な使用が始まっている。
・首切り用の鉞(エツ)が登場し、後期のゴミ捨て場と見られる遺跡から、100個ほどの頭骨が発見されている。
・そのなかには鋸?できれいに半分に挽き切られた頭骨もある。
・多数の犬と人骨が黄金薄片の装飾品とともに出た例もあり、謎となっている。
・骨製品の製造工場があり、牛や豚の骨と共に人間の骨が半分を占めている。
・殷では一般住居に頭骨がいくつも吊り下げてあった。

以上「古代で遊ぼ」より抜粋引用
骨製品?製造工場?人骨?
人骨は装飾品として、加工されていたのだろうか?
住居に頭骨が吊り下げてあった・・・というのも住宅の装飾or勝利の証しだったのかもしれない。
それにしても、身の回りにはいつも骨で飾られていたのだろう。
その他、墓からは多数の殉葬者が発掘されている。
掠奪闘争が始まり、強力な征服部族が、他部族を殺戮してその骨を利用したのではないだろうか?教科書にはでてこないが、文明の始まりは、掠奪・殺戮に彩られる!
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2006年12月02日 List  

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コメント

箕子朝鮮・・・これが朝鮮版大和朝廷ですね。
弥生を知ろうと思えば朝鮮の勉強がかかせません。
建国当初から乱世だった朝鮮。どんな外圧があったのでしょう。
もう少し調べてみたいと思います。

投稿者 tano : 2006年12月6日 02:23

>佐賀県の唐津湾松浦川河口に宇木汲田遺跡があります。
BC200頃までは甕棺や一般的な装飾品が出土する集落です。
(アマテラス族ないし海神族の集落と推定)
そしてBC200頃から朝鮮型の細身銅剣や銅戈が出現しはじめます。
(スサノオ族が支配したと推定)<
おもしろい説ですね。もっと証拠があがればいいですね。天皇家は、朝鮮からの逃亡者と巷では言われていますが、確定できれば、日本人の歴史感も変わると思います。熱い議論になる事を期待しています。

投稿者 中高年のおじさん : 2006年12月6日 13:03

tanoさん、中高年のおじさんさん、コメントありがとうございます☆
古事記や日本書紀にでてくる神々が中国や朝鮮などから流れ着いたり戦乱から逃げてきた人たちだったって、とっても新鮮。
でもなるほどそれであんな物語になったんだなあと納得です。
それと遺跡の関係性が明らかにできたらもっと確かなものになると思います。
それから、今の日本人には中国や朝鮮から逃げ延びた人たちの血が混ざりあっているのだなあということも実感できるようになり、お隣の国の人達にもなんだか親近感がわいてきます!

投稿者 bunchan : 2006年12月7日 02:42

>それから、今の日本人には中国や朝鮮から逃げ延びた人たちの血が混ざりあっているのだなあということも実感できるようになり、お隣の国の人達にもなんだか親近感がわいてきます!
そう思えますね。
事実が、誤った人種差別をなくするのでしょう。
実際、日本に住んでいる西洋人やアメリカに住んでいる2世の日本人をみると、遺伝的なものよりその地方の文化・常識等が人間形成をするのであろうと思えますね。

投稿者 中高年のおじさん : 2006年12月7日 22:28

 スサノオならばやはり出雲という視点が必要では。
特に鉄に関連した偉業をなしえたという印象が強いです。

投稿者 叢雲 : 2007年11月21日 01:17

島根半島にスサノオが生まれたとする洞窟があります。
出雲の神社伝承では、スサノオは平田(現出雲市)で
生まれたことになっている一方、「新羅に
降りた」という古伝の記述もあり、
スサノオの親の世代が
亡命者であった可能性が強いのでは。
スサノオの時代の朝鮮の人々(倭人)は、南下したワイ人
(現在の朝鮮人)の作った統一新羅により、新羅の民族は
入れ替わり、半島居住の倭人は故地を追い出され、
日本列島に亡命しました。よって、現在の韓国朝鮮人と
日本人が同族とすることには無理があると思います。

投稿者 るつ : 2008年10月11日 23:40

新羅の曽尸茂里はスサノオが来たところじゃなくて渡っていった先。
首露王の降臨したのは牛首山じゃなくて伽耶山。
逆ですよ。

投稿者 ヨッチ : 2009年3月19日 21:49

スサノオがアマテラスに天叢雲剣を渡したのは、出雲が大和へ鉄器を供給したという、考古学的な見地と対応するのではと思います。しかし出雲神にはスサノオとオオクニヌシという2人の大物の神様がいるのかというのは、弥生後期の出雲の状況を見ればわかります。島根県安来市を中心とする東部出雲王朝(スサノオ)と島根県出雲市を中心とする西部出雲王朝(オオクニヌシ)があったのです。東部出雲王朝は早期に発達し、長きに渡って繁栄しヤマトへの鉄器供給を行った。西部出雲王朝は東部の分家として発達したが、東部よりも発展しやがて、北陸あたりまでの日本海沿岸に渡る大国家を作りました。それで大国主といわれます。しかし、それより少し遅れて大和が発展し、西部王朝は短命に終わり、これが国譲りに対応します。一方、大和から見ても東部王朝は本宗家だったので、スサノオとアマテラスは兄弟と言う設定になっていますが、この事情のため滅ぼさなかったと考えられ、この子孫が蘇我氏のような大豪族になって行くと思われます。

投稿者 たたら : 2009年9月10日 21:33

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