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2007年02月18日

古代中国:祖先信仰による支配体制

弥生時代には祖先(祖霊)信仰が、日本にも来ていたのですね。
では、本場中国の祖先信仰と、支配体制の関係はどうなっていたのでしょうか?
古代中国では、殷や周の王が土地支配の拠点として都市国家をどんどん作り、そこへ諸侯や身内を派遣して支配していましたが、彼らを秩序化していたのが祖先信仰(宗法)だったようです。
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 >周(もとは殷に同化した西方の遊牧民)は、王族がトルコ系、民衆はチベット系だったらしく、王と諸侯(王の一族や有力氏族)が要塞都市を約1000建設しました。大きな都市は城(内側)、郭(外側)の二重の城壁をもち、国/都/邑の序列がありました。
 >社会制度は封建制で、都市は封土(諸侯に与えられた土地)を持ちます。ほかの都市は王が同族を派遣して治めさせましたが、やがて諸侯化します。社会階層は、王・諸侯と貴族(その血縁者)/庶民(農民・職人・商人)/国人(被征服民)/野人(都市外に住む)のように、階層化していました。周も、祭政一致によって統治されていました。

( 宗教社会学より)
周の王家と同族及び諸侯は、どんな関係にあったのでしょうか?
>社会の基礎構造が、なお氏族を基本としたものであったため、官職の多くは世襲でした。そのため王室と氏族の関係は、古代の祭祀関係だけでなく、その職事を通じて固定的に結合するように変化していきました。また氏族の族長の地位が世襲されるときも同様に、王室は新族長を任命する形をとったのです。このような譜代関係によって、王室への忠誠という観念が生まれてきたのです。
>世襲制も確立し、宗法制がその政治体制とも結合して、安定した繁栄の時機に入ったのです。貴族社会とは、親族法では宗法制(本家と分家、本宗と支族)が基本となり、そこから身分的な関係が規定されるものです
中国歴史奇貨措くべしより)
祭祀関係はつづいていたようですが、それだけではなく王への権限の集中と国家機構の体制化が進んでいたようですね。王を権威付けたのが宗法制だったようです。
では宗法制とは?
宗族の規範のことを宗法といいます。宗法では、周の王様は御本家なの。諸侯は分家。卿・大夫・士はさらに分家。分家は本家に逆らっていけない。なぜかというと本家だけが、祖先の霊を祭ることができるからです。だから、その御本家の周の王様に逆らうわけにはいかないのです。
(世界史講義録より)
周は、世襲化と共に、宗法という祖先を基準とした序列観念を作って、自らを祖先の本家という立場に置き、分家という形で同族や諸侯も配置していた。祖先信仰とは、先祖だけではなく、その延長上に王家を位置付け神格化していたのですね。
この時代に、それ以前の自然神信仰から祖先への信仰に支配者によって切替えられたのでした。
ちなみに、“宗主権”という言葉がありますが語源はここから出ているようです。
なんかややこしくなってしまいましたが、要するに祖先信仰=宗法とは、本家>分家の関係を祖先はえらいという観念で強化し規範化したものといえるでしょう。
本家・分家っていまや日本ではすっかり廃れてしまいましたが、ほんの少し前の村社会では結構巾効かしてました。東アジア封建時代の秩序として始まったのが古代中国だったようです。そう考えると意外と中国の影響って大きいのかもしれませんね。
(by Hiroshi)

投稿者 ihiro : 2007年02月18日 List  

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