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2010年02月20日

古代史探求の目的~当ブログの役割について(後編)

こんばんわ。続きを投稿します。
この記事は縄文ー古代ブログを開設する前に仲間と投稿活動をしていた「るいネット」での史論版での探求を元に作られています。私の文章のつたなさもあり、正確に伝達できていない部分もあろうかと思いますので、このブログを読まれた方が「るいネット」へ参加されることも併せて呼びかけたいと思います。
「るいネット」の方は誰でもいつでも投稿できますので、疑問点や問題意識などを投稿していただけると盛り上がっていくと思いますのでよろしくお願いします。
また生物史まで遡って知りたい方は「るいネット」での史論ベースになっている「実現論「第一部 前史」 「第2部 私権時代」」をぜひ一読ください。この論文の骨子も実現論で得た認識を基にしています。
それでは続きです。
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【私権社会の拡大と日本への到着】
私権社会の波は西洋社会だけに留まらず、戦争の拡大と共に東は中国やモンゴル高原に広がっていきますが、海を隔てた日本に到着するのは弥生時代以降になります。
日本は朝鮮半島や中国からの渡来民を受け入れますが、彼らは本国で敗北した負け集団です。
私権社会のシステムや武力は持っていますが、私権意識の強さという点では大陸の勝ち組からは劣っていました。また、すでに縄文時代に強固な集団共認を形成していた日本を外部から来た小集団が支配する為には武力一辺倒ではダメで、まずは日本に定住し、日本に馴染み、自らの文化を伝え、日本人を大陸の文化に塗り替える必要があったのです。ミイラ取りがミイラになるという諺のごとく彼らは日本に定着する事で日本の共認域に染まっていったのだと思います。
大量渡来の波はいくつもありました。大陸での変動がそのまま日本列島に流れていきます。紀元前には中国大陸から、任那が6世紀に滅ぼされたときには大量に高官が到着します。
さらに古墳時代の7世紀後半には百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされ、その国王の一派が日本に漂着しました。その50年後に作られた日本国は百済の新天地であるはずでしたが、同時にそれまで半島から漂着していた任那の高官や新羅や高句麗、さらに中国大陸に祖先をおく一派に度々反発を受け、日本国内でも渡来人集団同士で争いを繰り返していきます。
葛城―物部―蘇我から始まり天智―天武―持統―その後の奈良時代の天皇の変遷はその力学で決まっていきました。このように日本における私権社会の定着は一筋縄ではいかず、それまでの縄文時代のネットワークを駆使したものが勝者になっていきます。
【日本での私権社会の変遷】
日本はその後、隣国中国という巨大な外圧を受けながらも、海という最大の防衛力を有効に活用し、中国の介入を早期に排除、その後は独自の路線を継続させ、日本流の私権社会への転換を遂げていきます。
結果、他国にはない朝廷と幕府という二極体制を作り上げ、その結節点に天皇を置くという非常に複雑な支配体制が江戸時代まで続くことになります。他国が皇帝を中心とする力の原理に貫徹された判りやすい一極体性に対して、日本のそれは支配を分散化させる方向であり、江戸に至っても徳川は前に出ず、地方大名達と結びつく戦略(参勤交代)に出ました。
このように日本と世界の歴史は一面、連続してパラレルでありながら微妙に異なり、同じ封建社会や市場社会でも中身は異なります。どのように異なっているのか、なぜ違いが生じたのか、これを読み解くには私権社会の純度と集団共認の残存度を秤に掛けて見ていく必要があるのです。
常に戦争が絶えず、国境が刻々と変化してきた世界の国々は私権社会の純度の高い国家です。一方、国家成立以降大きな戦争もなく、国境は海に守られ、一度もまともな侵略がなかった日本は私権社会の純度は当然異なり、裏返せば縄文時代に培った不文律の共認原理が色濃く残存し、その影響は現代人にまで刻々と繋がっているのです。
【縄文時代をどう評価するか】

この縄文時代の共認を母体とした日本国の可能性をどのように評価するのか、またこの間世界に起きているさまざまな諸現象をどう読み解くか?

これは現在の先進諸国が私権社会の終焉を示しているとの見方が必要であり、新たな社会秩序の形成には私権社会以前の自然の摂理を見つめ、集団共認をベースにした本源社会に可能性はあるのではないか?というところに糸口を求めようとするものです。
5000年も前の社会にもどるということではありません。あくまで集団や成員の拠り所とする意識の状態として、あるいはそれを統合する社会の規範や形態として、どのような認識や仕組みが適しているのか、それを模索していこうとするのがこの縄文ブログの役割なのではないかと思っています。
【私権社会(=市場社会)に変わる新しい社会の模索こそ当ブログの役割】
20世紀はまさに工業生産から近代市場の成長に載って欧米が世界の中心でした。しかし、すでに欧米に凋落が始まっている現在、21世紀は明らかに別の時代が到来します。市場社会に変わる次の社会とは何か?同じように物が流通し、人は行き来するのですが、その中心に互いの親任関係や人々の認識を中心とした共認時代が到来することになるのではないかと考えています。
まだまだ半熟卵ですが、既に50名強の歴史に精通した会員が結集しているこのブログではこれから数年以内に広く社会に提起できる共認社会の政策提案まで目指していきたいと考えています。

投稿者 tano : 2010年02月20日 List  

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コメント

>仮説に過ぎないが、そこに誤った観念で築き上げられたものが瓦解し、本源性が剥き出しになる状況があったからではないだろうか。つまり、その様な状況に置かれた時にこそ日本人の強みが発揮されるということかもしれない。
この状況になるのが他の民族に比べて早いというのが日本人の特徴かもしれません。なぜならば、私権時代の歴史が浅く、つい最近(といっても2000年前)まで共同体を存続させてきた国家だからでしょう。他の西洋諸国は5000年から少なくとも3000年、でもそれにしても人類の500万年の歴史からみれば50歩100歩ですね。
こう考えると、世界全てに本源性を回帰させることも決して不可能ではないのではないでしょうか?ちょっと安易でしょうか。

投稿者 tano : 2010年5月7日 20:16

みんな発の縄文人と、自我発の西欧人。
私権社会から共認社会へと転換した以上、自我発の観念は不要となった。共認社会で求められるのは、みんな発の観念。
1万年以上もみんな発の潜在思念を受け継ぐ日本人にこそ、新しい観念を積み上げていく可能性があると思う。

投稿者 nishipa : 2010年5月8日 19:29

>縄文体質=潜在思念
であるなら、この先必要になる新しい観念というのは、その「潜在思念」を言葉化したものということになるのでしょうか?

投稿者 たかし : 2010年5月11日 21:04

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