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2009年08月26日

“儒教”や“道教”がどのようにして生まれたのか?

こんばんは。
只今、中国について勉強をはじめたばかりのmrranです。
中国・・・勉強を始めるといっても何から始めたらいいのか???
ということで“儒教”や“道教”がどのようにして生まれたのか?とここから始めたいと思います。
そんなこんなでネットサーフィンの末、非常に説得力のあるサイトを見つけましたので、今日はそれを紹介したいと思います。いきなりミクロに入る前にマクロ的視点で捉えているので、それこそ取っかかりには非常に良いと思います。
このサイトです。是非みなさんも本サイトをご覧あれ!
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チャイナ文明とはなにか 縄文への道

移動の西洋 定着の東洋
ヒトは与えられた風土という生活環境によって、性格・行動原理そして思考や心理が形成されていくものだ。また気候が寒冷化あるいは温暖化に振れることによって、生活環境が変質し集団は収縮しあるいは膨張に転じる。歴史上幾度も起こった民族の大移動は、概して温暖化によって人口の増加を見た後寒冷化に振れることで生じた食料の危機が原因で惹き起こされてきた。
言うまでもなく、ユーラシアは地球上最大の大陸である。私たちの祖先は、猿人の時代まではアフリカにとどまるものの、原人そして旧人の一部は、アフリカを離れてこのユーラシアの地に移り棲んできた。ミトコンドリア・イヴの子孫といわれる私たちホモ・サピエンスの祖先たちもまた、おそらく同じ理由で人類発生の地といわれるアフリカ大陸から、追われたかあるいはみずから見限ってこのユーラシアの地にやってきたはずだ。その後ヒトは別れ別れとなって、幾多の苦難を乗り越えながらもいろんな風土に適応してきた。黒人、白人種あるいは黄色人であっても本来唯一の種であるため、相互の婚姻には支障がなく、それぞれが定住の地を求めて移動を続け、あるいは定着を果たしてきた。
だい3章で述べたごとく、その後農業革命によってヒトは幾つかの文明圏を形成するのだが、ユーラシアの西側では、気候の寒冷・小雨それに痩せた土壌なども作用して、遊牧文明がその中核となってたえず移動を繰り返してきた。一方ユーラシアの東側では、熱帯季節風の影響によってかなりの高緯度でも夏は暑く大量の降雨があり、農耕文化が中心となって早くから定着を果たしてきた。
ユーラシアの東側、すなわちアジアの中央に位置するチャイナ文明は、北方の騎馬遊牧民族による度重なる侵略と王権の簒奪はあったものの、結局黄河流域と言う農耕地帯に収斂し定着して、この地から一歩たりともよその地に移ることはなかった。したがって、つねに移動を繰り返しながら洗練されていった西洋文明とは違って、チャイナ文明は、決して移動することなく洗練され、そしていつしか陳腐化していったことになる。
梅棹忠夫が指摘するように、ユーラシアの西側では興きては滅びながら、第二地域から第一地域へと文明が遷移し、ついに移動を重ねて新大陸にまで到達したのだが、ユーラシアの東側ではそれとまったく違い、西洋に見られるような文明の遷移など起きなかったのである。
たしかにその昔、チャイナの文明の一部が日本にやってきて、この地にあった古来よりの文明と混淆して、全く異質な文明を形成していったのだが、それは梅棹が謂うように、移動してきたのではなく、日本はある種特殊なフィルターを通して、必要な文化や文明だけが濾過され、それが日本古来の文化・文明と融合して、特有の日本ハイブリッド文化・文明を生んだものである。
しかも梅棹の唱える第一地域の日本にしろ、第二地域のチャイナあるいはインドにしろ、つねにその地で定着・定住を行ってきたというのが正しい見方である。実は梅棹がチャイナを第二地域と決め付けることになった理由は、決して遷移という現象ではなかったのである。
あとで触れるが、最近長江(揚子江)流域において、約7000年前に遡る稲作遺跡が発見されたのだが、これを最古のチャイナ文明として認知するのではなく、黄河文明とあわせて中国文明と呼ぶようになっている。すなわちチャイナの地において、最初にチャイナ文明確立の役割を担ったのは森に発した長江流域のコメ農耕の民であって、やや遅れて黄河流域のアワ・コムギ文明が始まったと見るのが妥当であろう。
ところがその後の歴史を見ても、この地が中央王朝の避難場所となることはあれ、中央に覇を唱えることはほとんどなかったのである。それに対して北狄とよばれたモンゴルや現東北(旧満洲)地方の遊牧民族は、幾度もチャイナの心臓部に侵入して政権を樹立しながら、その都度どっぷりその中華思想に取り込まれて、いつしか牙を失ってしまうという歴史を繰り返すことになる。
結果としてチャイナという風土環境は、北部(黄河流域)には厳しい自己規制と倫理・規範を追及し、君子としての道を説く孔孟思想(儒教)を生み、南部(長江流域)には、そのアンティテーゼとも受け取られる、現実的功利・処世術そして神秘的な神仙崇拝に逃避する老荘思想(道教)を生み定着させてきた。この二つの宗教あるいは社会・生活規範的思想は、衝突し交替しあるいは融合しながら、インドよりこの地に渡来した仏教をも混淆し、次第に複雑なチャイナの思惟的根幹として形成されていった。
すなわちアジアにおいては、一見すれば梅棹忠夫の謂うようにユーラシアの西の文明遷移の姿と相似に映るものの、実際にはまったく相異なった道を辿ってきたのである。

投稿者 mrran : 2009年08月26日 List  

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コメント

逆に、日本人の弱点が浮き彫りとなる投稿だと思います。
存続、維持、倣う・・・・・ことにエネルギーを費やす
反面、新たに起業してゆく活力にかけてしまうとゆう現実。
しかし自分はこれを捨てるきにはなれないですし、捨てるきも
ありません。これからの中国やインドといったパワーが
リードしてゆく世界でおいてけぼりにされても、
この日本的なる、畏れ敬い守りつなげてゆく精神文化を
貫くことこそ美しいと考えます。
でもこれじゃ食っていけないんでしょうね(笑)

投稿者 スバール : 2009年10月12日 22:23

>存続、維持、倣う・・・・・ことにエネルギーを費やす
反面、新たに起業してゆく活力にかけてしまうとゆう現実。
確かに伝統や継続を第一義に置く日本の企業の弱点かもしれませんね。しかしわずか2、3年でころころ変わる流行に左右されずに柳のごとくしなやかに時代に対応していく様は頑固でいて柔軟、そこには時代を超えて作り上げてきた理念や処方が詰まっているように思います。
>でもこれじゃ食っていけないんでしょうね(笑)
何とか食っているから残っているのではないでしょうか?
食うっていうことは大企業や大もうけをすることではないようです。日本の企業を見る限りは・・・。

投稿者 tano : 2009年10月13日 02:29

『100年超の長寿企業2万1000社 “最高齢”は1431歳の金剛組』
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/090812/fnc0908121743010-n1.htm
の記事に対してホリエモンがブログで
『長続きする会社って本当にいいものなのだろうか?』
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10319711170.html
と言う投稿をしています。企業=株式会社を前提とした内容で、逆に捉えれば企業が長続きしない理由として読めます。
  ~以下 引用~
(前略)
>株主という元々利益を求めてしまう存在が不可欠な株式会社には、長生きは必要ない気がするんです。むしろ、有限責任の良さを活かしてリスクを取って攻めていくための仕掛けなんだと思うんですよねぇ。
>なんだか、会社を経営していた頃から、「長続きする会社」を持ち上げる傾向に疑問を持っていたんですよねぇ。しかも必要以上に株主・オーナーを軽視するわりには資金調達という金目的だけには資本市場を利用するという。だったら、NPO法人にでもなったほうがいいのでは?なんて思ってしまうんです。例えばTV局とか。
>株式会社は、そもそも東インド会社の時からリスクの大きい香辛料貿易船事業なんかの為につくられた仕組みなんだから。長生きとかに向いてないと思うんですよねぇ。

投稿者 R : 2009年10月13日 11:06

日本の企業ってのは凄いんですね、はじめて知りました。
長年にわたる技術革新とその継承の背景には、それを可能とした時代(外圧)に応じた経営体の変革と、たゆまぬ人材育成の努力が不可欠であったろうと思われます。
その根底に流れる結集軸となるものは、人としてどう生きるか、集団としてどうあるべきか、を常に問う姿勢ではなかったろうかと思います。
『動機善なりや、私心なかりしか』
(最近注目を集めている京セラの稲盛和夫氏の言葉です。)
動機が不善であれば、私心であれば、世の中の期待に応えることは勿論出来ないし評価もされない。
自然の摂理に則り、共同体の本源規範を問い続けていたからこそ、常に世の中を注視し、人々の期待に応えることを最大の喜びとして、ひたすらに追求し続けることが出来たのだろうと思われます。
先人に感謝!です。

投稿者 nishipa : 2009年10月13日 12:18

>何とか食っているから残っているのではないでしょうか?
tanoさん
説明が足りませんでした。
これからの世界の覇権国であろう中国は、米国より
もっと強烈に、有無を言わさず日本に圧力をかけて
くると予測できますが、日本人の美である保守存続
継続の美学といった体質ではとてもではないですが
太刀打ちできないと思うわけです。
日本が国として食っていくためには、伝統を一瞬で
ひっくりかえし、時に傲慢ともおもえる
面も世界に向けていかないと、日本は伝統だけの
遺物国家としてさえない状況になるであろうと
考えるものです。
そうゆう面では、無謀ともいえる温室効果ガス削減
目標で世界に対して喧嘩を売り、まず日本人に
圧力をかけた名前は鳩でも行為は鷹な鳩山さんに
これからもどんどん世界に向って喧嘩をうって
いってほしいと思います。

投稿者 スバール : 2009年10月13日 22:15

>日本が国として食っていくためには、伝統を一瞬で
ひっくりかえし、時に傲慢ともおもえる
面も世界に向けていかないと、日本は伝統だけの
遺物国家としてさえない状況になるであろうと
考えるものです。
スパールさん
いつもタイムリーな意見ありがとうございます。
この指摘はなるほどです。
つまりこれからの日本は伝統を守って内向きにいるのではなく
戦わない日本人という「伝統?」をひっくり返してでも世界へ共認闘争を挑んでいく事が求められているというところでしょうか。確かに食っていくどころか食われてなくなってしまうという危機感(状況認識)が現在の平和ボケの日本人にはまずもって必要ということかもしれません。
ただ、鷹山さんこと鳩山さんの25%の提言はそれら日本人の後押しを受けて発信した言葉とは思えないのですが・・・。
気持ちは買いますが、中身があまりにも杜撰に思います。
世界に喧嘩を売る必要は別のところ(対米、対中)でぜひ披露してもらいたいものです。しかしその為には日本をひっくり返すのではなく、日本という無形資産を武器に世界へ発信していくという国民の共認形成が必要だと思います。

投稿者 tano : 2009年10月14日 00:07

スバールさん、tanoさん。コメント,ご指摘ありがとうございます。
>日本が国として食っていくためには、伝統を一瞬でひっくりかえし、時に傲慢ともおもえる面も世界に向けていかないと、日本は伝統だけの遺物国家としてさえない状況になるであろうと考えるものです。(スバールさん)
>確かに食っていくどころか食われてなくなってしまうという危機感(状況認識)が現在の平和ボケの日本人にはまずもって必要ということかもしれません。(tanoさん)
今回の記事は、現在の世界共認や市場原理の枠を外して、日本人の可能性はどこにあるだろう?そういう視点で記事を書きました。
過去、外交政策という点で日本は負け続けていますし、世界に向かって闘えと言われたら、現在の世界共認の枠ではなかなか可能性が見えてきません。スバールさんの言われている実感を自分も持ってしまいます。よって、一旦その枠を外して考えてみました。
一方で、
>まず日本人に圧力をかけた名前は鳩でも行為は鷹な鳩山さんにこれからもどんどん世界に向って喧嘩をうっていってほしいと思います。(スバールさん)
>世界に喧嘩を売る必要は別のところ(対米、対中)でぜひ披露してもらいたいものです。(tanoさん)
外交面では、まずは、脱米を明確にしてほしいところです。
今日のインド洋での給油中止や、中・韓・日の3カ国首脳協議でも、「日本はアメリカに頼りすぎていた」と鳩山さんが発言したことを考えると、”従米”からは一歩抜け出ようというところでしょうか。可能性があるのかどうかも、今後見極めていくべきところだと思います。

投稿者 さーね : 2009年10月15日 20:51

Rさん
>企業=株式会社を前提とした内容で、逆に捉えれば企業が長続きしない理由として読めます。
株主の利益が第一であれば、極端に言えば会社のことは全く考えない=企業が長続きしないでしょう。
ところが、重要なのは、日本の市場では、長い歴史を積み重ねた老舗企業が生き残っていることです。彼らを否定的な存在として見るよりは、市場原理の中でも利益を出してきた彼らの意識を一つの可能性として捉えた方が良いと思っています。
ちなみに、TV局は生き残っているというより、世論支配が可能な地位にあぐらをかいているように感じますが(笑)

投稿者 さーね : 2009年10月15日 20:59

>ただ、鷹山さんこと鳩山さんの25%の提言はそれら日本人の後押しを受けて発信した言葉とは思えないのですが・・・。
tanoさん
世界に向けて宣言したんだから、お前ら(日本国内)
是が非でも環境技術革新しないと、我々は世界の
大嘘つきになるよ?とゆう意味での国内への圧力です。
あの鳩山さんのスピーチは、国内向けがメインだったの
かもしれないとは勘繰りすぎでしょうか。
日本人は、身ぐるみはがされて、さあ仕方ない、動き出す
かくらいなかなか現実を受け止めにくい民族性があるのかも
しれません。
>日本という無形資産を武器に世界へ発信していくという国民の共認形成が必要だと思います。
こうゆう素晴らしく美しい精神構造が、日本人の
共通認識として必ずあるはずです。伝統は重荷となる
反面、人の心を豊にしてゆく・・・・・そう信じたいです。
さーねさん
>今回の記事は、現在の世界共認や市場原理の枠を外して、日本人の可能性はどこにあるだろう?そういう視点で記事を書きました。
なるほど。となりますと、tanoさんご指摘の
<日本という無形資産を武器に世界へ発信していくという国民の共認形成が必要だと思います。>
これをどうやって現実のものとできるか、課題は大きい
ですね。

投稿者 スバール : 2009年10月15日 22:34

スバールさん
>これをどうやって現実のものとできるか、課題は大きいですね。
色々実現していく基盤はありそうな気がしています。新聞やテレビ離れなどもその一つですが、問題は、それが単に捨象されてしまっており、収束先がないような状態です。
これが課題の大きさだと認識しています。
それには、どう発信していくか?どのような場を創っていくか?追求していきたいと思っています。

投稿者 さーね : 2009年10月17日 23:00

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