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2007年02月02日

神様にも人気、不人気があった。

アッシリアの事ですから、釈迦や孔子が生まれる少し前の話。
前にも登場したナラム・シンがいたアッカドの時代からすると1500年も後の事です。
元々アッシリアはアッシュールの市神である「アッシュール」が最高神であったのですが、アッシリアがバビロンを制覇した後は、元々はバビロンの市神であった「マルドゥーク」にその位置がとって替えられたようです。なぜでしょう
征服された側が征服した側の神様を信仰する様に強いられるのは分かりやすけど、どうしてその逆が起こったのか?不思議な気がしませんか
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シュメール以来神様は多くいますが、基本的に最高神は支配者の支配の正当化の為の守護神であることが多く、その存在は人が住む地上にはなく、唯一、王=神として地上に現れていると言う考えだったと思われます。
では二人の最高神、「アッシュール」「マルドゥーク」はどう違うのでしょう
どうやらマルドゥークは庶民的だったと言えそうです。
それまでは多くの神々がそれぞれの役割を持ち、最高神とはいえ役割は一つか二つ。又支配者の神=都市神と庶民の神とは違っていたようです。
マルドゥークの創世神話にはこうあるそうです。
怪獣のような母に戦いを挑み、苦労して勝ち、その結果、彼が、「天命の書」を得、今ある世界を創り、そして人に君臨するのでなく、人を守護する神々をつくったり、地上と天上それぞれに住まいを持ったとあるそうです。
又彼は床屋やビール番、犬まで眷属とし、50もの名前で登場する人気者になったあるそうです。つまり支配者層だけでなく、庶民にも神として信仰された事で、他の神々の役割をも担う神に変化していったようです。
このように、バビロンでは神の存在をより身近なものにしていた様に思えます。
これによって、支配者の神と庶民の神が融合しやすくなり、誰もが信仰する一人の神になったと言えそうです。
アッシリアにしても、武力支配をより強固にする為の信仰支配は重要だったはず、そしてその為にも多くの神々が存在するよりも、数少なく、出来れば一つの神に収束していた方が都合が良かった。と考えると自分たちの神を押しつけるよりもとする支配者の思惑だったのかもしれませんが。

投稿者 dokidoki : 2007年02月02日 List  

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